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November 23, 2006

11月22日(水)こんな狐忠信見たことがない

 正直驚いた。新橋演舞場で、花形歌舞伎の夜の部を見たけれど、最後の「義経千本桜 川連法眼館」は圧巻だった。いつもいろいろと驚かしてくれる海老蔵だが、今回の舞台はその本領が発揮された舞台だった。

 まず、本物の忠信の出が違う。化粧を変えているのか、完全に病み上がりの姿。故郷出羽で破傷風にかかって死にかけたということをそのまま描いている。その病んだ姿が、美しくもあり、また、自分がもう一人いるということを聞いて当惑するところにうまく合致している。病み上がりだと言うことは、指導を受けた猿之助から言われたようだが、猿之助の舞台では、こうではないのではないか。

 すごいのは狐忠信になってから。狐言葉は、いろいろと批判もあるようだが、相当に工夫はしているものの、まだ完成の域に達していないものと見た。それでも、ほかの役者が狐言葉を使ったときの不自然さというか、ぎこちなさがない。そこに十分に狐としての感情が、しかも子狐としての感情が表現されている。

 そして、圧巻は身のこなし。なぜこれほど軽やかなのか。人間業とも思えない。狐としての喜びの表現は、とかく大げさに見えるものだが、やはりそれがない。子狐の嬉しさが、そのまま観客に伝わってくる。宙乗りでの全身を使った喜びの表現は、誰もやったことのない新しいものではなかっただろうか。

 最初から最後まで食い入るように見てしまった。昼の弁慶もよかったが、やはり今回はこの狐忠信につきる。葵太夫とのコンビも、「実盛物語」のときを思い出した。要するに、「助六」も含め、海老蔵の真骨頂は「語り」にあるのかもしれない。一人で、一つの物語を語ったとき、そこには独特の世界が繰り広げられる。

 海老蔵もそうだが、松録も菊之助も声が少しつぶれている。あまり気にならないが、それだけ今回の舞台は過酷なのだろう。ほかに、「馬盥」の松也と「船弁慶」の梅枝の成長が著しい。若手だけで、これだけの舞台ができるというのは、本当にすごいことなのだと改めて思った。

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