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June 23, 2007

6月23日(土)仏像の時代ということを考えるようになった

ブログを書こうとして日付を入れてみたら、今日が6月23日だということに気づいた。なんだか、家で仕事をしていると、曜日の感覚はあっても、だんだん、日付の感覚がなくなっていくような気がする。だいたい、今日が何日だということをあまり意識していない。昔だと6月23日というのは、安保の日という感覚があった。今ではその感覚はすっかり薄れてしまっているだろう。

『日本宗教美術史』ようやく飛鳥時代に入り、仏教美術の話になってきたが、それは「仏像の時代」のはじまりだと思う。あまりそういう言い方はされていないが、優れた仏像が次々と生み出され、各地の寺院に安置されるようになるのが仏像の時代だ。

ただ、仏像の時代の中心はあくまで奈良という場所にあるように思う。平安時代になると京都の寺院に仏像が安置されるようになるが、奈良の仏像と京都の仏像は、仏像単体の重要性ということではかなり違うように思う。たとえば、奈良の寺を訪れるときには、仏像を拝観しにという意識がわくが、京都だと、仏像と言うよりも、庭であったり、建物であったりする。清水寺に仏像を拝観しに行くということはあまりないだろうし、三十三間堂でも、1001体の観音像が作り出す空間に接しようとするのであって、個別の仏像に出会おうとして出向くことはない。

その後、鎌倉時代になると、個性的な仏像が慶派の手で作られるようになるが、それも主に奈良を舞台にしてのことで、東大寺の復興などが関係している。その点で、仏像の時代は、奈良固有の時代なのかもしれないと思う。古寺巡礼ということばが、たんに和辻の影響だけではなく、奈良・大和を思い起こさせるのも、この仏像の時代と関連するだろう。不思議と、京都だと古寺巡礼というイメージがあわない。不思議なものだと思う。

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