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June 13, 2009

6月13日(土)新島淳良氏と緑のふるさと運動そして私の関係

村上春樹氏の『1Q84』の発売を通して、新島淳良氏のことがふたたび取り上げられるようになるとは思わなかった。中国で文化大革命が起こったときには、それを熱烈に支持し、その後、幸福学園運動を提唱してヤマギシ会に入り、ふたたびそこを抜けたことは、あの時代を知る人なら、承知しているかもしれない。ニュースにもなったし、本人がいろいろ書いていたので、それを読んだ人もいただろう。村上氏がちょうど早稲田大学に在籍していた時代、新島氏のヤマギシ会入りが報道されたはずだ。村上氏がそれをどのように受け取ったのか、そして今受け取っているのかはわからないが、明らかに新島氏をモデルにした人物を小説に登場させたのだから、それなりに関心があったのだろう。中国ということも、両者の共通する関心かもしれない。

新島氏は、ヤマギシ会を出る前に、「緑のふるさと運動」を提唱した。これは、ヤマギシ会を含め、日本の共同体運動全般に呼びかけてはじまった運動で、より開かれたコミューンを作るということが目的になっていた。資金や人材を提供したのはヤマギシ会だった。

ところが、この運動に加わってきたのは、私を含め、ヤマギシ会に一度入ったものの、そこを辞めた人間ばかりで、それが事態を思わぬ方向にもっていった。運動の事務所はヤマギシ会の事務所を兼ねていて、勧誘活動も行われるべきはずだったのに、普段そこにいる人間は皆、ヤマギシ会に反対する傾向が強かったので、かえってヤマギシ会へ行くのを妨げるような面があった。私は、途中から、この運動が出している機関誌の編集を引き受け、そこに巻頭言を書いていた。

そんな運動が長続きするわけもないが、それは元ヤマギシ会のメンバーにとって精神的なリハビリのようなもので、リハビリがすめば、皆、運動そのものへの関心を失った。新島氏も最終的にヤマギシ会を辞め、それでヤマギシ会からの資金も途絶えた。運動では、会費などを集めて、事務所を存続させるという話しも出たが、結局そうはならず、新島氏が私塾を開くことで、事務所はそちらに移った。

運動自体は自然消滅していくことになるが、知られていないのはその後の新島氏の動向だろう。それについても少し書く必要があるかもしれない。

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