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March 2005

March 30, 2005

3月30日(水)

今日は、来週ちくま新書の一冊として刊行される『不安を生きる』の見本が出来たので、編集者のSさんから受け取る。下高井戸のイタリア料理の店で昼食方々話をする。おかしかったのは、そのあとSさんは私が昨日飲んだ京大の田中氏と会うことになっているという。

新書なので装丁とかは特別なものでないが、扉に装丁家の間村俊一さんが撮った写真が使われていた。それでかなり思っていたのと違う感じの本になっている。ちょっと不思議な写真で、本文と関係のないところがいい。あえて言えば、不安というものが白黒写真に写っていると言う感じだろうか。ぱらぱらめくってみると、いろいろな固有名詞が出てくる感じがする。それを追っていっても、どういう内容の本なのか、すぐにはわからなそうなのがいいかもしれない。ちょっと今までとは違う作り方をしたので、どう受け取られるか、とても楽しみだ。

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3月29日(火)

発表も終わり、一段落。昼から国際宗教学会の行われているのと同じ品川のオイスター・バーという店で、母の喜寿の祝いをする。家族が久しぶりに集まる。ちょうど今日は、父の85回目の誕生日でもある。その他、いろいろと祝いが重なる。この店は、世界でニューヨークと品川だけにあるようだが、かなり混んでいる。名前のとおり、カキはかなり旨い。ほかにマグロなどもおいしかったが、一方でブイヤベースなど、もうひとつというものもある。

ところが、帰り駐車場で父が車止めにぶつかって倒れ、頭を打ってしまった。車の座席に座らせると、眠ったようになり、生あくびをするようになったので、救急車を呼ぶ。幸い、救急車が到着するまでの間に意識を回復し、問題なさそうに見えたが、なにぶん頭のことなのでそのまま近くの病院に。診断の結果、別状はないということで安心した。本人も歩いて病院を後にする。

病院は、新高輪プリンスの向かいだったので、私はそのまま国際宗教学会の会場へ。会長の島薗氏と、今年関西大学で開かれる宗教学会のパネルの打ち合わせをする。

朝、共同通信の方から早川紀代秀、川村邦光『私にとってオウムとは何だったのか』の書評を頼まれていたが、グッドタイミングで川村氏とばったり会う。本の出来るまでのいきさつを聞くことができた。その後、学会のクロージング・レセプションに。依然として大量の人がいた。参加者は内外で1600人くらいというが、まだ1000人くらい残っている気がした。日本の食事がおいしいせいか、レセプションの人数も並大抵ではない。今日は、せっせと食べることにつとめる。聞いたところでは、この学会に参加するために車を売ってきたという海外からの参加者もあるとのこと。ビザの関係で、こういう機会でもないとなかなか日本にこれない人もいるらしいが、やはり日本は人気の国なのだろう。

レセプションの最後に、同志社の落合氏に誘われ、京大の田中氏とともに、落合氏行きつけの西麻布の店に行く。田中氏は、私の『カルロス・カスタネダ』を読んでくれていた。まとまっていてとてもありがたいといわれたのは嬉しかった。行った店は、祇園から去年東京へ移ってきたとのこと。雰囲気がとても西麻布とは思えない。ちょっとシオンの娘のことを思い出したが、平日だというのに大混雑。客も皆楽しそうで、あまりしゃれていないところが落ち着くのだろうか。

March 29, 2005

3月28日(月)

国際宗教学会のパネルで発表をする。SISR(The International Society for the Sociology of Religion )のパネルのなかに位置づけられているせいもあって、聴衆は50人を超えていた。半分は外国人という感じ。オウムのことを取り上げたのも、聴衆の興味を引いたようだ。私のことは、海外の研究者も知っているらしい。あのような目にあった学者はそうはいないせいだろう。英文を用意するのも苦労したが、英語での応答がなかなかうまくいかない。慣れも必要だろう。国際会議というのは一定のフォーマットがあるようにも感じた。

発表が終わって、同じパネルの渡辺、櫻井両氏と昼食をとる。その後、近くの眼科へ。診察をしてもらったが、ただ充血しているだけとのことで、心配はいらないらしい。花粉症の可能性も否定された。では、毎年この時期になるのはなんなのだろう。そして、今年は充血の度が激しいのはどうしてなのだろう。よくわからない。

眼科を終えて、学会の会場に戻る。上田紀之氏の出ているパネルをのぞいてみるが、そこもかなり盛況だった。上田氏や、福神の三輪氏などと話す。他のパネルにも行ってみたが、あまりおもしろくない。夜は、阿部美哉先生と安斉伸先生を記念するSISRのレセプションに出る。ここも盛況。食事がすぐに亡くなる。さまざまな人の挨拶では、阿部・安斉両先生のほかに、柳川先生やブライアン・ウイルソン氏のことも話題に上る。ウイルソン氏には生前一度会ったことがあるが、なくなっているのはしらなかった。ユーモアと涙の挨拶が続いた。阿部・安斉両先生のご家族もきていた。私の職場での上司でもあった阿部先生については自宅にまでうかがったことがあるが、安斉先生の夫人とは初対面。先生が亡くなる少し前、たまたまある会合で会い、居酒屋でおごってもらった縁がある。夫人から亡くなるまでの経緯についてうかがう。

