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June 14, 2009

6月14日(日)昨日の続きで新島淳良氏のその後を書いてみる

昨日の続きだ。緑のふるさと運動は、私を含め、元ヤマギシ会のメンバーのリハビリが終わると、しだいに衰退し、ついには自然消滅のような形になっていった。元メンバーは、それぞれが、実社会のなかに仕事場所、居場所を見いだすようになり、仲間との頻繁な集まりを必要としなくなっていった。たとえば、私の場合には、大学院生としての生活があり、またこれはヤマギシ会とも関連するが雑誌『80年代』にかかわったりして、出版の世界との関係もできていった。

新島純良氏は、ヤマギシ会を出て、私塾を開き、魯迅塾などをやっていた。私もそれに出席したが、当時、新島氏と一緒に生活するようになった女性がいた。そこにはいろいろなことがあり、それは、本にもまとめられているが、私はけっこうそのかなり年上の女性からかわいがってもらった。その交わりのなかでは、彼女の新島氏に対する不満なども聞くことがあった。

新島氏は、緑のふるさと運動の機関誌が終わったあと、個人雑誌を出していて、そのなかではヤマギシ会への批判を書いていた。一度は運動に深くかかわった人間であるだけに、批判には具体性もあり、興味深いものではあった。

ところが、同居し、再婚していた女性が病に陥り、けっきょく命を落とすことになると、新島氏にも大きな変化が訪れる。これは、後で話しを聞いて驚いたのだが、彼女が亡くなった日か、その翌日に、元の妻のところへ出向き、復縁を求めたことだった。さらに、娘がずっとヤマギシ会にとどまっていたこともあり、新島氏は復縁した妻とともに、ヤマギシ会に戻る。このことは、ほとんど報道されなかっただろう。

正直、この一連の出来事を通して、私は新島氏に対して、理解できないものを感じるようになった。それは、私だけの感覚ではなく、新島氏がヤマギシ会に戻った後、ヤマギシ会の現役のメンバーにその点について話しを聞く機会があったが、「正直、あんまりだと感じた」と告白していた。ヤマギシ会の側としても、新島氏を受け入れざるをえなかった事情もあるのかもしれないが、いったいどういうことなのか。一度、新島氏が存命中にヤマギシ会を訪れたことがあったが、私はあえて会わなかった。

ここまでのことは、『1Q84』の世界とはまったく関係のないことだが、それだけこういう世界にかかわる人間の行動の仕方は複雑だということかもしれない。

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Comments

実に興味深い内容に心より感謝いたします。先生が東大大学院在学中にヤマギシ会に入会してフィールドスタディをしていたとは知りませんでした。そう言えば、同時期に、中沢新一先生もチベット密教のフィールドスタディに出かけておりましたが、文献を熟読するだけでなく、フィールドスタディをしないと、本当のことは分かりませんか。その後のふたりの宗教観は、対照的なように思えます。先生の「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」を熟読吟味いたしましたが、中沢先生は、「チベットのモーツアルト」の時代に比べ、大きく変節しており、評価できる部分とそうでない部分があって、評価が難しいと感じました。中沢先生の主張が裏目に出てしまったことは、残念でなりませんが、時代の検証を得てしまったことですから、受け入れざるを得ないことでしょう。先生が残ったことはまことに慶賀すべきことです。今後のさらなる躍進を期待しておりますので。

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