1月10日(月)しだいに通常の体制に戻りつつある
新年が明けてから、けっこう寒い日が続いている。週末には、新潮新書として出す宗教についての本の第1稿を直し、第2稿を作る作業を続ける。前半の一神教の部分はかなり直さなければならないところがあったが、アジアの宗教になると、手を入れないでもいいところが多く、なんとか日曜日には終わる。タイトルと小見出しがまだ決まらない感じだ。
日曜日の夜には、新宿に『シュレック・フォーエバー』の吹き替え版3Dを見に行く。これまで、まったく見たことのないシリーズだが、映画自体は結構楽しめた。ただ、美しいものがまるで出てこないという点はどうなのだろう。物足りないというか、制作者の美意識には少し疑問。全体的にテイストにアジア的なものを感じるのは、一般の映画と制作者の層が異なるからだろうか。クレジットを見て行くと、ユダヤ系の人が少ない。アジア系やヒスパニック系の名前が並んでいる。これは、アメリカの映画界で、実写映画とアニメ映画の製作体制が違うということなのだろうか。
月曜日には、休日だが、いつものパターンに戻り、冠婚葬祭を一項目書いて、墓の本の次の章に入る。墓を作らない方法について書いていったが、実は東日本と西日本で、墓をめぐる事情がかなり違うことがわかってきた。これは、東京だけを考えていると分からない。西日本では、近畿圏を中心に早く都市化が進んだせいなのだろう、庶民が墓の問題を解決しやすいような体制ができている。散骨が東日本中心なのも、それが関係しそうだ。
ほかに、例の末っ子番組の打ち合わせが入る。これはどうもシリーズ化していく気配だ。
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葬式は審判の場
『葬式は、要らない』、読ませていただきました。
新書なのに、膨大な情報が盛り込まれていて、とても勉強になりました。へぇ~、と思うことばかりで、先生のおっしゃる、葬式無用論もとても納得が行きました。なるほど、見栄や世間体で葬式をすることほど、バカらしいことはないな、と思います。
一つ、欲を言わせていただければ、葬式が持つ意味合いについて、もう少しご教授いただきたかったな、という感が正直ありますね。
生を終えるための儀式として、あるいは、霊の世界へ旅立つための儀式として、葬式はどうあるべきか、いかに現代の葬式がズレているか、みたいな話を、また別の機会にでもお伺いできれば幸いです。
葬式にお金を掛けることはバカらしいですが、でも、お金を掛けようが質素に済ませようが、それはある意味、どっちでもいいような気がします。一つの伝統行事、趣味・趣向かも知れませんし、少なからず、死と向き合う機会を与えてくれている、という意味では、やらないよりはやったほうがいのかな、と思います。
もっと言わせていただければ、私は、こんなふうに考えます。
人は生を受けると、まず胎児として、お母さんのお腹の中で、一方的に愛情を受けて10月10日を過ごします。誕生し、やがて独り立ちすると、今度は受けることよりも与えること(能動的なこと)に重きをおくようになり、そういう人格になっていきます。
次に行く世界(あの世)は、より次元が高いはずですから、与えること(受けることには関心がない)が当たり前の世界だろう、と考えられます。
オギャーと生まれて死ぬまでの人生は、そうした「与える心(高次元の魂)」を育むための期間で、葬式はその道のりの、一つの節目となる儀式ではないか、と思います。
ですから、その与える心(魂)の成長度合いに応じて、葬式が審判の場になったり、喜ばしい門出を祝賀する場になったりするのではないか、と思います。
おかしな考えですかね。生意気言って、すみません。
先生の本は、本質を考えさせるきっかけを与えてくださいました。本当に感謝です。
Posted by: その節は | January 10, 2011 08:24 PM