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October 2007

October 31, 2007

10月31日(水)新古寺巡礼第2日

古寺巡礼第2日。朝、8時に出発し、斑鳩にむかう。あまり予想していなかったが、道路が渋滞していて、着くまでに1時間かかった。それでも、朝の法隆寺はひどく気持ちが良い。天気も考えられないほどいい。それだけでもついている。『サライ』に書かれていた順番で法隆寺を回る。ここへ来たのは中学の修学旅行以来で、まったく記憶がないが、全体に整備が行き届いていて、雰囲気も最高だ。さすが法隆寺というのが最初の印象。

金堂の古仏の数々を見て、5重の塔の塑像を見る。金網の向こうで見にくいのが残念だ。ただ、やはり建物は美しい。よくこれだけのものが飛鳥時代にできたものだと感心する。西円堂から聖霊院を経て、大宝蔵院へ。百済観音や玉虫厨子、夢違観音や九面観音、伝橘夫人念持仏など、優れた国宝の数々が並んでいる。圧巻はやはり百済観音。その大きさが印象的だし、プロポーションも独特だ。この後を継いだものがないだけに、いったいどういうモチーフで作られたのか謎は深まる。

夢殿では、公開期間中なので、救世観音にも出会えた。ただ、暗くてあまりよくわからない。それでも、写真で見るよりはるかにふくよかなことがわかった。その後、中宮寺で2年ぶりに菩薩半跏像にも出会う。いつ見ても美しいが、昨日興福寺で見た仏たちの損傷ぶりから比較して、いかにもとの美しさを保っているかがよくわかった。金箔は剥げ落ちたが、その下の黒漆が残った結果だ。この時代の漆を使いこなす技術について考えなければならないと思う。それはすさまじい技だ。

そこから、飛鳥へ。三輪で昔食べたそうめんの店をまた訪れることができた。相変わらずうまい。柿の葉寿司も柿も食べたが、どれもうまい。そこから、聖林寺へ。はじめて聖観音に出会う。ほかに脇侍などがないのがいい。何かほっとする仏だ。本堂の地蔵は巨大で、それにも驚く。談林神社にも行くが、神社なのに拝観料をとるのがどうも納得できず、そのまま帰ってくる。

飛鳥寺へ。飛鳥大仏をはじめて見る。写真で見たときにはわからなかったが、作られた当時のまま残っている顔の上の部分と手の一部、これがなかなかすばらしい。後の部分、後生に補修したものは、ないほうがいい。顔と手だけで残っていれば、まちがいなく国宝だろう。そこから、高松塚へ。全体が公演になっているが、肝心の高松塚、何かスパゲティー状態の病人のようだ。最後に石舞台に寄る。

October 30, 2007

10月30日(火)新古寺巡礼第1日

古寺巡礼第1日。朝8時50分発の新幹線で奈良にむかう。定刻通りで12時に奈良に到着する。昼食をとったあと、まずは興福寺へ。特別拝観ということもあり、また、修学旅行シーズン、正倉院展目当てということで、たくさんの人出。とても平日とは思えない。

興福寺を訪れるのも久しぶりだが、だいぶ創建当初の建物を復元する試みが実現の方向に向かっているようだ。前は、ただ奈良の街の中に点在しているという感じだったようにも思うけれど、今は伽藍が建ち並んでいきそうな気配だ。興福寺でやはりすごいのは、国宝館で、阿修羅像をはじめとする八部衆像、それに仏頭などはやはり圧倒される。中央にそびえ立つ千手観音像もなかなかのものだが、惜しむらくはここがお堂ではなく、国宝館だということ。なんとかちゃんとしたお堂を建ててやれないものかと思う。

東大寺に向かう途中、正倉院展に並ぶ人の多さに驚く。そのまま大仏殿から法華堂へ。この法華堂はこれまで来たことがないような気がするが、本尊の不空羂索観音は圧巻だ。それにしても、小さな空間のなかに仏像を詰め込みすぎている気はする。興福寺にしても、東大寺にしても、少し仏あまり状態にあるようだ。

二月堂で奈良の街を一望し、正倉院の建物を外から見て、戒壇院へ。ここらあたりの大仏殿の裏の道は風情があって、いかにも奈良をめぐっているという感じがする。戒壇院の四天王は国宝だというが、これも祀られている場所がよくない。和辻もそのように書いているが、まったくふさわしい場所とは言えない。

そこから正倉院展に行くと、さすがに夕方で、人も少ない。ゆっくりと待たずに見ることができた。もう59回ということで、新しいものはそれほどないし、目立つものはない。むしろ、平常展の方が、思わぬものがあって、興味深かった。今日一日で、いったいいくつ国宝を見たことになるのだろうか。とんでもない数になるような気がする。どこで何を見たかもよくわからなくなる。

そのまま、同行してくれる芸術新聞社の渡邊さんと大阪へ。車をとりにいく。夕食ということで、焼き肉でもと思い鶴橋に寄る。ここははじめてだが、駅を出ると焼き肉屋街になっている。「神牛」という店に入ってみるが、これまで食べた焼き肉とはまるで違う。これだけのものを東京で食べたらとんでもない値段がしそうだ。焼き肉は鶴橋に限る。梅田へ出て、車で奈良へ戻る。

October 29, 2007

10月29日(月)育児書を買う

明日から、奈良に行く。3泊4日の予定で、古寺巡礼をする予定。『日本宗教美術史』を書いていて、やはり奈良はもう一度見ておかなければならない。たいがいのところには行っているが、宗教美術という点からは見ていないので、これまで書いた原稿とどう重なり、どう重なっていないかを確かめたいと思っている。4日で全部まわるのは相当に大変だが、いったいどの程度まわれるだろうか。この期間ではないと公開していない仏像などもある。「正倉院展」も開催中だし、行きたいところをあげると本当に多くなる。

一方で、『日本宗教美術史』の第5章、密教の部分を書き続ける。8枚くらいしか書けない。そこまでいって、頭がまったく働かなくなった。

夕方、買い物に出かけ、書店で今度岩波書店から出た育児書、『育育児典』を買う。別に子どもが生まれるわけではないし、孫が生まれるわけでもないが、大学時代、行政学者の大森弥先生のゼミに出てことがあり、そのゼミでは、日米の育児書の比較から社会化の問題を扱っていた。そのとき、『スポック博士の育児書』と松田道雄『育児百科』を読んだ。

それ以来、育児書のことは気になっていて、今回の本は久々に出た本格的な育児書だと思う。細かく読む本ではないが、ざっと見たところ、今の育児環境の難しい問題を含め、かなりきめ細かく書かれているように思えた。それだけ、育児ということが昔より大事になっているということだろうが、育児書の影響は小さくない。今回の本が、どういった影響を与えるか、これからの日本人の生き方にも通じるだけに見逃せないことではないか。

