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November 06, 2006

11月6日(月)推理小説としての研究

 ここのところ、一冊の本にかかりっきりになっているけれど、自然と力が入ってくるのは、書く作業が謎解きになっているからではないかと思う。以前、『父殺しの精神史』という本のなかでも書いたことだが、そもそも研究という作業は、推理小説を書く作業に似ているように思う。まず、謎があり、その謎を解くために、さまざまな証拠を集めていく。証拠はどこに隠れているかわからないので、それを丹念に拾い上げ、想像力を発揮して、一見関係のなさそうなものでも、それが証拠として使えるかを探っていく。そして、集まった証拠を前にして、推理を働かせ、それで謎を解いていくわけだ。

 謎がはっきりしていない研究は、曖昧なものになり、筋道もうまく立ってこない。結局、いい研究というものは、解くべき謎がはっきりしていて、いってみれば、犯人を具体的に思い浮かべられるものだということになる。当然、その犯人は意外な人物でなければならない。最初から犯人に見えるような人物は犯人ではなく、その陰に隠れて、犯行を隠そうとするのが真犯人だ。その真犯人をとらえるまでがスリリングな展開になり、研究をおもしろくする。それは、本を書く作業そのものにも言えることで、おもしろい本というものは、自ずと推理小説のような展開をするものということになるのではないだろうか。

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Comments

先生のおっしゃること、とてもよく分かります。特に私は「HISTORY」の専攻でしたから、研究では自らSTORYを作っていくということが楽しかったですし、それこそが求められていたのではないかと思います。

しかし院時代には、先輩の研究などを見るに、思惑と結果が一致しないということがあり、謎ときが平凡な方向に行ってしまい、謎が本当に謎足りえたのかというケースも発生し、研究の難しさを感じていたことも事実です。まあ、その辺りの見極めがつくかどうかを指して「才能」というのかも知れませんが。

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