9月9日(日)10月19日に東大仏教青年会で師について講演することになった
有田芳生さんのブログで、『公明党vs.創価学会』を読んだ感想が述べられていた。彼にとっては、『現代公明党論』が処女作だというから、公明党に対する関心は強い。それが反映された感想だと思った。ちょうど、明日重版が出来るはずで、グッドタイミングな感想になったかもしれない。
梅ヶ丘図書館に自転車で出かける。世田谷区の図書館では、1館あたり5冊借りられることになっている。経堂図書館ではすでに5冊借りてしまっているので、梅ヶ丘に回して貰うことにした。杉並区では15冊借りられるので、こちらとしてはそうして欲しい。経堂図書館、駐輪場のコインがいらなくなった。これまでいちいちカウンターで頼まなければならなかったので、面倒だった。
10月19日金曜日の6時から、本郷三丁目近くの東京大学仏教青年会で講演をすることになった。最初、「師」というタイトルを申し出ていたが、これでは少しわかりにくいので、副題をつけ、「師―それはいかなる存在なのか」とした。仏教に関連すれば何でもいいと言われたが、この師という存在は、興味深い。自分が研究してきたものでも、オウムでも、創価学会でも、あるいは慶應三田会でも、師ということがひどく重要な意味をもっている。中沢新一論でも、そこが問題だし、四方田氏の『先生とわたし』もまた師について述べたものだ。
まだ、十分には考えていないが、師という存在をとくに重要視するのは、東洋的な伝統だろうか。もちろん、西洋でも、キリストやソクラテス、あるいはムハンマドも師であるには違いないが、少し違う気がする。神や真理というさらに上位の存在がいるせいだろうか。日本の仏教でも、親鸞と法然、そして「歎異抄」の問題やら、日蓮道元など、師ということがいつでもクローズアップされてくる。逆に、今読んでいるハリーポッターだと、魔法使いの話なので、師が出てきてもおかしくないが、師と呼べるほど個別な関係は重視されていないようにも思える。あれやこれや、いろいろと考えてみたい。
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