実は著者の一人、毛利子来氏とは縁がある。『80年代』という雑誌では、ともに編集委員で、しかも、毛利家の下のお嬢さんの家庭教師もしたことがある。今はどうしているのだろうか。

October 28, 2007

10月28日(日)私たちが何を失ったのかという点が二つの展覧会から明らかになってきた

昼から出かける。飯田橋へ。トッパンが作った印刷博物館へ。ここははじめて。飯田橋から歩いて10分以上かかる。「キンダーブックの80年」という表紙の変遷を扱った展覧会がお目当て。これは無料。戦前に生まれた児童向け雑誌がどのように変化を遂げてきたかがわかる。子どもの頃、見ていたことがあるかと思うが、記憶には残っていない。今見ると、昔の方がはるかに興味深く見えるが、子どもの姿が今よりも豊かに描かれている気がする。生活が、もっとわかりやすいものだったのかもしれない。逆に、今の表紙に描かれた子どもは貧相だ。そこに時代が映されているのだろうか。

あわせて、「百学連環」という百科事典と博物誌についての展示を見る。昔の細かな記録画を見ていると、写真の弊害ということを考えてしまう。あれだけ細かに物を描くということは、それだけ細かな観察をしているということだろう。それが写真に撮るということになると、細かなところに目がいかない。そうなると、物との距離が遠くなり、曖昧になる。果たしてそれでいいのか。少し考えてしまう。

バスで上野へ。芸大の美術館に行く。「岡倉天心展」。彼が芸大でどのような教育を行ったのかを中心とした展示だが、国宝の絵因果経をこの美術館が所蔵しているとは知らなかった。ほかにも、かなりいいものが所蔵されている。ここでも、明治なので、調査した美術品を写真にとるのではなく、随行した画家がスケッチするというやり方がとられている。他にも、天心は芸大の教授陣に模写を積極的にさせていたことがわかった。印刷美術館で確認したことと通じている。

なかでも一番優れていたのは、竹内久一の東大寺法華堂の伝月光菩薩立像の模造。相当にできがいい。塑像が木像で表現されているのもすごい。この竹内久一という人、これまで知らなかったが、相当の実力の持ち主だ。観音像もいいし、日蓮の像もいい。職人上がりで、特殊な領域に秀でた人間だったようなので、これまであまり注目していなかったのかもしれないが、宗教美術史という観点からすると重要だろう。

帰りに小田急デパートに寄るが、エレベーターのなかで、原一男さんの奥様に久しぶりに出会う。原さんは大阪芸大の先生になっていて、毎週大阪に通っているとのこと。奥様も同行しているらしい。

October 27, 2007

10月27日(土)『慶應三田会』がいよいよ出版されることになった

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いよいよ『慶應三田会―組織とその全貌』が三修社から刊行される。来週の頭には書店に並ぶことになるのだろう。ネットで検索したら、名古屋のちくさ正文館という書店の新刊案内で紹介してくれていて、そこには、次のように書かれている。

29万人もの会員がいると言われる三田会とはいったいどういう組織か。その結束力の強さは広く知られていても、その実態は明らかにされてこなかった。本書が目指すのは、その三田会の実態の把握である。
「オウム」「オウムと9・11」でオウム真理教を、「創価学会」「創価学会の実力」「公明党VS創価学会」で創価学会を丸裸にした、島田裕巳が次に対峙するのは「三田会」だ!

最後のところがとてもいい。こういう紹介はとてもうれしい。大学の同窓会というものを真正面から扱った本というのは、私が調べた限り、今まで存在していない。あまり注目を集めない領域なのかもしれないが、大学というのは卒業してからの年月の方が長くなるわけで、その点で、同窓会がどういった役割を果たしているかはかなり重要なことだと思う。

そのなかでも、慶應の三田会は、抜群の結束力を誇っている。それはたんに親睦のための集まりではなく、日本の社会全体に間違いなく影響を与えている。その全体像は明らかにされてこなかったし、慶應の卒業生でも把握していないはずだ。その点では、三田会の会員にも、そうでない人にも興味をもってくれるのではないか。昨日、この本を見た人が、ぱらぱらと頁をめくっていて、「早稲田というのは慶應のために存在しているようなものですね」と言っていたのが、おもしろかった。まさかそんなこともないだろうけれど、早稲田の人にとっては、慶應はとても気になる存在なのだろう。是非、早稲田を卒業した人たちにも読んで貰いたい。

10月26日(金)日本はすでにアジアでおじさんたちはハリーポッターについて語り合う

安全・安心の実務家コースについてメールでやりとりする。全体が決まるまで後一歩だ。『日本宗教美術史』の原稿を少し書く。ほかに、水野さんとの対談本について、メールと電話でやりとり。『論座』からは今年の三冊の原稿を頼まれる。

午後は、『日本の10大新宗教』のゲラを見たものを編集者に渡す。これは、11月30日に出ることになっている。次の企画についても打ち合わせをする。

打ち合わせが終わってから、伊勢丹へ。実家に送るおせち料理などを予約するが、伊勢丹に来るといつも、アジアから来ている人の多さを感じる。姿形が日本人に似ていることも多く、わかりにくいこともあるが、それぞれの国のことばが飛び交っている。すでに伊勢丹は日本ではなく、アジアのような感じだ。

それから汐留に。渡辺さんの読書クラブの会合にゲストとして呼んでもらった。会場は新橋のビルのなかにある店だが、このビル自体、アジア関係のマッサージ店などが多く、やはりすでにアジアになっている。今に、まったく日本人が行かないようなビルがいくつもあるという状況が生まれるのではないか。

読書クラブの会合では、坊っちゃん本のことが話題になる。多くのメンバーは、私の書いた原稿を読んでくれている。やはりイメージのなかの『坊っちゃん』と、実際の作品との落差に話が及ぶ。その意味で、不思議な作品だ。途中、話題がハリーポッターのことに移るが、これもまたメンバーがほとんど読んでいる。おじさんたちが飲みながら、ハリーポッターの話題で盛り上がっている光景は、何とも言えず不思議な風景だった。

October 25, 2007

10月25日(木)長井健司さん殺害抗議署名1万人分をミャンマー大使館へ

『日本の10大新宗教』の参考文献表を作る。少しだけれど、『日本宗教美術史』の原稿を書く。

昼から北品川へ。ミャンマー大使館に、長井健司さん殺害の抗議とビデオカメラの返還を求める署名を渡しにいくのに同行する。署名は1万を超えた。3週間での数字だから、一日平均500名の方が署名をしてくれていることになる。10万人が目標だが、とりあえず1万集まったところで大使館にわたしに行くことになった。