March 27, 2005

3月27日(日)

左の目が充血している。金曜日から充血するようになり、なかなかそれが引いてくれない。毎年、この時期に一度は充血するので、花粉症ではないかと思う。両目とも、目の周囲がおかしい。ただ、今年は花粉が多いせいか、充血の度合いが激しい。別に本人は、見えにくいとかそういうことはないのだが、ほかの人にとっては、目が真っ赤というのは気になるようで、一応サングラスを買ってみる。今までサングラスなど買ったこともなければ、買おうと思ったこともないが、いろいろ役には立つようだ。日ざしの強いときなど、やはり便利なのだろう。充血が引いても、場合によって、使った方がいいのかもしれない。

市川染五郎家に長男誕生とか。しばらくすれば、金太郎として舞台に上がることになるのだろう。高麗屋としてはこれでひとまず安心ということかもしれない。跡継ぎを必要とする梨園は、たしかにかなり大変なのだろう。

March 26, 2005

3月26日(土)

国際宗教学会用の英語発表原稿、なんとか終わる。英作文へ苦手だし、面倒だ。もっと英語が自由に操れるなら、原稿など準備しないのにとも思う。

OXストアーのあるジョイフルの「ジョイフルデー」に出かける。スタンプが二冊分集まっているので、抽選会場へ。私ではあたりそうにないので、娘にやらせる。二回とも、ティッシュではなく、200円の買い物券があたる。それでさらに買い物をしたら、その店で使える500円の買い物券があたる。全部であたりが900円にもなった。

3月25日(金)

母の喜寿の祝いが来週あり、ふたたび娘が来るので、掃除をする。

午後から、日蓮遺文勉強会。いつもとちがい、地下であったので、部屋のなかが暗かった。終わって外へ出てみると、まだ明るいので驚く。福神メンバーの鈴木さんから、横浜能楽堂での「身延」上演のチラシをもらう。この公演があるのは知っていたが、鈴木さんが解説をされるとは知らなかった。「身延」は復元された曲でめったに上演されないので、うかがうことにしてチケットをお願いする。堀さんからは、戸田城聖の法華経講義の口述と小樽問答の記録をいただく。彼に頼むとたいていのものは手に入る。ありがたいことだ。

飲みに行くメンバーと別れて、伊勢丹へ。最近太り気味で、着れなくなったものが多いので、ジャケットなどを買おうと思った。本当は5Fへ行きたかったが、そこで正価で買う余裕もないし、勇気もなかったので4Fへ行く。ダーバンのところで声をかけられ、そのまま買い物をすることになり、ジャケットにパンツ、シャツ二枚、それにネクタイをひとつ買う。ネクタイ以外全部微妙な直しが入ることになった。かなり買ったように思ったが、代金はそれほどでもなかった。これを5Fでしたら、いったいいくらになるのか、ちょっとおそろしい。

娘の乗ってきたバス、渋滞で1時間弱遅れる。3月の25日、しかも金曜日とくれば、道路が渋滞してもしかたがない。先日と同じ車屋の焼き鳥の店に行く。寒いのでおでんがうまい。帰りの小田急線、意外なほどすいていたのは、やはり日本対イラク戦があるからだろう。帰って、後半を見る。イラクは予想されたとおり強い。日本は途中で投入された小笠原がブレーキになっていたのではないか。まだまだ厳しい戦いが続きそう。

March 25, 2005

3月24日(木)

忙しくあわただしい一日だった。朝、床屋へ行き、『「厄年」はある!』の本を渡す。最後の部分で、その床屋の夫婦の発言を引いているからだ。贈呈しようと思ったが、けっきょく代金を貰う形になった。

昼から、アメリカのダラスにいる友人、Mさんと会食。最初は桜上水のフランス料理店「陽樹」でと思ったが、行ってみると休みだった。桜上水では唯一おいしい店なのだが、たまに定休日でないのに休んでいることがある。そうなると桜上水には店がないので、しかたなく下高井戸まで歩く。メキシコに遠くないダラスの人にはどうかとも思ったが、メキシコ料理店の「ポサダ・デ・ソル」へ行く。ここは少し高い気もするが、なかなかうまい。昼に行ったのは初めてだが、Mさん曰く、アメリカで食べるメキシコ料理とはかなりちがうとのこと。やはり日本化されているのだろうか。たしかにナスのスープなど、日本のお吸い物という感じがした。その後、下の「ノリエッタ」でお茶をする。店が改装になり、喫茶室の部分もおしゃれになったが、ひっきりなしに客が来て繁盛している。ケーキもやはりかなりうまい。

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その後、一度家に帰り、スーツに着替えて、渋谷へ。紀伊国屋書店のF氏と会う。今度、何人かの、今の日本社会で大人になることについての本を書くことになっている。そのうち合わせだが、単行本の話も出て、一つ行けそうなテーマが出てきた。少し調べる必要があるが、もしかしたら面白い物になるかもしれない。

