2月20日(水)読んで寂しい『イカの哲学』
水野対談本の直しを続ける。3章と4章が終わった。これで3分の2くらいだろうか。思ったより時間がかかるが、手を抜くわけにはいかない。『日本宗教美術史』の方も、鎌倉時代の部分に直しを入れる。この前高野山で拝見した赤不動のことを書き足すところで、気力がなくなり、次にまわすことにする。『属性』のゲラも出て、明日受け取ることになっている。
中沢新一氏の新著『イカの哲学』を読んだ。『憲法9条を世界遺産に』と同様に集英社新書。波多野一郎という、埋もれてしまった哲学者の自費出版本、「烏賊の哲学」を復刻し、それに中沢氏が解説を書いているというスタイルなので、厳密には著作とは言えない。それでも、中沢氏の解説の方が長いので、波多野氏の文章に触発された著作ということになるのだろう。
驚いたのは、『イカの哲学』というタイトル。中沢氏の著作は、とくに初期のものでは、タイトルがこっていて、それなりのセンスを感じさせたが、イカの哲学では、そのセンスが感じられない。内容的にも、『憲法9条』で語られた、問題を含んだ平和思想の域をまったく出ていない。波多野氏の遺族としては、埋もれていた作品に光が当てられたということで、感激しているようだけれど、果たしてそれは中沢氏が言うほどラディカルな平和思想を含むものなのだろうか。ひいきの引き倒しということばもあるが、中沢氏の主張はうわすべりしている。
なぜこれほど、中沢氏は平和思想にこだわりを見せるのだろうか。そこが不思議だ。人間のレベルではなく、それを超えた生物の視点から、新たな平和思想を築き上げようというのがもくろみのように思えるが、ちょっとそれは無理だろう。ゴジラに託してオウムについて語っていた頃の文章の方が、いろいろな意味で刺激的だった。何か中沢氏は、現実の世界からはるか隔たったところで、自分勝手な思想的営みを展開しているにすぎないように思えてくる。あるいはそれは、アカデミズムの世界につねに受け入れられない出来た中沢一族の宿命なのだろうか。その壁を、彼にして突破できなかったのだろうか。
もちろん、アカデミズムに価値があるかどうかは、議論しなければならないことだろう。けれども、中沢氏が学者である以上、広い意味でその活動がアカデミズムに属することは否定できない。実際、ニューアカといわれていたこともあった。なんだか、『イカの哲学』を読んで、寂しくなった。オウム問題の総括なしに、平和思想は語れない。問題は、単純なことなのだろう。
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