代表となった高世さんや石丸さんがインタフォンを通してかけあっても、大使館からは何の反応もなし。窓はすべて閉まっていて、しかも本来受付のところは新聞紙が窓にはってある。まったく応対する気がないのはかなり異常なことだ。ただ、塀に取り付けられたビデオカメラが、高世さんたちが移動したら、そちらの方に動いた。監視はしっかりしているらしい。取材陣がその光景を撮り、抗議声明も読み上げる。果たしてこの運動はどう展開していくのか。いろいろとアイディアが出される。

帰りがけ、新宿により、タワーレコードへ。プーさんと日野さんのアルバム、渡辺貞夫の一関ベイシーでのライブ、それに気になっていたあらえびすの名曲選第1集を買う。かなり高かったけれど、ちょうどポイントが2倍セールをしてたので、お得ではあった。今回出た第2集がなかったのは、もう売れてしまったということだろうか。

October 24, 2007

10月24日(水)行かなければならない展覧会が目白押しだし、海老蔵は空中遊泳をするらしい

午前中は、安全・安心の実務家コース、講師に依頼のメールを送る。あと、『慶應三田会』の贈呈者のリストを作る。メールや名刺の整理などもしていたら、けっこう時間がかかった。午後は、『日本の10大新宗教』の校正をする。一応最後までおわったが、それでへとへと。この本は、校正に本当に気を使う。

朝日の夕刊は、美術展のお知らせの日。リストを見ていたら、出かけた方がやさそうな展覧会がいろいろとある。国立博物館の「大徳川展」は、おそらく行かないと後で公開しそうだし、芸大の「岡倉天心展」も、天心の好んだ仏画を考えると、やはり行った方がいいだろう。

知らなかったのは、鎌倉国宝館の「鎌倉人の地獄と極楽」(11月11日まで)、神奈川県立歴史博物館の「宋元仏画」(25日)、国立歴史民俗博物館の「長岡京遷都」(12月2日)。このなかで、鎌倉国宝館というのはあるのも知らなかった。鶴岡八幡宮にあるらしい。どれも、それほど大規模なものではなさそうだが、テーマとしては見逃せない気がする。漱石展にも行かなければならないし、忙しい。

『坊っちゃん』本から派生して、『「ハリー・ポッターを最後まで読む』といった本を書くことになった。来年7月以降に第7巻の翻訳が出そうなので、それにあわせて書き上げなければならない。そうなると、ほかのファンタジーも、読んでいるものも、読んでいないものも、改めて読まなければならない。そもそも、ハリー・ポッターは長いし、けっこう大変な作業になりそうだ。

それからそれから、来年1月の新橋演舞場、海老蔵の座長公演で、彼は空中遊泳をするらしい。イリュージョンの手法で、吊されているのが見えないようにするというから、これはすごい。もしかしてこれは、演舞場という劇場ならではのことなのか。あの劇場は伝統的な演目を多くやる割に、舞台装置が進んでいる。滝沢演舞場もそうだったし、スーパー歌舞伎もやっているし、何でもこいの劇場なのかもしれない。

October 23, 2007

10月23日(火)『慶應三田会』の本ができた

『日本の10大新宗教』の校正をする。この本は、さまざまな団体を相手にしているだけに、かなり神経を使う。事実に誤りがあってはならないのはもちろん、評価に結びつくような事柄もあり、そこらが難しい。

そんななか、『慶應三田会―組織とその全貌』の見本が届く。荷物を開けてみると、「オー」という感じがした。新書だと装丁が決まっているので、驚きも少ないが、単行本だとどういう本になっているか、事前に知らされていないとまるでわからないので、初めて見るときが楽しみだ。慶應の人たちは、相当に母校に関心をもっているようなので、注目はしてもらえるのではないか。

実務家コースのことで打ち合わせがあり、大学へ行く。ちょうど慶應の総合政策学部長になったばかりの阿川尚之さんが先端研に出校している日なので、届いたばかりの『慶應三田会』を贈呈する。阿川さん、ちょうど三田会の会合に出てきたばかりとのことで、三田会について話をする。「この本は看過できない」とのこと。書店に並ぶのは、来週になってからだろう。

October 22, 2007

10月22日(月)秋の気配が濃くなるなかでプーさんと海老蔵が

午前中は、BSでレッドソックス対インディアンスを見る。なかなか大変な試合だった。試合を見つつ、『日本の10大新宗教』の校正、校閲がチェックしたものを確認していく。それほどたくさんあるわけではないが、こういう作業は本当に神経を使う。全部やり終えたら、もうそれで今日の気力が尽きた。しかたがないので、散歩に出る。緑道もすっかり秋の気配だ。

一度、家に戻ってから、コーヒーを飲み、経堂の駅の周辺に。クリーニングを出して、保管しておいて貰った冬物を引き取る。本屋で、奈良と京都のガイドブックを物色し、一番よさそうなのを買う。家にもあるが、だいぶ古いので、買い換えることにした。寺など変わっているわけもないが、資料館など新しくできたものもあるし、さすがに20年前のものをもっていくわけにもいかないだろう。

全然気づいていなかったけれど、プーさんが日野皓正と組んで録音したCDが出ているのを知る。9月に発売されていたらしい。レコファンにはなかった。なんと、そのツアーがあるとのことで、スイートベイジルの12月1日の公演を予約する。

クレジットカードの情報誌が来たが、来年1月の演舞場、海老蔵で「雷神不動北山桜」の通しをやるようだ。12月には歌舞伎座で、勘三郎と「寺子屋」をやるし、これは見逃せない。ずいぶん、海老蔵の舞台を見ていない。

October 21, 2007

10月21日(日)壱太郎の「鏡獅子」にたいそう感心する

山川静夫華麗なる招待席の放送で、中村壱太郎の「鏡獅子」を見る。16歳での「鏡獅子」は最年少だという。たしかに、袱紗や扇の扱い方で稚拙なところもあったけれど、なるほど「鏡獅子」という踊りはこういうものだと思えるような優れたものだった。女形で年齢的にも若いということで、自然に小姓に見えるという利点もあるが、それだけではないだろう。「鏡獅子」がいったいどういう作品なのかを十分に理解した上で踊っている。

とくに感心したのが、獅子の頭を持つ前の部分。もうそこで、獅子の力が弥生に及んでいることがだんだん感じられてくるように踊っている。それによって、なぜ獅子の頭をもつのか、その獅子が生きているかのように動くのか、流れが納得できるものになっている。