さらにその後、国際宗教学会のオープニングレセプションに出るために、品川の新高輪プリンスホテルに行く。来週の月曜、私も発表することになっている。開場には、沢山の人が集まっていて、外国から来ている人がかなり多い。参加費が高いので、レセプションで元をとろうとおもっていたが、ひっきりなしに話かけられて、あまり食べられなかった。いろいろと噂話やら、なにやらを聞く。世の中大変なこともいろいろあるようだ。

March 23, 2005

3月23日(水)

国際宗教学会の英文の準備を続ける。短い時間で、オウム事件について語るのはやはり難しい。くたびれる。

大相撲、大関横綱の取り組みだけ見る。朝青龍の圧倒的な強さだけが目立っている。いつになったら、ライバルがあらわれるのだろうか。期待された白鵬も今場所調子がわるいせいか、まったく歯が立たない。子供のころ、大鵬と柏戸の対戦にわくわくしたのがなつかしい。もうああいう雰囲気は大相撲に望めないのだろうか。そういえば、海老蔵にも、本当の意味でライバルはいない気がする。菊吉の時代ほどではなにしても、海老蔵に拮抗する役者がいれば、もっともりあがるのにと思う。その可能性を感じさせてくれる役者は残念ながらいない。

March 22, 2005

3月22日(火)

去年の1月に京都で山折哲雄先生を中心に、鎌田東二、正木晃、川村邦光の諸氏、それに私で行った座談会の校正をする。6月に法蔵館から出る『仏教情報辞典』の冒頭に載るもの。これだけで単行本一冊分ある。たしか単行本化するという話もあったようだが、なにしろ一年前のことなので話が古くなっているところもある。もう少し刊行が近い時期にしたほうがよかった。ただ、内容的には1泊2日でやっただけに結構充実しているような気がする。

午後から、近くの李白へ。雨のせいか、客が少なかった。私もそうだが、一人で来る客が多い。なかには神保町の時代から来ているらしい人もいた。ただ、天気が悪いこともあって、本を読むにはなかが暗かった。

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新潮社から、『創価学会』10刷決定の知らせ。ついに5万部を超えた。最近、週刊誌で創価学会のことが相当とりあげられているせいか、増刷の部数も多かった。いったいどこまで伸びるのだろうか。

March 21, 2005

3月21日(月)

彼岸の中日。暑さ寒さも彼岸までというが、何か季節がせめぎあっている感じがする。今日も気晴らしに出かけてみようと思ったけれど、義理の弟がコンピュータを二台もってやってきた。どちらもスパイウエアーが入ってしまって、どうしようもなくなったとのこと。駆除するソフトをダウンロードしたりしてみたが、うまくいかず、結局はOS全体を再インストールすることにした。この作業が意外と時間がかかる。

二台とも再インストールして、おまけにウィンドウズXPのサービスパック2をインストールした。インターネットに接続しないとだめなので、平行して作業ができず、一台ずつなので余計に時間がかかる。けっきょく、3時ごろから7時ころまでかかった。正月にも、同じような作業をしたが、いいかげんにしてほしい。トルコのサイトにアクセスすると、どうもウイルスやらスパイウエアーなりが進入してしまうらしい。しっかりと防衛しておかなければならないのだろうが、使い方がかなり荒っぽいようにも思える。やれやれの一日だった。

3月20日(日)

久しぶりに吉祥寺へ行く。仙川に出て、そこからバスで行ってみる。吉祥寺に近づくと、さすがに道が混雑した。パルコのリブロ、伊勢丹、無印良品などをまわるがめぼしいものはなく、何も買わなかった。イワキで、眼鏡の調整をしてもらう。やはり何ヶ月か経つと、フレームがしっくりいかなくなっているので、調整の必要がある。

その後、ジャズ喫茶の「めぐ」へ。今日は、コルトレーン研究家だという大阪の藤岡靖洋さんの話があった。本業は呉服屋とのことで、当たり前だが、ちゃんとした着物を着ている。私と同世代だろうか。コルトレーンへの熱い思いがあふれている。途中で、オーディエンスから藤岡さんはジャズファンではないと指摘されていたが、本人はそれを否定しなかった。どうもコルトレーンさえいればという感じのようだ。それが道楽としては一番楽しいことなのかもしれない。

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店内はけっこういっぱいになっていたが、「めぐ」の常連の人たちには、店主である寺岡さんの考えが浸透しているように思えた。皆ジャズそのものが好きなのだろうが、ジャズ全般を意識していかなければならない感じがして、それにはついていけない気がした。まあ、音楽はあまり人の言うことに左右されずに勝手に楽しむということでいいのだろう。

途中、藤岡さんが、「アフリカンブラス2」に入っている「地下鉄道の歌」をかけたときには、どきっとした。本人は意識されていなかったようだが、今日はおりしも地下鉄サリン事件から10年目にあたる。地下鉄道というのも、人種差別の厳しい時代に黒人を逃がすための地下の道のことで、地下鉄ではないようだが、偶然の符合は恐ろしい気がした。

March 19, 2005

3月19日(土)

