10月20日(土)「逆風満帆」の連載を読んで改めて自分がわかったようなわからなくなったような気がする
朝日新聞のbe土曜版、「逆風満帆」での連載が最終回を迎えた。写真は、吉野ヶ里歴史公園の古代人を前にしてのものだった。あの日、かなり暑かったのを思い出す。
自分について書かれた記事を読むというのは、かなり複雑なことだが、これまで経てきた道、自分が書くにしても、誰か他の人が書いてくれるにしても、なかなか表現することが難しいことばかりだということを改めて痛感する。若い頃にヤマギシ会にかかわったということがあって、それがオウムとの関わりに結びつき、バッシングを受けて、長い時間をかけてそこから立ち直っていく。ストーリーを簡単にすれば、そういうことになると思うけれど、記事のなかでは扱われていないさまざまな出来事があって、その全貌をすべて示すには、相当の量が必要だろう。それに、量をかけたからといって、それですべてが明らかになってくるわけはない。なにしろ、本人にとってもわからないこともあるわけで、人の人生を描く、あるいは自分の人生を語ることは本当に難しいことなのだと思うしかない。そして、今自分はどこに向かおうとしているのか。だいたいわかっているようで、未知数でもある。
たしかに、バッシングを受けた頃に比較して、最近は、本当に大人になったと自分ながら思う。ちょうど厄年の頃がバッシングの時期だけれど、40を過ぎても、はっきり大人になっていたとは言えない気もする。それからの10年で、たしかに自分は何かを学習し、変化をとげてきたのだと思う。それは、バッシングを受けた結果なのか、それともただ年齢を重ねた結果なのか、それはよくわからない。変化についても、それがどういうものか説明も難しいが、判断力というか、読みというか、そういうものがついたということのようでもある。それによって、講演などで感じるが、表現力がついたと思うし、本を書くときも、外さなくなったような気がしている。人間が生きるということは、やはり難しい。かえって今の時代だからこそ難しいのかもしれない。
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