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November 20, 2006

11月20日(月)純粋経験をめぐって

 今書いている本の作業を進めるなかで、「純粋経験」というところにぶちあたった。これは、アメリカの心理学者ウイリアム・ジェームズの提唱した概念で、西田幾多郎が、その哲学の基礎に据えたことはよく知られている。西田の『善の研究』は、いわば純粋経験論のような書物だ。しっかりと読んではいないけれど、岩波文庫ではジェームズの『純粋経験の哲学』という本も出ている。

 ジェームズは有名だし、宗教学の分野でなら宗教心理学の古典的な著作である『宗教経験の諸相』が名高い。宗教体験、神秘体験の百科全書のような本で、体験を読んでいくだけでも興味深いが、この本では、体験の価値の問題を聖者性という、人格の外側にあらわれたものに求めていくのに対して、『純粋経験の哲学』では、反対に、体験の中身の方へ向かっている。それを西田は、参禅の体験と照らし合わし、善の悟りが純粋経験として論じることができることに気づいたわけだ。興味深いのは、夏目漱石も、ジェームズには強い関心をもっていて、彼が提唱した「意識の流れ」の手法を取り入れているところもある。そのあたりのことは、『人を信じるということ』のなかでふれた。

 そこに再びぶちあたったのは、中沢新一の「カイエ・ソバージュ」のシリーズを読み通したからだ。そのなかでは、「流動的知性」ということばが使われているけれど、けっきょくそれは、純粋経験と等しいものとして考えていいだろう。中沢は、フロイトの無意識は持ち出してくるが、純粋経験にはふれない。宗教学の人間なら当然、ジェームズには目を通しているはずなのだが、どうもあえてふれていない気がする。もし流動的知性を純粋経験として論じれば、彼の論考から独創性が消えると判断したのではないだろうか。そこらあたりに大きな問題がある気がする。

 それにしても、いつかこの純粋経験のことは、宗教学の問題として考えてみたいと思っている。井筒俊彦が『意識と本質』のなかで展開したことも、結局は、この純粋経験の問題につきているような気もする。その意味では、西欧的な神と、純粋経験とは、根本的な対立関係にあるものと見ていいだろう。前に『神と空』という本を書いたけれど、空も純粋経験に通じているはずだ。

 

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