暖かくなったと思ったら、案外寒い。前に100円ショップで買った枕干しが壊れてしまった。枕は結構重いので、無理だったようだ。しかたがないので、ハンガーを二つまげて、それに入れるようにして干している。案外、枕を干すのは大変だ。

隣の隣、引っ越したと思ったら、違った。旦那さんが外国の方なので、長期にわたって国に帰っていたようだ。部屋の雰囲気も引っ越したように見えていたが、それは防犯対策だったのかもしれない。今日、久しぶりに旦那さんに会った。

近くの洋服の青山へ行く。ウインドブレーカーを買う。割引券とポイントがあったからだが、全体にろくなものがない。とくにカジュアルなものは安いことは安いにしても、とてもこれを着たいとは思わないものがほとんど。もう行かないかもしれない。

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近くの焼肉屋の改装が終わった。終わったら、やはり焼肉屋だった、どうも前の店よりさらに安いようだ。肉はいったいどこから来たものだろうか。オーストラリア?

March 18, 2005

3月18日(金)

今日はやる気がなく、日がな一日、ヤフーのオンラインゲーム、ブロキシーをやる。たわいのないブロック崩し的なゲームだが、あまり考える必要もなく、やり始めるといつまでもやってしまう。そこが恐ろしい。一度に同じ色のブロックが崩れるようにすればいいのだが、そこがなかなか読めない。だいたい、将棋とか先を読むゲームが苦手なので、あまり上達しそうにない。そこがまたよくないのだろうか。


途中、図書館に出かけると、雨が降ってきた。黒雲が出ていて、もしかしたらと思ったが、傘をもたないで出かけてしまったので、少し濡れた。

夕方からは、教え子の箏奏者、梶ヶ野亜生さんのはじめてのリサイタルに行く。開場は代々木上原。駅から近いが、あのあたりは坂がきつい。スタジオのような作りの開場だった。何度か彼女の演奏は聞いたことがあるが、はじめての個人リサイタルということで気合いが入っていた。箏といっても、生田流ではなく、沢井門下なので、曲はほとんどが現代音楽。彼女は鹿児島の生まれだからだろうか、演奏を聞いていると、海を感じる。とくに最初の二曲、高橋悠治の「橋をわたって」と松村禎三の「幻想曲」がよかった。さすが大物の曲、曲がいいせいだろうか。高橋の作品は、十七絃で雄大。どうもふつうの箏よりも、彼女には十七絃があう感じがする。本人はどう思っているのだろうか。

彼女の同級生が来ているのではないかと思っていたが、私の知っているのは誰もいなかった。しかたなく、そのまま帰る。

March 17, 2005

3月17日(木)

今日は天気が悪かった。英文レジュメの続きがあってので、それにかかりきり。結局、一日家にいた。

歌舞伎チャンネルで橋之助の「高時」を見る。「高時」は今まで見たことがなかった。1時間もかからない短い、短編作品だが、見終わって首をかしげてしまった。こんなんでいいのだろうかと素直に思ったからだ。渡辺保氏の『歌舞伎手帖』を見ると、はっきり「愚劇である」と書かれていた。ただ9代目團十郎の名演技があったために、その神話で今でも上演されているとのこと。そこらあたりのことは、何しろ9代目がどうだったかわからないので、なんともいえないが、大きな犬が出てきたり、天狗が出てきて高時と踊ったりと、何がなんだかわからないまま終わってしまうので、愚劇ということばはあたっている。

もしこれを愚劇に見せない役者がいたら、大変なものだろう。成田屋では、11代目も12代目も高時をやっている。一度海老蔵で見たいものと思った。そう思うと待ち遠しくなってくる。

March 16, 2005

3月16日(水)

ようやく暖かくなったけれど、夕方になってくるとまだ風が冷たい。でももう、冬の寒さは訪れないのだろう。いよいよ本格的な春の気配だ。洗濯物もよく乾いて助かる。明日「毎日新聞」の夕刊に出るインタビュー記事に直しを入れて送る。それにまた注文が出て、さらに直した。長いインタビューではないが、お互い気になるところはそのままには出来ない。国際宗教学会の英文レジュメを作る作業を続けるが、終わらなかった。もう一日かかる。

白洋舎から連絡があって、お金を取りに行く。クリーニングに出したバーバリーのシャツに事故があり、補償してくれることになった。メーカーに連絡し、代替品があれば、それを取り寄せてくれるとのことだったが、結局、もう商品がなく、お金で補償してくれた。バーゲンで買ったものなので、得をしたことになってしまったが、話がややこしくなるので、そのまま定価分をいただいた。他のクリーニング屋でどうなのかはわからないが、この体制なら安心してクリーニングが出せる。

桐野夏生さんの『白蛇教異端審問』を買う。エッセイ集だが、その最後に以前雑誌に連載されていた「白蛇教異端審問」が収められている。前に図書館でコピーをとって読んだことがあるのだが、相当に激しい。自作の小説を批判した批評家などへの抗議で、彼女のファンからはあまりこういう文章は書かないで欲しいと要望が出ていた。でも、この本はとても桐野さんらしい本ではないかとも思う。その激しさがあってこそ、ああしたすごい小説が書けるのだと思う。

