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June 17, 2006

6月17日(土)

 朝、少し部屋の片づけをする。いろいろ文書がたまっていて、本当はそれを整理しなければならないのだが、なかなか手がつかない。急がなくていいと思うと、後回しになってします。どこかで決断しなければならないと思う。

 昼からライブラリーへ。宗教と悪の本、はじめにの部分をなんとか書き上げる。これから、どう展開するかでこのままでいいかが決まるだろう。

 宗教学会での発表に関連して、星川氏からペーパーが送られてくる。宗教対話の可能性と限界について考えをまとめておかなければならないが、日蓮の「開目抄」を中心に発表してみるといいかもしれないと思いつく。一念三千や本仏論など、日蓮の教えが独特の宗教世界を作り上げることになったのが、やはり「開目抄」だろう。そこから、日蓮の攻撃性や排他性、日蓮主義や創価学会のあり方が出てきたはずだ。せっかく今年は「開目抄」を読んでいるので、それを役立てることにしたい。

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はじめまして。リチャード荒木と申します。島田さんの日蓮研究は立正大学の小松氏等らの手ほどきを受けているためか、宗派的な偏りがあるように思います。末木さんの『日蓮入門』のごとく、自分でテキストに当たり、きちんとした日蓮論を展開して下さい。また日蓮の排他性や攻撃性については、近年、東洋哲学研究所等でも熱心に研究されています。くれぐれも先行研究のレビューを忘れないで下さいね。学者としての基本ですから。参考までに、私見の一端を以下に記しておきます。

* * *

 もともと日蓮の「折伏」は、正法を誹謗する思想に対する反撃を意味していた。『開目抄』の結論部分に、「我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、悪人寺塔に火を放たんにせいせざるべしや、一子の重病を炙せざるべしや、日本の禅と念仏者とをみて制せざる者はかくのごとし」との言葉がある。日蓮が当時の禅宗や念仏宗を猛然と折伏したのは、「邪宗」の僧らが正法を誹謗しつつ人々を悪道に導こうとすることへの必死の「反撃」だった。
 誤解する人が多いが、日蓮における折伏は先制攻撃ではない。反対に、一方的な先制攻撃に対する民衆擁護のための「反撃」なのである。言い換えれば「応戦」である
 このように、折伏が基本的に「応戦」であるならば、正法への攻撃を止めた既成宗教、もしくは正法と縁のない外国の諸宗教に対し、創価学会の側から挑発的に攻撃する理由などまったくない。そうした状況では、相手をいたずらに刺激する「邪宗」という言葉よりも、「他宗」の方が適当であると私も考える。折伏とは、好戦的な侵略精神ではなく、平和志向の護法精神なのである。

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