学業と歌舞伎との両立を聞かれ、できるなら学校を辞めたいと言っていたのもいい。それでも大学への進学を考えているようだが、彼にはそれは余計な気がする。父や叔父のように、そのあいだ歌舞伎から離れるということは間違ってもないだろうが、20歳前後の役者としての輝きを是非もってもらいたいという点では、大学には行かないでもらいたいとも思う。野球の投手もそうだが、18歳の輝きというのは本当に貴重だ。壱太郎は、間違いなくこれからの歌舞伎を担っていく重要な役者の一人になるのだから、どうか専念して欲しい。

October 20, 2007

10月20日(土)「逆風満帆」の連載を読んで改めて自分がわかったようなわからなくなったような気がする

朝日新聞のbe土曜版、「逆風満帆」での連載が最終回を迎えた。写真は、吉野ヶ里歴史公園の古代人を前にしてのものだった。あの日、かなり暑かったのを思い出す。

自分について書かれた記事を読むというのは、かなり複雑なことだが、これまで経てきた道、自分が書くにしても、誰か他の人が書いてくれるにしても、なかなか表現することが難しいことばかりだということを改めて痛感する。若い頃にヤマギシ会にかかわったということがあって、それがオウムとの関わりに結びつき、バッシングを受けて、長い時間をかけてそこから立ち直っていく。ストーリーを簡単にすれば、そういうことになると思うけれど、記事のなかでは扱われていないさまざまな出来事があって、その全貌をすべて示すには、相当の量が必要だろう。それに、量をかけたからといって、それですべてが明らかになってくるわけはない。なにしろ、本人にとってもわからないこともあるわけで、人の人生を描く、あるいは自分の人生を語ることは本当に難しいことなのだと思うしかない。そして、今自分はどこに向かおうとしているのか。だいたいわかっているようで、未知数でもある。

たしかに、バッシングを受けた頃に比較して、最近は、本当に大人になったと自分ながら思う。ちょうど厄年の頃がバッシングの時期だけれど、40を過ぎても、はっきり大人になっていたとは言えない気もする。それからの10年で、たしかに自分は何かを学習し、変化をとげてきたのだと思う。それは、バッシングを受けた結果なのか、それともただ年齢を重ねた結果なのか、それはよくわからない。変化についても、それがどういうものか説明も難しいが、判断力というか、読みというか、そういうものがついたということのようでもある。それによって、講演などで感じるが、表現力がついたと思うし、本を書くときも、外さなくなったような気がしている。人間が生きるということは、やはり難しい。かえって今の時代だからこそ難しいのかもしれない。

10月19日(金)「師」についての講演に小学校の同級生が来て驚く

髪が伸びているので、朝床屋へ行く。

少し休憩して、新宿へ。車屋別館で昼食をとったあと、伊勢丹のバーゲンに。チェスター・バリーか、ヒッキー・フリーマンのスーツが出ているので、よければ買おうかと思っていたが、ぴったりするのがなかった。新館の一番上にあるフロアーにも寄ってみる。リンのオーディオが販売されていると聞いたので、それなどと見る。全体によくわからないフロアーになっていた。

午後は、日蓮遺文の勉強会。「観心本尊抄」の最後で、先生による解説付き。何か質問をとは思ったけれど、不思議と何も浮かんでこない。やはりここまで来ると、議論が閉ざされた領域に突き進んでいるようで、それをどのようにとらえるかが難しい。

勉強会が終わらないうちに、本郷三丁目へ。東大仏教青年会での講演会。そこに仏教青年会があるのは何となく知っていたが、来たのははじめて。宗教学と仏教とがいかに縁がないかということだろう。講演が始まる前、係の学生が、同級生の方が来ていると言われ、行ってみると、幼稚園と小学校の同級生。実に41年ぶりの再会になる。そこでヨーガの教室に通っていて、私の名前を目にしたとのこと。まさに奇遇。

講演のテーマは、「師」について。まったくの新ネタで、これまで話したことがないことなので、どうなるか心配もあったけれど、予想以上にうまくいった感じがした。師という存在がいかに不可思議で、不条理な存在であるのか。宗教について考えていると、必ずそうしたことにぶちあたる。そこらあたりのことを、自らの師についての体験と比較しながら語ってみた。

講演会の後、その同級生を交え、講演をききに来ていただいた、日芸の清水先生、山下さん、それに編集者の小山さんと飲む。二軒行ったが、かなり安い。本郷も大分変わったけれど、まだ学生の街の雰囲気が残っていると言うことなのだろう。

October 18, 2007

10月18日(木)はじめてサントリー美術館へ行く

午前中は『日本宗教美術史』の執筆。5枚ほど書く。

昼から、ライブラリーへ。ハリー・ポッターについての本について打ち合わせをする。まだ、やるかどうか決まってはいないけれど、話していて、こうすればいいという線は見えてきたような気がした。ただ、いざ作業にかかったとしたら、作品が長い分かなり苦労しそうな気がする。いったい、全部でどのくらいの量になるのだろうか。これだけ長い作品はめったにない。

打ち合わせが終わってから、サントリー美術館へ行くためにミッドタウンへ。ビルの外にあるような気がしていたが、本体のなかにあった。今やっているのは、『BIOMBO 屏風 日本の美』展。要するに屏風というものがいったいいかなるものなのかを示した展覧会。屏風というものは、ある意味実用性がある分、美術としての評価が低い気がするが、宗教美術ということからすれば、出産や死に際しての使い方が一つ問題になってくる。出産のときには、白絵屏風というのを立てるし、湯灌のときには屏風を逆さに立てるようだ。もう一つは、図柄として祭礼が描かれていること。今回の展示では、世界の美術館にばらばらに収蔵されている屏風の並びを復元し、元の祭礼を描いた屏風絵が飾られている。

展覧会のあと、食事をしようとミッドタウンのなかをまわってみたが、最初、立派で値段の高いところばかりでびっくり。ようやく地下に来て、けっこう安い店があるのがわかった。魚の味醂粕漬けの鈴波で食べてみたが、とろろがうまかった。値段もリーズナブルでこれはいい。スーパーも東急だが、なかなかいいものがそろっている。こうしたところでは、ヒルズよりいい感じだ。写真は、展示されていた一人乗り自動車。

October 17, 2007

10月17日(水)なぜ相撲協会と亀田家は叩かれるのか

午前中は、『日本宗教美術史』の原稿を書く。6枚ほど進む。午後は、『日本人の宗教史』、編集者からの疑問に答える。その後、金曜日の東大仏教青年会での講演について、その内容を考えてみる。これまでしたことのない話なので、どういう内容にするか組み立てを考えなければならなかった。その作業を終えると、もう頭がまわらない。本日の仕事終了。

