10月27日(月)公明党の1990年代についての論文を書き上げる
御厨さんが中心になっている「90年代研究会」で論文集を出すことになっているので、昨日に引き続き、その原稿を書く。90年代における公明党の歩みを追ってみた。最初は、無党派について論じようと思ったが、実体のない無党派について論じるのは無理だと感じ、一番事情を知っている公明党を扱うことにした。
90年代の公明党は、はじめて政権入りを経験し、しかもその機会は2度まわってきた。1964年の結党以来、社公民路線いくのか、それとも自民党などの保守との連携を目指すのかで、すっとゆれ続け、それによって政権の座に近づけなかったのとは打って変わって、公明党はどの政党が中心になるにしろ、政権維持をするうえで不可欠の勢力になった。その面が明白になったのが、1990年代だった。
1999年には自民党と自由党とともに連立入りし、それ以来、すでに10年が経とうとしている。公明党は平成の時代の半分を与党として過ごしてきたことになる。しかし、今から振り返ってみれば、政権の座にとどまれてはいるものの、党勢は衰えたし、一時とは異なりキャスティングボートも握れなくなっている。しかも、最近では、公明党と創価学会に対するバッシングが再燃しており、事態は必ずしも好ましくない方向にむかっている。総選挙は遠のいたようだが、これで選挙でもあり、敗北すれば、党の存立が危ぶまれる事態が訪れないともいえない。
公明党という政党にとっては、創価学会という支持母体があることがすべてであり、そこに強みがあるとともに、弱みがある。国民政党への脱皮が課題だが、それが十分に果たされないからである。果たしてこれから公明党はどういう道を歩むのか。事態はますます難しい方向に進んでいる。
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Comments
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いつも興味深く拝見しています。
本日のエントリーの中の
「事態は必ずしも好ましくない方向にむかっている」
における「必ずしも」の用法に(個人的な語感かもしれませんが)違和感を覚えます。
「必ずしも」に続いて、「いる」とう断定的言い回しが置かれていることに理由があるのかもしれません。
Posted by: 隈田 | October 28, 2008 01:53 PM