12月15日(金)「開目抄」が終わる
日蓮遺文の勉強会、「開目抄」が終わり、先生によるまとめがある。今年のはじめから読み始め、途中休止になった会があったので、12月までかかった。今日も、先生によるまとめと、質疑で終わってしまった。2006年は「開目抄」の年となった。
「開目抄」は、佐渡に流された日蓮が、苦しい状況のなかで執筆した大作で、思想的な展開を見せる書物だが、彼を執筆に駆り立てたのは、間違いなく、彼を襲った法難の数々である。「守護国家論」に示されたように、日蓮は、日本の仏教思想史上、希有な理論家であり、「守護国家論」は、天台の教判をもとにした体系的な思想書であった。その論理の展開は合理的で、ほかにこれだけの合理性、体系性を持った思想家はいるのかと思わせるはずだ。それは、一般の日蓮のイメージとは異なっているだろうが、その点は重要なことだと思う。
その「守護国家論」の議論を実践に移したのが、「立正安国論」になるわけだが、その執筆によって、日蓮は数々の迫害を受けることになる。そして、最終的に佐渡へ流される。酷寒の地で、日蓮はなぜ自分がこんな目にあわされるのかを考え、そのなかから法華経の行者としての自覚を確立していることになる。そして、天台教学に基礎をおく、「一念三千」の重要性を自覚し、そこに万人救済の根拠を求めようとする。だが、ここで一つ気になるのは、数々の法難を受ける原因を、日蓮が過去世における法華経に対する謗法の罪に求めている点だ。一念三千は、現在のこの一念のなかに世界全体が包含されるという、ラジカルな認識論だけれど、その後に、過去世という、既存の仏教思想の議論がそのまま援用されている点は、ある意味、日蓮の敗北を示しているのではないかとも思う。ただ、この後に、それを日蓮が乗り越えていくわけで、そこにこそ彼の宗教家としての本領があるとも言える。
来年は、「観心本尊抄」を読むことになる。それで大きな山は越えたことになるのだろう。勉強会の後、忘年会に出て、帰る。
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