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July 10, 2007

7月10日(火)蜷川は歌舞伎に負けたのではないかと思わせる「十二夜」のでき

慶應三田会、第4章に入る。14枚ほど書く。日本宗教美術史、第3章を直す。あと1回で最後まで行きそう。次の奈良時代のことも考えなければならない。東大寺と興福寺が中心になるのだろう。

歌舞伎座、3階の1列目が手に入ったので、「十二夜」を見に出かける。初演は、実際の舞台は見ていない。歌舞伎チャンネルで見ただけだ。筋書きを読むと、この前の記者会見でも言っていたが、歌舞伎により近づいているとのこと。

残念ながら、期待したほどおもしろくなかった。より歌舞伎的になった分、シェークスピアらしさがなくなっている気がする。蜷川の舞台はこれまで何度か見てきたけれど、あまり蜷川の演出という感じがしない。むしろ菊五郎劇団の歌舞伎という雰囲気の方が強い。これだと、蜷川演出でやる意味があるのだろうか。鏡を使ったおかげで、3階席でも、花道などがよく見えてありがたいが、それ以上の演出効果があるとも思えない。なんだか、再演によって、蜷川が押しやられたという印象を受けた。これだったら、国立劇場の正月に菊五郎劇団がやっている復活狂言とあまり変わらない。

なんのために、歌舞伎でシェークスピアをやるのだろうか。蜷川演出の必要性はどこにあるのだろうか。今回の再演は、それが不明確になっている。シェークスピアの芝居は、役者が自分の思い、感情をすべて台詞として吐露する形になっており、歌舞伎とは正反対だ。すべて役者によって語られてしまうため、観客に次の展開がみなわかってしまい、舞台が進むにつれて期待感が薄れていく。しかも、小田島訳はだじゃれが多く、そうした台詞は底が浅く感じられてならない。男と女の対比、同一性、裏返しということについても、女形が男に化けるという複雑さがあまり生きていない。一番生き生きしていたのは亀治郎だが、彼の場合には、まるでシェークスピアとは違う芝居をしている。自分の出番については、自分で演出してしまったのではないか。

これだと、蜷川は歌舞伎に負けたという印象だけが残る。彼は歌舞伎のなかに引き込まれ、骨抜きにされてしまったのではないか。役者は、さすが蜷川とほめているのだろうが、ちょっと利用されているだけにも見える。それだけ、歌舞伎を演出するということは難しいのだろう。蜷川が、歌舞伎でシェークスピアをやって本領を発揮できるとしたら、「マクベス」とかをやったときだろう。やはりそのとき、脚本が一番問題になる。果たしてそうした試みはなされるのだろうか。喜劇ではなく、悲劇で勝負して欲しい。


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