6月4日(木)村上春樹と中沢新一とのあいだに出来た大きな距離について考える
家で仕事をする。『宗教事件史』のゲラを読む作業の続きをする。一応半分を超えた。
午後は、まず『ブッダ100のことば』の打ち合わせをする。いったいどういう本にするのか、その方針を出版社の側に立てて貰うことになる。
その後、幸福実現党についての週刊誌の取材を受ける。これで同じ話題について三件取材されたことになる。
最後は、やはり週刊誌の電話取材だが、『1Q84』について話しをする。話しをしているなかで、今回刊行されたものが、4月から9月までの半年を扱っていて、1月から3月、そして10月から12月の部分がないことに気づく。はっきりとは断定できないが、これはおかしいのかもしれない。もしかしたら、今回発売されたものは半分で、続編があるのかもしれない。
朝日新聞に、中沢新一氏がエッセイを書いていた。肩書きは人類学者で、人類学との出会いについて書いている。本人が学者としてどういった肩書きを使おうと、本人の勝手だが、宗教学のことはどこに行ってしまったのだろうか。オウム事件のときに、宗教学者としての中沢新一は死んだと言っていたけれど、だからといって、そんなことはなかったかのように、人類学者として自らの学問的な遍歴について言及するというのはいかがなものだろうか。『オウム』の本のなかで、村上春樹と中沢新一とを同じ章のなかで論じたが、二人のあいだには、とんでもなく大きな距離が生まれているのかもしれない。
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Comments
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中沢新一先生の名前がありましたので、ここで、仏教関係のエッセーである梅原猛『隠された十字架-法隆寺論-』(新潮文庫、1981)について、質問させていただきます。梅原先生は、定説への疑問から大胆な仮説を唱え、関係文献を基に、論証しておりますが、仏教解釈と論証の内容は、学会で承認されていることなのでしょうか、それとも、単なるエッセーのレベル止まりなのでしょうか。島田先生の感想をおうかがいいたします。
Posted by: カトリック | June 07, 2009 01:15 PM