メディアでは、一時大相撲の世界が徹底的に叩かれていたが、今度はボクシングの亀田家が叩かれている。気になるのは、叩かれている側がこれまでどういった教育を受けてきたかということ。もちろん、高校から大学に進むだけが人生ではないし、学歴で差別するわけではないが、大相撲にしても亀田家にしても、教育はほとんど中学までではないだろうか。大相撲では、大学の相撲部出身もかなりいるはずだが、現在の協会の幹部を見てみると、中学を卒業して、あるいは中学に通っている段階で入門した相撲取りがほとんどのように見える。北の湖は、花の28と言われていたように、私と同い年だが、入門したのは中学1年のときだ。

義務教育さえ十分に受けていない人間が、今の日本社会で組織のトップに立つというのは相当に大変なことだ。しかも、周囲も同じで、協会が十分に機能していると言えないのも、そうしたことが深く関係しているように思う。亀田家にしても、この世の中がどうなっているか、しっかりと理解しているとも思えない。複雑化する社会のなかで、義務教育しか、あるいは義務教育も受けていないことのハンデは相当のもののはずだ。

時津風親方が暴行事件で退いた後、現役の時津海が後を継がされることになったが、彼がすぐに亡くなった力士の家に向かったのも、大学の相撲部の先輩に相談してのことだったようだ。彼は農大の相撲部の出身である。学歴に意味が出てくるのも、そうした人間関係のネットワークが形成され、そのなかで情報交換ができるからで、義務教育しか受けていない力士だと、そうしたネットワークがまるでない。その意味で、相撲協会叩きにしても、亀田家叩きにしても、学歴差別の色がないとは言えないように思う。

October 16, 2007

10月16日(火)長井健司さん殺害に抗議する会の記者会見が開かれる

午前中、久しぶりに「日本宗教美術史」の原稿を書く。第5章では密教を中心に論じることになる。最初の3枚ほど書いたが、出かけなければならないので、そこで終わり。内幸町のプレスセンターに向かう。「長井健司さん殺害に抗議する会」の記者会見があるので、それを傍聴に行く。

記者会見に臨んだのは、鳥越俊太郎、徳光和夫、田丸美寿々の各氏。徳光氏がこうした場に出てくるのはとてもめずらしいことだが、会見がはじまるまえ、ご本人にうかがったところ、最初で最後とのこと。事務局を動かしている木下氏の熱意に打たれたとも語っておられた。各社来ていたので、報道されることだろう。署名の方も、7000を超えたようだ。1万に達した時点でミャンマー大使館に渡しに行くことになりそう。この次は、この問題をめぐってシンポジウムをやる必要があるということになる。

そこから出光美術館へ。所蔵品による仙崖の展覧会。日曜美術館で特集されていて、宗教美術を考える上では欠かせないと思って出かけた。美術館の所蔵品なので、これまで何度も開かれているらしい。仙崖は、生まれは違うが、流れ着いて博多にいたり、そこで地元では著名な禅寺、聖福寺の住職をしていた。先日博多で見た禅についての展覧会とも結びついてくる。作品としては、ポスターにもなっている布袋像がやはり一番だろう。そこにこそ、彼の境地が一番よく示されているように思った。

そのままオアゾまで歩き、いくつか本を買う。集英社新書の自筆原稿で読む『坊っちゃん』も買ってみた。いろいろな形で『坊っちゃん』が出版されている。作品が書かれて100年ということだが、100年も読まれる作品というのはやはりすごいということだろう。

October 15, 2007

10月15日(月)ハリー・ポッターをついに読み終える

入院記念日。4年前甲状腺亢進症で入院した日にあたる。もう4年が経ったことになる。それからいろいろなことがあって、今日に至っているが、あの日、天気がものすごくよくて、苦しいなか自転車で近くの医者に行ったのを思い出す。風が心地よかったことが、なんとか医者にたどりつけた要因かもしれない。

読み続けてきたハリー・ポッターのシリーズ、第7巻を英語版で読み終える。ブログで振り返ってみると、9月5日から読み始めているので、40日ほどかかったことになる。やはり英語版は少し時間がかかった。それにしても、このシリーズ相当の分量だ。これを読み通すこと自体がけっこう大変なことで、途中で挫折してしまう人が出るのも当然かもしれない。1巻と最後の巻を比べてみると、その雰囲気はずいぶんと違う。最初は子ども向けという感じではじまるが、最後は必ずしも子ども向けとは言えない展開になっている。これをどう読むのか。かなり難しい問題だが、世界中に読者がいるわけで、今後それがなんらかの影響を与えていくのかもしれない。

夕方、大学へ。今年度の安全・安心実務家コースのデザインを仕上げる。ほぼ内容が決まってきた。11月の終わりから2月くらいにかけて開講することになりそうだ。その後、研究室の公共政策研究会。手塚君の博士論文についての発表。予防接種の行政学ということで、昔博士課程の時代に医学史を勉強していたときにつけていたノートをもっていく。医学の壁に阻まれて、断念した研究だが、やり方はあったのだろうと今は思う。要は、そこに情熱をかけられなかったのだろう。

October 14, 2007

10月14日(日)歌舞伎座で三津五郎の「奴道成寺」を見たけれど

このところ、歌舞伎の生の舞台を見ていない。海老蔵が出ているので御園座に行きたいとは思うけれど、お目当ては四の切だけだし、この演目はこれからもやるだろうからといろいろ考えて、行きそうにはない。そこでというわけではないけれど、歌舞伎座夜の部に行くことにした。一番のお目当ては、三津五郎の「奴道成寺」。團菊祭で彼が踊った「三面子守」があまりによかったので、これは「奴道成寺」も見なければと思った次第。奮発して一等席で観劇する。

その前に、仁左衛門、玉三郎の「牡丹灯籠」。この演目、これまで見たような気になっていたけれど、見始めるとあまり見覚えがない。筋書きを見てみると、過去の舞台、これは見たと思い当たるものもないので、はじめてのようだ。あるいはテレビで見ているかもしれないが、ほとんど初見という感じで見た。怪談の季節とは言えないが、これはこれでおもしろかった。

玉三郎が世話物の女房をやるのはあまり見たことがなく、最初は不安だったが、さすがにうまい。仁左衛門は、いつもの通り、そつがない。一番よかったのは、三津五郎の馬子。これが実にうまい。その間の取り方は絶妙で、なかなかこうはいかないと思う。問題は、とりついてくる蛍。これは、歌舞伎の流儀でやっているのだろうが、なんとかならないものだろうか。とくに上から吊されているものがおかしい。

お目当ての「奴道成寺」。所化に、超若手がずらりと並んでいるが、誰が誰なのかわからない。それは個性がないとかいうことではなくて、前に見たときよりも成長していて、それで顔が判別できない。いったいこれから彼らが役者としてどう成長していくのか。歌舞伎の生命線だけに注目される。

