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February 07, 2008

2月7日(木)和田中の卒業生として憂慮することがある

前に『属性』といっていて、最近では『三つの系統』と呼んでいる本の第1稿がようやくできる。270枚ほどだが、3ヶ月かかった。この本だけに集中していたわけではないが、なんとなくぼちぼちという感じで進んできた。果たしてこれで行けるか、編集者の判断待ちだ。

『日本宗教美術史』の鎌倉時代の禅美術のところを書く。どうも室町時代に入らないと、禅美術も全面的に展開していかない気がするので、具体的に取り上げた作品は少ない。禅の展覧会がおもしろくない理由を考えると、その本質が見えてくる気がする。

夕方、角川書店の編集者と新しい本についての打ち合わせをする。話しがいろいろと展開し、話しは3時間近くに及んだ。なんとか行けそうな線が出てきたが、今度はちょっと工夫をして書きたいと思う。本も直線的に書きすぎると、案外つまらない。山や谷を作り、その上で流れが生まれないと、あっさりしすぎて、書いてあることも伝わらない。そこが難しいところだ。

民間人校長で有名になった和田中のことが話題になっているが、和田中の卒業生としては、ちょっと複雑だ。成績上位の生徒について、その「吹きこぼれ」ということが、塾の教育を導入する理由になっているようだが、そんなに成績上位の生徒が勉強する必要があるのだろうか。私は、和田中時代には学年で1番か2番で、成績上位になるが、もっとも生徒は140人くらいしかいなかった。成績上位なら、余裕が出来た分、勉強に振り向けるのではなく、もっと別のことに関心を持った方がよくはないだろうか。勉強することで失われてしまうこともある。その点について考えないと、和田中の現在の試みにどういった問題があるのかがわからないだろう。

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