March 15, 2005

3月15日(火)

国際宗教学会の発表、無料のネット翻訳を使って英語に訳してみる。なかなかうまくいかない。もう一度、大幅に見直さなければならなそう。毎日のMさんから、ゲラがファックスで来る。写真も入っていて、掲載される感じがわかるのがいい。

どうも今日まで寒いとのこと。明日からは本格的に春が訪れるらしい。もう寒いのには飽きている。春が待ち遠しいと思ったのは、近年にしては珍しい。

『ステレオサウンド』のスーパーオーディオCD、SACDの特集を読み通す。SACDはもっていないし、あまり聞く機会もないが、果たしてどうなのだろうか、記事を読んでいってもどうもよくわからない。プレーヤーの評でも、むしろCDがよい音で聞けるといったようなものもあり、果たしてそれが必要なのか、疑問に思った。ところが、最後にあった嶋護という人のSACDのディスクの紹介の文章を読んで、印象がまるで変わった。素直にそのすばらしさを賞賛しながら紹介しているのが気持ちいい。こんな文章を読むと、SACDのプレーヤーを買って、聞きたくなってくる。

読み終わって、嶋氏の文章は、山本益弘の文章に似ていることに気づく。「べき」が多用されているところで似ているのだろう。聞くべき、食べるべき、それを押し付けがましくなく書くのはやはり文章の技術だろう。そんな文章、今まで書いたことがないが、いつかチャレンジしてもいいかもしれないと思った。

March 14, 2005

3月14日(月)

今月の終わりに開かれる「国際宗教学会」での発表のための原稿を書きはじめる。一応英語で発表することになっているが、とりあえず日本語でまとめてみる。もう少しで終わるというところまで行く。明日日本語を完成させ、自動翻訳などを使って英語にしていくつもり。内容はオウム事件について。ちょうど10年という節目を迎えるだけに、あの事件がいったいなんだったのかをまとめ、世界に向けて発信しておく必要はあるだろう。

イエスの方舟についての原稿の校正が出る。週刊誌なので、すぐに校正して返す。今週発売の『週刊新潮』に載る予定。とらえどころのない集団だけに苦労した。とくに今は問題を抱えているわけではないし、安定した状態にある集団について書くのはかえって難しい気がする。

本屋で『ステレオサウンド』の最新号を買う。前の号は、その年に出た機種にグランプリを与える特別な号なので、あまり面白くなかった。やはり機種同士の比較とか、組み合わせの仕方の特集の方が興味をそそる。装置単体では、評価もできないし、どういった興味をもっていいかもわからない。

あわせて、『週刊現代』を買う。創価大学の卒業生が各界に進出しているという記事が載っている。別にそれほど興味はないのだが、連載のネタとして次に使おうと思っている。

March 13, 2005

3月13日(日)

BS2で放送されていた勘三郎襲名披露の「一條大蔵譚」を見る。勘三郎に仁玉、雀右衛門がつきあい、先代の勘三郎の弟子たちが重要な役で出演している。先代が得意にした演目だが、やはり一番難しいのは檜垣の作り阿呆の部分だろう。一般には、新勘三郎はこうした喜劇的な役を得意としているかのように思われるかもしれないが、むしろ一番不得意なのではないだろうか。まったく阿呆になっていない。阿呆になるには、頭の中身まで力が抜けていなければならないはずだが、まったくそれが出来ていない。だから、わざと阿呆のまねをしているということがはじめから分かってしまう。海老蔵がやった彦一の馬鹿殿は完全に脱力していたが、勘三郎には無理。

最初が阿呆になっていないと、正体を明かしたところがおもしろくない。奥殿では、義太夫にのって十分に語ってくれるはずなのに、その爽快感が出ていない。勘三郎を継いだ以上、先代が得意としていた役をこなさなければという意識が強いのだろうが、これはいくら挑戦してもうまくならない気がする。これでは、華のなさを強調する結果になってしまうのではないか。観客もあまり沸いているようには思えない。海老蔵にやってもらったらどうだろう。当代の團十郎は一度だけ国立劇場でやっている。その日が待ち遠しい。

録画していた岡本喜八の「助太刀屋助六」を見る。いったいこれは何の映画なのだろう。上演されていたときには見たいと思った記憶があるが、妙な話で、いっこうにおもしろくない。とにかく眠くなって途中でやめてしまった。もしかしたらこれが遺作なのかもしれないが、相当においていたということだろうか。まるでテンポが悪い。やはり映画というものは、どういう方向に進んでいくのか、ちゃんと観客にわかるものではなければならないのではないか。

March 12, 2005

3月12日(土)