三津五郎の踊りにはかなり注目していたけれど、今回はそれほどでもなかった。三つの面をすばやく変えながら踊るところはさすがだが、そもそも、面を使ってそれを買える意味があるのか、その趣向に疑問をもった。その点で、「三面子守」ほど盛り上がらない。ちょっとお疲れなのだろうか。

あるいは、道成寺に関しては、玉三郎と菊之助の「二人道成寺」があまりにすばらしく、何度もそれを見ているので、ほかの道成寺がおもしろく感じられないのかもしれない。少なくとも「奴道成寺」には、「二人道成寺」にあるあの美しさがない。違うものとして見るべきだろうが、ここが工夫のしどころではないだろうか。

October 13, 2007

10月13日(日)丹波山に調査に行ったときの柳川先生の年齢は今の私とほぼ同じだと気づいた

朝、テレビを見ていたら、経堂の商店街が映っていた。今まで知らなかったが、経堂はえなりかずき氏の地元らしい。変装して歩いているのだろうか。見かけたことはない気がする。

朝日新聞beの「逆風満帆」の2回目。写真は、山梨県の丹波山村を調査に訪れたときの柳川先生とのツーショット。実は、トリミングがしてあって、ほかにも写っている人がいるのだが、今回は省略された。

考えてみると、それは1981年のことだから、柳川先生は今の私とほぼ同じ年齢だったことになる。すでに初老性鬱病を経験した後のことだけれど、さすがに写真に写ったところはそうしたことを感じさせない。PHPの研究会では、この時代の柳川先生のことをよく知っていらっしゃる方がいて、途中から生彩がなくなったという話をしておられたが、定年が近づくにつれて、そうした傾向が見られたのは事実だろう。その意味では、こうした写真を見ると複雑な思いにかられる。来週は、東大の仏教青年会で「師」をテーマに講演することになっているが、そのときには、柳川先生の話をするつもりだ。その意味では、ちょうどいいときに記事ができた気がする。

October 12, 2007

10月12日(金)J.J.は時代を駆け抜けたのだということ

だんだん、秋が深まってくる気配だ。寺門興隆の校正をする。『日本人の宗教史』の校正を出版社に送る。『日本宗教美術史』の方、しばらく休んでいたので、次の密教美術について、少し考え始める。密教美術だけで1章を費やすことになるだろう。天平時代には寺別にやると都合がよかったが、密教の場合には、むしろ仏像、曼荼羅、法具など、もの別がいいかもしれない。

昼から、亜紀書房の木村さんと、次の本の打ち合わせ。いまあじゅで話をしたので、beをもっていく。いろいろと怪しげな人物のネットワークについて話をして、本の話はあまりしなかったが、宗教にかんする島田流のガイドブックになりそう。

昨日行った「植草甚一展」の図録には、植草氏の年譜がついている。それを見ると、私たちがよく知っているJ.J.が活躍した期間が意外なほど短かったことに気づく。実質的な最初の単行本、『ジャズの前衛と黒人たち』が出たのが、1967年で、著者はすでに59歳。それから、ブームのような人気が出て、亡くなるのが1979年、71歳のとき。その間、わずか12年しかない。ちょうど、その時代に遭遇した私としては、そんなに短かったかと改めて驚いたが、その時期の生産性はかなりのものだ。時代を駆け抜けた一人ということだろうか。

October 11, 2007

10月11日(木)植草甚一展はやはり散歩の途中で寄るものかもしれない

今度書く、新しい本の内容について、全体に何を書くか、アウトラインを書いてみた。それだけで、20数枚になった。これをもう一度検討し、それにしたがって書いていくことになるだろう。

その後、散歩がてら、世田谷文学館まで歩いていく。文学館に行くのは久しぶりだ。お目当ては、「植草甚一 マイ・フェバリット・シングズ展」。植草氏は文学者ではないけれど、世田谷ゆかりの人だし、経堂では超有名人。昔、経堂に住んでいたとき、OXストアーで古本市が開かれていたとき、その姿を見たことがある。経堂アパートに住んでいたのだから、ちょっと出かけたという感じだった。

ほかに、2度ほど新宿で見かけたことがあった。私がジャズを聴くきっかけを与えてくれた人だし、非常に不思議な存在だったと思う。今回の展示では、絵がついた葉書や手紙などが楽しい。この展覧会にあわせて、1970年頃、植草氏が歩き回った経堂の街のなかの店をたどった地図が作られていて、ああ、このあたりにこうした店があったのだということを確認した。植草氏の経堂について書いた文章を読んでいると、今はない喫茶店や書店が出てくる。その場所を今回確認した。

October 10, 2007

10月10日(水)長井さん殺害抗議の署名が5000人を超えた

『日本人の宗教史』の校正、小見出しをつけて、補足をする。別冊宝島の原稿も校正する。校正というのは、意外と神経を使うし、仕事としてしんどい。校正しないわけにもいかないし、これはしかたがない。

本を返却しなければならないので、大学に行く。その途中、経堂図書館にも本を返却するが、東大の本が図書館の入り口のセンサーに反応し、ブザーが鳴った。システムが似ていると、そうなるらしいが、ちょっとこれは面倒だ。

大学で、図書室日本を返した後、安全安心の実務家コースのデザインをする。構想はおおむね決まった。公共政策学会の入会書にも記入する。あとは推薦者の署名をもらえばいい。

帰りは、代田橋まで歩き、そこから京王線で下高井戸まで出る。本屋で、岩波新書の『博多』を買う。

長井さんの殺害に抗議する署名、5000人を超えたようだ。私の知り合いでも、ありがたいことにホームページやブログにアドレスを載せてくれている。しだいに広がっている気配だ。

10月9日(火)平山郁夫展とPHPでの研究会

『日本人の宗教史』の校正をする。編集者に連絡を取ったところ、小見出しをつける必要があるとのこと。他にも陽明学について追加の要望もあり、仕上げるには明日までかかりそう。

夜PHP研究所に行く用事があるので、その前に近代美術館に行くことにする。今、平山郁夫展をやっている。日曜美術館で紹介されているのを見て、日本宗教美術史の現代の部分で論じる必要があると感じ、行くことにした。新宿で安くチケットを買い、飯田橋乗り換えで竹橋へ。展覧会は相当すいていてゆっくり見られた。これまで平山氏の作品はあまり関心をもっていなかったが、宗教美術という観点では重要な作家だということを感じた。広島での被爆体験をベースに、シルクロードを描いた物も、けっきょくは廃墟に関心があり、広島の焼土の延長線上にあるように思えた。本人もそのように語っているが、そのなかで唯一広島を描いた作品に登場する不動明王はいったい何なのか。これは考えてみなければならないことだろう。

