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January 05, 2007

1月5日(金)「寺子屋」を見て兄弟の難しさを感じる

昨日の夜、歌舞伎チャンネルで幸四郎と吉右衛門の「寺子屋」を見た。これは、去年9月生の舞台を見たものだが、「寺子屋」だとどうしても見てしまう。これだけよくできた歌舞伎も少ない。何より、二人の男が真正面からぶつかるという設定がいいのだろう。「勧進帳」もそうだが、まさにガチンコ勝負だ。

この「寺子屋」を改めてみて、すばらしいのは幸四郎の松王丸だ。これまで、現代劇の、あるいはミュージカルの役者としての幸四郎は評価できても、歌舞伎の幸四郎は評価できなかった。「寺子屋」の松王丸も、大げさすぎると感じるところがあった。ところが、今回は違った。見終わって、幸四郎は偉大な歌舞伎役者なのだと思ったし、今、ほかにこれだけすばらしい松王丸はいないとも思った。首実検を終えての「源蔵でかした」のところにそれが一番現れている。あるいは、息子の最期を聞き、「笑いましたか」と言うところでもそうだ。これまでとは違い、抑制がきいているからこそ、感動的な場面になっている。

なぜそうなのか。それは、源蔵が実の弟の吉右衛門だからというところに尽きるだろう。別に松王丸と源蔵とは血がつながっているわけではないが、二人の役者の呼吸がとにかくあっている。その合方は、おそらく兄弟にしかできないものだろう。それがあるからこそ、幸四郎としては抑制した演技で、十分に松王丸の苦悩と喜びを表現できるのだ。

そして、思った。だからこそ、兄弟の共演が避けられてきたのだということを。吉右衛門は名優だが、兄と相対するとどうしてもその引き立て役になってしまう。幸四郎は、吉右衛門が相手だと、自然に威厳ある人間を演じられるのだ。今回の「寺子屋」でも、前半は吉右衛門が生きているが、舞台が進むにつれて、幸四郎が表に出て、吉右衛門はその分霞んでくる。最後は、幸四郎が吉右衛門を圧倒している。これでは、弟として浮かばれない。二人が共演し、ガチンコ勝負を繰り広げれば、名舞台ができる。だが、それは、最終的に幸四郎をもり立てることにはなっても、吉右衛門が浮上することにはつながらない。

私には男の兄弟がいないので、そこらあたりのことが実感できないが、同性の兄弟という関係はひどく難しいものなのだろう。「寺子屋」を見て、改めてそれを感じた。

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