午前中は随分と暖かかったのに、午後になってからは急に寒くなり、夜は相当に寒くなった。まだまだ本格的な春とは言えないようだ。

午後にNHKのBSで、勘三郎の襲名公演を放送していた。生放送なのかどうなのか知らないまま見ていたが、「口上」の最初、幸四郎からはじまって何人かほとんど同じことを言っていたので、もしかしてこれは初日の口上なのかと思って見続けていると、左団次がまったく初日にとは違うことを言ったので、ようやく生中継だということがわかった。玉三郎も仁左衛門も、かなり余裕が出てきて、あまり感情に流されなくなっていた。富十郎の話の内容もまるで違うし、めでたかったのは、又五郎がしっかりと口上を述べてくれたこと。90歳を過ぎて、偉いものだと思う。


昨日実家で、父が勘三郎は主役になれる役者ではないと言っていたが、たしかにそうかもしれない。本来は、とてもおもしろいバイプレーヤーというところが適任なのだろう。それが主役をはらなければならないところが、案外辛いところなのかも知れない。襲名披露の演目にしても、一番いい役柄はやっていない感じがする。そこいらへん観客もよく理解してやらねばならないだろう。

3月11日(金)

もう少し早く手をつける予定だった、原一男さんから言われている犯罪もの映画のプロットを作る作業をはじめる。一応前回、簡単なものを作ったので、それをもとに肉付けしていくが、時代背景などどの程度入れるのか、判断に迷ってくる。それにホラーもの的な恐怖感をどうやって作り出せばいいのか。もう一工夫しないといけないと思い出す。やはりそう簡単にはいかない。楽しみながら、苦しみながらやるしかないだろう。


午後は池袋へ。その後、光が丘の実家へ。『「厄年」はある!』を渡す。母がブイヤベースを作ってくれていたが、どうもいままでにあまり食べたことがないらしく、ただの魚介のスープ煮になっている。サフランの粉末が家にたくさんあるのに、それを入れていない。やはりサフランでしっかりと煮込まないと、ブイヤベース独特の感じにはなってこないようだ。一度、ちゃんとしたレシピで作ってやらないといけないかもしれない。

帰りの京王線はひどく混んでいた。金曜の夜というせいだろう。駅から降りると、もやっていた。霧と言ってもいいのかもしれない。暗い中、霧が街路灯の光を受けて輝いていて、なかなか美しかった。写真にでも撮りたいところだが、素人には難しいだろう。

March 10, 2005

3月10日(木)

一日寝かした二つの原稿に改めて手をいれ、送信する。

昨日インタビューが収録された「ズームインsuper」を録画で見る。たしかに放送されていた。狭い家なので、セッティングに苦労し、いつもとは違う配置になっている。まあ、それに気づく人もほとんどいないだろう。別の局だか、番組では新興宗教に入っていたということが伝えられていたが、いったいそれは何なのだろうか。だいたい、宗教に関心がある人は、複数の教団に同時に入っていたりするので、教団の影響ということだけでは割り切れないことが多い。謎はやはり解明されないのだろうか。

海老蔵襲名披露公演5月の「勧進帳」を見る。これが収録されたときには、すでに団十郎は白血病で入院していたようで、弁慶は三津五郎。代役が大変ということはわかるし、このような特別な場合ということを考えれば無理もないが、「勧進帳」としてはいかがなものか。弁慶と富樫がまるでかみ合っていない。二人の対決による緊迫感などまるでなく、三津五郎も海老蔵も、いつになく下手に思える。しかも、見ていて眠くてしようがなくなる。たしか、初日の舞台を見たはずだが、同じ海老蔵もまったく別人だ。

週刊新潮の七之助の記事を読む。やはり海老蔵などと飲んでいたらしい。海老蔵がタクシーに乗せる前に、住所を言えるかどうか確かめたらしいが、それも無駄だったのだろう。泥酔した国会議員が強制わいせつで逮捕されたというニュースがちょうど飛び込んできたが、どうしてそこまで酔いつぶれることができるのか。私などには不思議だ。

March 09, 2005

3月9日(水)

イエスの方舟についての原稿を書き上げる。それから、『中外日報』から依頼されていた3枚の原稿も書き上げる。オウムの事件から10年で、そのあいだの時代の変化をどうとらえるかというもの。とりあえず、二つの原稿とも一日寝かせることにする。案外、その一日の間に、こうしたらいいかもしれないと思いつくことがある。場合によっては、根本的に直す必要が出てきたりもするので、どうしても寝かす必要がある。明日送ることにする。

某テレビ局から電話。伊丹市で107歳の男性がミイラ化した遺体で発見されたという事件について聞かれる。事情をあまり知らなかったが、酉年の3月に何かが成就するということで、死後5年だか10年だか放置されていたらしい。ただ、家族はその遺体に対して食事を提供していたともいう。また、青と黄の御幣もあったというが、宗教との関連はよくわからない。けっきょく、番組では扱わないことにしたようで、インタビューということにはならなかった。

事情はまったくわからないが、男性が酉年であることはわかった。それで酉年のことが出てくるのだろう。そこからわかることは、少なくとも、前の酉年、1993年にはまだ存命であったのではないかということくらいか。家族はさまざまな宗教にこっていたとも言われるが、宗教家の誰かにそんなことを言われたか、それに似たことを言われて信じてしまったのだろう。たまに世の中では奇妙な事件が起こる。こうしたものは、謎のまま忘れられていくことになるのだろう。