美術館から半蔵門に向かおうとしたら、国立公文書館があり、「漢籍」の展覧会を無料でやっていたので、それを見る。入ると、ちゃんとしたパンフレットをくれた。陳列されているのは、儒学関係のもの。こうした文献が公文書館に行き着いていることに興味をもった。たしかに、ほかに儒学の伝統を受け継いでいるところはないのだろう。

そこから半蔵門までは、かなり距離があった。PHPでは、渡辺昇一先生を中心に、20年間にわたって研究会が続いていて、そこで話をすることになった。テーマは、中沢新一氏について。なにしろ、先生方は、中沢氏の著作は読んでいないし、太田光のことはご存じないので、そこから説明しなければならなかった。土居健郎先生が、言っておられた「pathological liar」ということばが印象に残った。こういう人は、本人は嘘をついているという意識が希薄だとのこと。

研究会が終わってから、昔本を作ってくれたPHPの阿達さんと赤坂で飲み、いろいろと話をする。12半を過ぎて、タクシーで帰る。

October 08, 2007

10月8日(月)長井健司さんの葬儀、告別式に参列する

青山斎場で長井健司さんの葬儀、告別式が営まれる。抗議のための署名ブースも用意され、今日だけで600人の署名が集まったようだ。かなりの割合の人が署名していったという。

目立ったのは、ミュンマーというか、ビルマの人々。民族服の人たちが百数十人参列されていたが、ほかに普通の服で参列している人たちも少なくなかった。雨が降るなか、テントの下でじっと焼香の番が来るのを待っていた。こうした葬儀、告別式、その形が難しいと改めて思う。僧侶の読経を中心とした形式が本当にふさわしいのか。位牌には戒名が記されておらず、おそらくは故郷の方でもう一度葬儀が営まれるのであろう。それなら、東京での葬儀、告別式はもっと、思い思いに別れが告げられるような形式でよかったようにも思う。

火葬場に向かう車を送ろうとしているなか、ビルマ人の中年の女性が気分が悪くなったらしく、救急車が呼ばれるというハプニングもあった。

今週中には、何らかの形で長井さんの殺害に抗議する集会が開かれるかもしれない。抗議署名を集めているブログには、亡くなる前、お茶をした日本人に聞いた最期のことばが記されている。本当に最後のことばを聞いた人物は、特定されていないようだが、何か日本人と話をしていて、危険だと警告されつつ、それがかえって長井さんのジャーナリスト魂に火をつけてしまったのかもしれない。

October 07, 2007

10月7日(日)キース・ジャレットとチャールズ・ミンガスをレコファンで安く買う

金木犀が香るようになり、やはり10月だという感じがしてきた。今年の夏は暑かったので、いい加減涼しくなって欲しいという気はする。

夕方、散歩に出たとき、レコファンに寄ったら、キース・ジャレット・トリオの新しいCDが売られていた。2001年の門トゥルー・ジャズ・フェスティバルでのもの。日本先行発売になっていた。それから、1680円10枚組みシリーズのチャールズ・ミンガスのを売っていたので、それも買う。セールなどもあり、両方で700円も安かった。これは大変お買い得。ミンガスのはどういうものが入っているのかさっぱりわからない。安くなるのは50年過ぎた作品だから、当然、ドルフィーとかはいないはず。直立猿人はぎりぎり入っている可能性がある。

明日は、長井健司さんの告別式が青山斎場で11時からあるので、それに行く予定。日にちだけがどんどん過ぎていく感じだ。

October 06, 2007

10月6日(土)朝日新聞の記事に載る

遠出もしたので、さすがに疲れた。朝、遅くまで寝る。

起きてから、朝日新聞のbeを読む。自分のことが記事になっているというのは、やはり変な気がする。とくにオウム事件のことは、改めて読んでも、どう考えていいのか、ひどく遠い出来事のように思えるし、本当にそんなことが起こったのだろうかと、本人ながらそう感じる。

長井健司さんの殺害にかんする抗議の署名、メールアドレスがわかる人たちに呼びかける。さっそく証明してくれた人たちも少なくない。これがいったいどういう動きに発展するのか。まだ、ことは始まったところという気もする。

October 05, 2007

10月5日(金)連載原稿を書き上げると校正が届いた

寺門興隆の連載原稿、終わりまで書き上がる。今回は、真如苑と創価学会とを比較してみた。

『日本人の宗教史』の校正が届く。昨年の9月に書き上げていたもの。編集者の指摘で、禅のことに少しふれなければならない。

午後、定期検診に病院に行く。やはり血糖値が高かった。仕事が混んでいて、運動不足なのは明らか。少し生活を変えないといけない。

ハリー・ポッターの7巻が届く。もちろん英語版。日本語版に比べて、本が小さいところがいい。読み終わるのにどれくらいかかるだろうか。映画の方も見ていない。もう映画館にはかからないだろうし、DVDを買うしかないかもしれない。レンタルでもあるが、参照するには不便だ。電通の渡辺氏に聞いたら、ハリー・ポッターは読んでいるという。けっこう大人でも読んでいるのだろうし、値段から考えても、子どもには自分では買えない。そこらあたりの状況がどうなっているのか。リサーチの必要があるかもしれない。

10月4日(木)長井健司さん殺害に抗議する10万人署名の呼びかけ

午前中は、別冊宝島の原稿に手を入れて送信。次に、寺門興隆の創価学会の原稿に手をつける。

昼前にライブラリーへ。原稿の続きを書く。それから、講談社のα新書で出す予定の水野和夫さんとの対談本について、コーディネーターになってくれた電通の渡辺さんを含め、打ち合わせをする。

それが終わってから、池袋へ。ところが、車両事故で丸ノ内線が止まっていた。あわてて、有楽町線で行く。7時からジュンク堂での苫米地英人さんのトークセッションにゲスト出演する。満員の盛況。終わってからサイン会。私の本にもサインという人が数名いた。

以下、現在行われている長井健司さんの殺害に抗議する10万人署名のお知らせを掲載する。私ももちろん、賛同し、署名している。


「 抗議文
2007年9月27日午後、貴国のヤンゴン市内にあるスーレーパゴダ付近で、 取材中だった映像ジャーナリスト、長井健司氏が、貴国軍治安部隊の軍人に至近距離から銃撃され、殺害されました。
自国の国民に対するミャンマー軍の一方的な暴力による制圧行動について、 国際的な取材活動をしていた日本人ジャーナリストの生命を、警告もなく銃で奪ったことは、 殺害を前提とした意図的かつ残虐な取材妨害行為であり、 国際社会の一員として、また日本人として、我々はこの行為を断じて許すことはできません。
しかも貴国の当局は、長井氏が亡くなるまで手離さなかったビデオカメラとテープを未だ返却していません。

