1月25日(月)15年前に一緒に上九一色村を訪れた因縁の編集者と再会する
今日は暖かい。ここのところ一日ずつ、新しい仕事をはじめているが、はじめてもはじめても、やるべきことがつかない。今日からは、「新宗教実用事典」という名前のついた本の原稿を書き始める。これは、全部私が書くわけではないが、書くべき量はかなりある。これで、同時に5冊分、平行して書いていることになる。今日は16枚書き上げる。
午後はヒルズへ。打ち合わせが二件。どちらも新しい本の企画。まとまったようなまとまらないような感じだったが、そのなかに、因縁の編集者が含まれていた。その彼とは、15年前、一緒に上九一色村に行った。例の第七サティアンを見学するためだ。それは、『宝島30』の記事になった。
今、これを書いていて、もしかしたら、15年前に行ったのは、今日と同じ1月25日のことだったのではないかということに気がついた。阪神大震災の翌日、1月18日に南青山のオウムの本部に行き、そこで『宝島30』の編集長が取材を要請し、それで25日に行くことになったのではなかっただろうか。調べてみたら、まさにその通りだった。そのあまりの符合には驚かないわけにはいかない。そんな不思議なことがあるのだ。
あの日は、晴れていて、オウムのサティアンの背後に見える富士山がきれいだった。そして、サティアンの群れは異様だった。強制捜査後にあそこを訪れた人はかなりいるだろうが、それ以前にはあまり人はいっていないはずだ。富士山麓のふもと、何もないところに、殺風景なサティアンがそこここに立っていて、その間を車などで信者が頻繁に行き来していた。いったいいつの間にそんなものが出来てしまったのか。私はそれに驚いたが、オウムが急拡大を果たした原因も究明できないまま、地下鉄サリン事件が起こってしまった。あれ以来、本当の意味で事件は解明されていない気がする。
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これはまず偶然でしょうが
でもただの偶然とは考えにくいでしょう。
オウム事件の主なものは
この三月から一挙に時効となります。
未解決の長官狙撃のみならず
犯行動機も背後関係も釈然としない
村井刺殺なども
刑事的には終わっていきます。
しかも最大のなぞである
サリン事件も
本当の全貌がわかっているとは言いがたいです。
これだけのテロ事件の全容が
わからないままの日本でいいのか。
オウム事件に
いやおうなく学者として
最も関与せざる負えなかった島田先生も
何ものからか
問われている気がします。
ですから編集者の再来という偶然が
ただの偶然だけと
片付けるわけにも行かない気もするのです。
Posted by: 緑の鏡 | January 25, 2010 10:49 PM