P.S.その後、またテレビでとりあげられることになり、日本テレビのインタビューを受けました。朝の「ズームインSUPER」で私のインタビューが放送されるのではないでしょうか。

March 08, 2005

3月8日(火)

『週刊新潮』の原稿を書く。あと1枚というところまで書く。果たして最後までいって、書き直す必要が出てくるのかどうか、今のところ未定。


午後、『不安を生きる』の再校を渡す。それから、久しぶりに放送教育開発センター時代の同僚で、今は東大教授の浜野さんに会う。紀の善という甘味処で会ったが、やはり着物であらわれた。前に、テレビに出ていたとき、着物を着ていたし、年賀状にも普段着物と書いてあった。大学には着ていかないらしい。浜野さんの話では、国立大学には昔服装の規定があって、教授は洋装と決められていたらしい。そんな昔の規定が今も生きているとは思えないが、それを気にしているとのこと。ちょっと時間を間違えて早く着いてしまい、二階の席まであがってしまったが、そこにいたのはテレビレポーターの東海林さんではなかっただろうか。前に彼女のやっていたテレビ番組に出た記憶がある。挨拶しておけばよかっただろうか。

帰りに、新宿へ行き、紀伊国屋のアドホックで画材を探そうとしたが、行ってびっくり、なんとか言う、DVD屋に変わっていた。2階にもあがったが、そこも同じだった。いったいいつ変わってしまったのだろうか。家に戻って調べてみると、どうも一昨年には変わっていたらしい。あまり来ないところなので気づかなかったが、談話室滝沢といい、新宿に当たり前にあって、消えていきそうにもないと思っていたものがどんどん消えていっている気がした。やはりそれは悲しいことだと思う。

3月7日(月)

イエスの方舟についての文章を書きはじめる。だいたい半分くらいのところまで書いた。このままうまく進んでくれればいいが、今回の原稿は後半に山がくるようになっているので、そこが難しいかもしれない。いろいろと資料を読んでみたが、イエスの方舟というのはその本質をなかなかとらえ切れない集団であるようにも思える。それは、あるいはキリスト教をとらえることの難しさに通じていくのかもしれない。

日本人のなかに、キリスト教の信者自体は少ないものの、キリスト教についての知識はそれなりに流布している。ただ、その知識はイエス・キリストについてであったり、聖書であったり、はるか昔のこと、あるいはヨーロッパやアメリカの歴史上に展開したキリスト教についてであって、日本のキリスト教が具体的にどのようなものであるかは案外知られていないように思う。その意味では、知識が割合と観念的な方向に流れ、具体性を欠いているのかもしれない。実際、日本におけるキリスト教のあり方について具体的に知ろうと思っても、一読してそれが分かるような本はまったくない。実際に信仰されている姿として、キリスト教は把握されていないわけだ。この状況は打破する必要があると思うけれど、それはひどく難しい作業になりそうな気がする。

March 06, 2005

3月6日(日)

今日は休み。かなり寒い。どうも明日からは暖かくなるらしい。寒いのには少し飽きた。

雑誌を片付ける。いつの間にかかなりたまっていた。本を本棚に戻したりするが、場所がなかなかない。本というものは厄介なもので、たまに古本屋に売っても、すぐにたまってしまう。すべての本が必要だというわけではないのだが、なくなってしまうと不便をすることがあり、それで処分できない。本のために部屋を借りているかのように思うこともある。なにしろ寝室に本棚を入れているので、大地震があったら、埋まってしまうのではないか。それも嫌だがだからといって、寝室から本棚を出すわけにもいかない。そこが困ったところ。

HDDレコーダー、今日、ひとつ今までわからなかったことがわかった。マニュアルがあつくて、必要なことがどこに出ているか、わかりにくい。まだ完全に使いこなしているとはいえないが、だいぶ操作に慣れてきた。

March 05, 2005

3月5日(土)

『寺門興隆』の原稿を仕上げて、メールで送る。『不安を生きる』の再校、出版社から疑問箇所を指摘したものに手を入れる。これで、『不安を生きる』は著者の手を離れることになる。

近くのスカイラークガーデンで昼食。子供づれの主婦でいっぱいで、閉口する。とにかく大騒ぎ。どうしてみんなこの店に集まってくるのだろうか。前は違った気がする。

確定申告を仕上げて、送る。やれやれだ。

北沢図書館へ、返却と取り寄せてもらった本の貸し出しをしてもらう。帰りがけに、電動歯ブラシ用の歯磨きが入ったと連絡を受けたので、近くの歯医者に寄る。受付のところに、先生が代わるという告知がなされていた。今週の頭にはなかったのに、どうしてことだろう。4月からということなので、大学にでも勤めるのだろうか。今度聞いて見なければならない。

イエスの方舟の資料を読む。何がということはよくわからないが、どこかに釈然としないものがある。それはいったいなんだろうか。方舟は、キリスト教として見て行くと、決して異端ではなく、むしろありきたいの気がする。その分、教えとしては面白くない。特異なのは、むしろ「シオンの娘」というクラブのほうなのではないか。そこらあたりのことをどう書くのか、頭が痛い。

