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June 16, 2007

6月15日(金)日蓮封印論が現代では必要なのかもしれない

外に出ると暑い。梅雨に入ったばかりだけれど、なんだか梅雨明けしたような夏の天気だ。午前中、三田会について書き、第1章の終わりまで行く。構成を直して、書きやすくなった。これを直すとこの章だけで50枚くらいになるだろうが、表もあるので、頁としてはもっと多い。

午後は、日蓮遺文の勉強会。受講生の出足が遅かったけれど、最後はいつものような人数に増えていた。中身は、「観心本尊抄」の続き。議論として、詰めてあり、きりきりと話が進んでいく感じがする。講義を聴きながら、気になったので、日蓮が、この前展覧会で見た円仁、慈覚大師のことをどのように書いているのだろうかと調べてみると、身延期の遺文では慈覚大師批判を展開しているようだ。やはり、この二人、考え方がまるで違うのだろう。なんでもありの慈覚大師と、これしかだめだの日蓮では所詮あうはずもない。ある意味、慈覚大師がいて、さまざまなものを天台に持ち込んだからこそ、日蓮がそれを批判し、日蓮宗という新しい宗派を開いたとも言える。

先週、日にちを間違えた「立正安国論」についてのシンポジウムでは、安国論封印論が出て、議論が盛り上がったようだ。それは、日蓮のなかに暴力を肯定する部分があり、それが現在の平和主義的な仏教像にそぐわないかららしい。これはなかなかおもしろい議論で、それならいっそのこと「日蓮封印論」で出てもいい気がする。開祖の言うことは、どの宗派でもそうだが、過激で、原理主義の傾向をもつ。つまりは、他の宗派を認めず、それを暴力的に排除することを肯定する論理が含まれるわけで、危険思想を内包している。ならば、開祖の教えは封印する必要があるのかもしれない。そんなこと不可能と思われるかもしれないが、近世の日蓮宗では、事実上、日蓮の教えは封印されていた。浄土真宗だって、「歎異抄」は封印され、門徒は読めなかった。そう考えれば、日蓮封印論も不可能ではないだろう。

勉強会が終わってから、紀伊國屋書店上の歯科医へ定期検診。終わってから、歯科三田会のことや、三田会のつながりについて話を聞く。やはりその関係は緊密なようだ。

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