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October 26, 2006

10月25日(水)白装束かあ

 『NA』の原稿、第3章に入る。20枚書き上げる。

 夕方から先端へ。武田さんに頼まれて、ジャーナリストコースの受講生たちに話をする。行くまで話の内容はまったく決めていなかったが、なぜ、新しい宗教について論じるようになったのかをまくらに、宗教教団について書くことの難しさ、その方法などについて語る。終わってから、もう少し夢のある話をしたほうがよかったのではないかと思ったが、これも現実だから仕方がない。

 帰宅してから、白装束集団、パナウエーブの教祖が亡くなったというニュースを知る。なにか、テレビの臨時ニュースでも流れたらしい。あの騒ぎもずいぶんと前の気がするが、その機関誌すべての目をとおしたことを思い出す。『寺門興隆』に創価学会の連載をはじめる前の号で、白装束について書いたことがあった。この集団、落ち着いてからもいろいろ問題を起こしているようだが、これでどうなるのかが注目される。

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Comments

昨日は貴重なお話をありがとうございました。聴講生の一人です。

社会が宗教とどのように向き合っていけばいいのか、そのための連結機能としてジャーナリズムがどのような役割を果たすことができるのか、考えるヒントをいただくことができました。考えてみれば、宗教という極めてセンシティブなテーマを扱うに際して、宗教と報道との距離の取り方については散々議論されてきましたが、宗教を報じる者と社会との距離の取り方についての議論はあまりなされていないような気がします。宗教が果たす役割を現実社会のなかで正しく位置づける試みの意義を、まずは社会が認めなければ(少なくとも、情報としてそこが欠落しているることに対する危機感を高めなければ)、宗教報道は変わりえないし、今後とも扱いにくい題材として嫌煙され続けるのかな、と思います。

昨日の聴講生の一人です。

お話を伺いまして、宗教と報道の距離の取り方については散々議論されていますが、宗教報道と社会の距離の取り方についての議論はあまりなされていないことに気付きました。宗教が社会のなかで果たしている役割・機能をジャーナリズムが正しく伝える素地として、まずは社会が宗教報道の意義を見直さなければならない(少なくとも、そこの情報が欠落していることの危うさについて危機感を高めなければならない)ことを認識しました。

昨日は貴重なお時間をありがとうございました。今後ともご活躍を期待しております

聴講ありがとうございました。改めて話をしてみて、その難しさを認識したところもあります。こういったことはマニュアル化できるようなことではないと思いますが、指針のようなものを作って、どこかに発表した方がいいのかもしれないとも思いました。

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福井市の白装束集団「パナウェーブ研究所」の上部組織で、宗教団体「千乃正法会」の千乃裕子(本名・増山英美)会長(72)が25日、同市内の病院で死亡した 福井南署によると、同日午後4時過ぎ、同会から119番通報があった。救急車の到着時には既に心肺停止状態だった... [Read More]

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