March 04, 2005

3月4日(金)

朝のワイドショーでは、昨日の勘三郎襲名披露興行の初日の模様をやっていたが、思ったほど大きくは取り上げられていない。やはり事件の影響だろうか。一番熱心なのは、夜に特別番組を組んでいるフジテレビだが、ホリエモンを取り上げられない分、時間が空いたということだろうか。

『寺門興隆』の連載原稿を書く。だいたい終わる。もう18回目。どこまで続くのだろうか。書くことがあるから不思議だ。

午後から、病院に採血に行く。雪が心配されたが、量も少なく、湿った雪で、あらかた解けていた。電車とバスで行こうかとも思ったが、けっきょくいつものように自転車で行く。かなり寒いので途中で後悔する。病院はいつになくすいていた。採血の人の話では、昨日は大変な混雑だったらしい。みな、雪を恐れて、検査は昨日済ませてしまったのだろう。それでも、今日の朝、雪が降っているときにも検査の人が来たといって、なかばあきれていた。はじめて、デビッドカードで診察料の支払いをする。テレビコマーシャルとは違って、クレジットカードは使えないが、持ち合わせを心配しなくていい分、便利になった。

March 03, 2005

3月3日(木)

朝起きてみたら、娘がパソコンにむかって、小説の直しをしていた。徹夜したとのこと。かなり変わった。誤字脱字がないのが不思議。いったいどういう能力なのだろう。パスで帰るという娘を送りに新宿へ。

その帰り、家の近くの交差点で交通事故が起こっていた。自家用車とバイクとの衝突事故らしい。どちらもかなり損傷している。四輪駆動の自家用車の運転席に乗った女性は、茫然自失としていた。バイクの方は怪我をしたのかもしれず、現場にはすでにいなかった。

午後から、毎日新聞の内藤さんの取材を受ける。内藤さんとは、15年近くの付き合いになる。地下鉄サリン事件から10年ということで、いろいろと質問を受ける。2週間後くらいに新聞の方に載るらしい。ほかに、山折さんと桐野夏生さんに聞くことになっているとのこと。

その取材の始まる前に、歌舞伎チャンネルで勘三郎襲名の口上を生中継していた。玉三郎のところまで見たが、そこから見直してみると、玉三郎頭が白くなっているようで、完全に素になってしゃべっている。襲名を喜んでいるというのはわかるが、まるで口上らしくない。続いて仁左衛門の口上も、感激してことばが出ない。それに影響されてか、勘三郎も涙目での口上。末っ子三人が続くと、とかくこうしたことになりやすい。口上のなかでは、弥十郎がすっきりと素直に喜びを語っていて、好感がもてた。それにしても、3月の公演に三津五郎が出ていないのは、何か物足りない感じがする。盟友という感じで受け取ってきたが、どうして出演にならなかったのだろうか。今月は休みなので出られるはず。そこらあたりの出演者の選び方がよくわからない。

3月2日(水)

大学では文芸部に所属している娘が書いた小説を読む。浪人しようとしている受験生の話。本人は浪人の経験はないが、3年生になり、将来に対して考えるところがある時期だけに、そこから類推できるらしい。前半は面白いが、後半はありきたりになっているので、それを指摘する。締め切りが明日ということで、急いで直さなければならないと言う。

夕方から、早稲田大学の山田さんに久しぶりに会う。以前、『異文化とコミュニケーション』という本を作ったとき、事前に研究会をした仲だが、それ以来、ほとんど会っていなかった。夫人は、私の宗教学科の後輩でもあり、ご本人もたしか私の高校の後輩ではなかっただろうか。社会学会の事情について話を聞く。

そのなかで、最近の国立大学では、指導教授と博士論文を書いている院生とが一緒に飲むのを禁止しているところがあるということを聞いて仰天する。公務員の倫理ということらしく、博士論文を審査することの利害がかかわっているので、そういうことになるらしい。たしかにそうかもしれないとは思うが、どこか根本に誤りがあるのではないだろうか。頭を抱える。

March 01, 2005

3月1日(火)

3月に入ったというのに、ひどく寒い。かえって最近になって寒さが増している。

『不安を生きる』の再校に手を入れる。全体的には問題がなさそう。けっこう読んでいて、おもしろいと思える気はするのだが、どうだろうか。刊行が楽しみだ。

「学校へ行こう」というテレビ番組で、受験生が大学の合格発表に行くのに付き合うという企画をやっていた。3人とりあげられ、そのうち合格したのは1人だけだった。上智を受けた1浪の女子学生も、津田塾を受けた現役の学生も、どちらももう一度チャレンジすると言っていた。本人の選択だからなんとも言えないし、私には浪人生活の経験がないので分からないが、果たしてそこまでして志望校を目指すべきものなのだろうか。案外、浪人の経験はその後に影を落とすような気がする。相当に勉強してそれでも合格できないのなら、ほかの大学を考えたほうがよくはないだろうか。大学がどういうところなのか、高校生や浪人生が十分に把握しているとは思えない。どの大学かも重要だが、もっと大切なこともある気がする。

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