1月7日(月)新年に海老蔵を堪能する
今日は新橋演舞場に行くということで、興奮しているのか、朝5時に目が覚めて、その後眠れなかった。したがって、一日少し眠い。早起きしたので、『「坊っちゃん」を読む』の直しをし、それから出かける。
席は、二階の左側、花道の真上。場内はけっこう入っていた。それにしても、年配の人たちが多い。正月ということで、着物の割合も高かった。
今回の演目は、「雷神不動北山桜」の通し、「鳴神」と「毛抜」は見たことがあるが、通しではもちろん、「不動」なども見たことがない。海老蔵の他は、芝雀と友右衛門の兄弟、それに澤潟屋一門。ちょっと配役に乏しい。それも、正月はいろいろなところで同時に歌舞伎をやっていて、役者が足りないのだろう。演舞場でも、端役に歌舞伎役者でない役者が使われていた。これははじめてのことだ。
海老蔵も筋書きで語っているが、この通しはまったくの荒事を見せる芝居で、物語性や情調といった面はあまり感じられない。ひたすら、海老蔵を堪能する、そんな舞台という印象が強かった。それにしても、海老蔵を見始めて8年になるが、30歳を迎えて、演技がすっかり安定している。海老蔵の「鳴神」を最初に見たのは、2001年9月の演舞場だったはずだが、それとは雲泥の違い。それぞれの役を自分のものにしているし、不安な要素がまったくない。それはそれですごいことだとは思うが、あまりに安定していて、これは海老蔵自身も不安になることのようだが、おもしろみという点では問題があるような気がした。要は、なんだかうますぎるのだ。まあ、この芝居では仕方がないのかもしれない。
最後のイリュージョンによる空中浮遊は、期待していた驚きはなかった。たしかに宙に浮いてはいるが、役者が自分の力で浮いているというわけではないので、あまり感動はしない。これだったら、宙乗りの方がはるかに観客の喝采を呼ぶだろう。
見終わってから、松屋で小堀遠州の展覧会を見る。日曜美術館で取り上げられたばかりなので、かなり混雑していた。遠州という人、その趣味は相当にわかりやすい。明快で、妙にこったところがない。帰りは新宿により、紅茶などを買う。
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