4月20日(金)「夫」という日蓮の書き出しについて
桜上水団地では、ソメイヨシノが終わった後、八重桜が咲いて、楽しませてくれる。毎年のことだが、この頃になると春も本番になってくる。ようやく、暖かさも戻ってきた。午前中は、『公明党vs創価学会』の直し。一応最後まで行く。これで、冒頭から直していくと完成するはずだ。
午後は、日蓮遺文の勉強会。最近出席者が多い。今日も数えてみると、受講生が16人いた。一度は一桁だったが、人数が多い方が活気がある。講義は、いよいよ「観心本尊抄」の本文に入った。ただ、それほど進まず、内容的に疑問になるようなところもなかった。
何を聞こうかと考えていると、書き出しのことに思い至る。昔の文章を読んでいると、今と違い、はじめにといった形で文章がはじまることがない。序文もないし、いきなりはじまる感じがする。日蓮もそうだが、いくつかパターンがあって。大きく分けると、「夫(それ)」ではじまるものと、問答形式で問いからはじまるものがある。とくに「夫」ではじまりものは少なくない。これは、一つの文章を書き出すためのパターンだったのだろうか。この問題、亡くなった高木豊先生が、講義のなかでふれたことがあったという。どういうお考えだったのか聞きたかった。
ところが、「観心本尊抄」の場合には、出だしが変わっていて、摩訶止観五の引用からはじまる。そして、終わりは日蓮これを注すとなっていて、注釈であることがわかる。こういう文集は日蓮にしては珍しい。内容的にも理論的で理路整然としている。「開目抄」は環境が劣悪だったこともあって、構成に乱れがあるし、日蓮という自称も多い。それに比べると、「観心本尊抄」は安定している。日蓮としては、思想的な頂点を迎えたものなのだろう。
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