われわれは貴国治安部隊軍人による長井氏の殺害について強く抗議します。
また、長井氏の殺害の経緯を明らかにするとともに、犯人の特定と厳罰を求めます。
遺品であるビデオカメラとテープも内容の消去など一切の改竄を許さず、返却することを求めます。
       ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」

長井さん殺害について
ミャンマー政府・大使館に抗議するための 上記の抗議文の賛同者を集めています。
この会は、APFの山路代表とも相談の上、 生前、長井さんと交流のあったジャーナリストや専門家などが 立ち上げたものです。
呼びかけ人を現在調整中ですが 鳥越俊太郎キャスターやジャーナリストの江川紹子さん、 河上和雄元東京地検特捜部長などの方々が すでに名を連ねています。
事務連絡先を下記に設けましたので、 趣旨にご賛同いただける方は 氏名(フルネーム)と肩書き(職業か所属先)を 下記のメールもしくはファックスにご連絡ください。
肩書きはたとえば「会社員」などでかまいません。
名前のリストとして提出しますので できるかぎりメールでご連絡をお願いいたします。

(連絡先)
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/(ブログ)
nagaikenji20070927@mail.goo.ne.jp(メール)
〒1060032
港区六本木7-8-25永谷リュード六本木306  
FAX  03-5772-1127

なお、ブログはリンクフリーですので いろいろご紹介してください。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/
抗議文やこのメールも転送していただいてかまいません。
よろしくお願いします。
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October 03, 2007

10月3日(水)九州国立博物館を堪能する

早く寝ると、やはり早く目が覚める。朝食後、太宰府へ。お目当ては、九州国立博物館。天満宮の横から、エスカレーターで上がれるようになっている。相当に大きな建物。まず特別展の「本願寺展」を見る。本願寺の場合、宗教関係のものより、財力によって集めた美術品の方が目立つ。国宝の36人家集は、前に東京国立博物館の「西本願寺展」で見た記憶がある。

特別展の方はすいていたが、常設展示の方に行くと、修学旅行生や団体客でたいそう混雑している。毎日、こんなに人が来ているのだろうか。こんなに混んでいる常設展ははじめて。沖ノ島遺跡のものを期待していたが、数が少なかった。ただ、王塚装飾古墳の出土品が出ているとは知らなかった。そのほか、北九州に多い、装飾古墳のCGによる再現など、なかなか勉強になった。ハイビジョンも、かなり大画面のもので、走査線が多く、相当にきれい。アンコール・トムのバイヨン寺院のCGによる再現も前の日からはじまっていて、それも堪能する。いろいろ見所が多く、3時間かかった。

昼食のあと、本当は王塚装飾古墳館に行こうと思っていたが、かなり時間がかかるし、行っても古墳の本物は見られないので、博多に戻り、市立博物館の方へ行く。バスで天神から行くが、途中高速を走り、玄界灘が見えた。特別展は、「古代の博多-鴻臚館とその時代-」。それほどすごい物があるわけではないが、北九州と大陸との交流の重要性について考えさせられた。常設展の方も見たが、金印があった。前にも一度見たことがあるが、実物を見ると、本物の気がしてくる。最近では偽物説が有力だが、本当のところどうなのだろうか。

そのまま空港へ行ったが、なんだか博多の街は人口が多い感じがする。気のせいだろうか。東京の人の多さとは違う、生活圏での人の多さが印象に残った。帰りもスーパー・プレミアムシート。夕食は出るし、ワインもただで飲めるし、快適。予約だと便を変更できないのが難点だが、通常料金だとかなり高いし。まあ、旅費を出して貰えるときだけにしよう。

October 02, 2007

10月2日(火)創価学会について講演をする

今日は午後から日蓮宗の研修会で講演の予定。これがメインの仕事。ただ朝時間があったので、福岡市美術館でやっている「大応国師と崇福寺」展を見に行くことにする。9時半からなので、その前に朝食後、崇福寺の方に行ってみる。地下鉄で二駅。いかにも禅宗の寺という感じ。なぜか頭山満の墓があった。

地下鉄で大濠公園まで行き、美術館へ。時間前に着いたので少し待つ。一番のりで見た。客はひどく少ないが、やはり禅関係の展覧会はつまらない。あるものが決まっていて、しかも禅師の像や絵、袈裟、書など地味な物ばかり。もう少し工夫はないものだろうか。

ホテルに戻って、会場の別のホテルへ。着いてみると、なんだか見覚えがある感じがした。もしかしたら一度来ているようにも思えたが、はっきりとわからないし、たしかめようがない。昼食のあと、講演をする。聴衆は70数名。内容は創価学会について。時間が、あまり考えていなかったが、2時間10分もあり、用意した話の前に、さらに前置きをしたりして、最初は調子が出なかった。休憩が入ってから、後半はやりやすかった。最初は少し眠かったとも言われたが、2時間以上最初から最後まで興味を引きつけるというのはちょっと無理のような気もする。

一度オークラに戻って、夜懇親会。会場に行くのに、妙な個人タクシーに乗る。その道40年で76歳だと言うが、新聞にも出ていて、そのコピーまで配っている。懇親会は中華。私は疲れたので、一次会で解放して貰う。昨日よりもさらに早く就寝。

October 01, 2007

10月1日(月)吉野ヶ里で写真を撮られる

福岡へ。はじめてスーパー・プレミアムシートに乗る。新幹線だとグリーン車という感じ。やはり快適。定時に離陸し、定時に到着。beで使う写真を撮るということで、朝日新聞社のカメラマンが車で迎えに来てくれる。そのまま吉野ヶ里歴史公園に。思っていたよりも広い。建物もいろいろと建っているが、かなり床が高いところにあるものが多く、全体の感じが日本の弥生時代と言うより、もっと南の島のイメージに近い。何を根拠にこうした建物が復元されているのだろうか。

もうすぐ南の村がオープンするということで、メディアもけっこう来ている。それにしても暑い。炎天下で写真を撮られる。一体何が使われることになるのだろうか。出土品などたいしたものがないので、写真撮影が終わってから昼食をとり、車でホテルまで送ってもらう。宿泊は、ホテルオークラ。フロントのところに、山笠の山車が飾られていた。博多祇園山笠は以前に一度見たことがある。

夕方、ホテルから近い福岡アジア美術館を見る。「ニルファル・チャマン展」というのをやっていて、ポスターを見た限りでは、それほどおもしろそうではなかったが、料金が200円ということで、行ってみることにした。行ってみると、常設展示が大半をしめていて、アジア各国の近代絵画やモダンアートが紹介されていた。これが意外におもしろかった。アジアには表現することがしっかりとあるのを痛感する。そこが今の日本と違うのだろう。ホテルに戻って夕食を食べ、早めに就寝。

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