3月16日(火)長谷川等伯の回顧展に行くがあまりに絵がお粗末なので悲しくなる
朝から依然として戒名についての本、第6章を書く。少し短めだが、最後まで書きあげる。一応、あと2章で完成の予定になってきた。
今日行かないと、もうこれが最後と思い、午後に国立博物館へ行く。先日挫折した特別展「長谷川等伯」に。今日も、窓口のところでは70分待ちの表示が出ていたが、それほどは待たない気がしたし、これを逃したら、あとは見る機会がなくなりそうなので、列に並ぶ。並んでみると、あとから列が短くなり、入場するまでに40分はかからなかった。
等伯は、法華信徒だったので、その点で見ておかないといけないとおもったのだが、能登にいた時代に描かれた法華信仰関係のものは悪くないが、上洛して以降のものになると、自らの信仰とかかわりのない世界を描いたということなのだろうか、まるでよくない。というか下手。かなり時代が接近している、狩野永徳などと比べても、相当に腕が落ちる。ただ、最後の「松林図屏風」だけは、作品として注目される。もし、これがなかったとしたら、等伯は、回顧展などやってもらえない平凡な画家として位置づけられたであろう。
等伯の悪いところは、空間処理にある。たとえば、屏風絵を描いたとき、ポイントになるものが必要になる。多くの画家は、鳥を使うことで、そこに見る者の焦点が合うようにさせ、それを基盤に全体の構図を組み立てていくが、等伯はその努力をしていない。全体に平板で、見るべきところがない。
いったいなぜ長谷川等伯の展覧会にこれだけの人が訪れたのかわからないが、帰りに寄ったみはしでは、隣の席の夫婦が宗教的な絵などまるでわからないと話していた。これはもっとも。もしそれが絵として素晴らしければ、こうした疑問は観客から起こらない。はっきり言って、見るべきところのない展覧会だった。
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