8月17日(金)新宿ジュンク堂で和辻の『孔子』を買った刹那、来年は『師』という本を書くべきかと直感する
10大新宗教、天理教を書き上げるが、最後の一文がいまいち。これが決まれば、次の項目に行ける。次は、大本教について書く予定。
日蓮の勉強会。「観心本尊抄」の続き。どうも、この文書は苦手だ。内向きというか、何を問題にしているのか、どうもわかりにくい。講義が終わってからの質問、渋沢さんの質問がよくわからなかったので、その意図を聞いてみる。いつも同じことを聞かれているようなので、そこを確かめてみたら、やはりそうだった。真蹟のある遺文だけ追っていくとわからないが、真蹟のない遺文のなかには、真如ということを問題にする、本覚思想的なものが少なくないらしい。そうした文書にもとづく救済論だと、本来の人間の心のありようである真如というものを想定し、そこへの復帰というか、回帰をめざすらしい。それは、密教的、あるいはグノーシス的な志向の方法ということにもなるが、そうした傾向が実際には日蓮にはないことを、渋沢さんは確かめたいらしい。それがわかって、日本の仏教を、他の宗教と比較する道が開けたように思えた。
勉強会の後、ジュンク堂へ。久しぶりに本をゆっくり見る。平城京のバブル経済をあつかったような本はないようだが、案外、中公の日本の歴史がいいのかもしれない。漱石と賢治の棚が、一つ分上から下まで本が占めているのを見て、感心する。最近気に入っている岩波文庫のワイド版、今日は和辻の『孔子』を買ってみた。そのとき、来年は『師』という本を書いた方がいいかもしれないという「啓示」が下る。ずっと書き続けてきたもの、オウム論にしても、創価学会論にしても、中沢新一論にしても、さらには自分の恩師について書いたものも含め、宗教学の世界で問題にしていることは、つねに師の問題でもあるように思う。そこらあたり、師とは何かを問うような本を書く必要がありそうだ。
伊勢丹では、新装なった地下食品売り場を歩いてみる。高級なものが並んでいるが、じっくり見ないと何がないかわからない。京都の土井の漬け物を買う。
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