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January 2011

January 31, 2011

1月31日(月)宗教についての本の第3稿を直し終わり精も魂も尽き果てる

今日は相当に寒い。もう少しすると、この寒さから脱するようだが、北陸ではまた豪雪になっている。先日、佐渡で大雪は経験しているが、佐渡はもともと雪がそれほど多くない地域らしく、それに比較して、本当の豪雪地帯は本当に大変だろう。

今日は一日家で仕事をする。冠婚葬祭を一項目書き、あとは新潮新書の宗教についての本の直し。これが第3稿になる。一神教について書いた前半の部分をまた直したので、時間がかかった。後半の東洋の宗教はそれほど問題がない。一日仕事をして、なんとか最後まで直しきる。この作業で、随分自分が絞られているような気がする。ぐったりだ。

宗教にかんしては、私の本のネット上での書評でも言えるが、ここがわかっていないとか、あたかも私が間違ったことを言っているように書いてあるものを見かけるが、どうもそちらの方が怪しい。そこには、信仰上の問題もからんでいて、信仰者にはある事柄が自明でも、信仰がない立場からすれば、それは前提にならないということがある。ここが、宗教の本についての評価の難しさだろう。

新聞の夕刊には、『知らなかった自分がわかる 「生まれ順」診断BOOK』の広告が比較的大きく出た。これまで出たことのないテレビからも、出演の話がきている。こうしたことはしばらく続くのかもしれない。興味がある人は、こちらのブログを見ると面白いかもしれない。

January 30, 2011

1月29日(土)菅原文太さんのラジオ番組の収録で『人はひとりで死ぬ』について語るがネットには長文の批判が出ている

午前中は少し仕事をして、軽く昼食をとったあと、日比谷のニッポン放送へ行く。菅原文太さんのラジオ番組の収録のため。内容は、『人はひとりで死ぬ』に沿ったもので、葬儀や死の問題について1時間ほど話をする。これが30分にまとめられるようだが、放送は3月に入ってかららしい。朝、5時代の早い時間だが、ラジオの視聴者はこの時間帯にけっこういるようだ。

なお、『人はひとりで死ぬ』については、いろいろ紹介してもらっていて、おおむね評価が高いが、反論がネットに載っていた。『葬式は、要らない』に対抗して出た『葬式は必要』の著者が、ブログでかなり長い反論を書いてくれている。有難いことだと思う。

番組の収録が終わってからは、ヒルズへ行き、仕事をする。『エンディング・ノート』のための原稿を3本くらい書く。
あとは、内容をどう固めていくかになるだろう。

January 29, 2011

1月28日(金)新潮社から『「生まれ順」診断BOOK』が刊行された

午前中から午後にかけては家で仕事。冠婚葬祭を一項目書き、世界の宗教の直しをする。これがけっこう時間がかかる。

午後はヒルズへ。角川の編集者と「日本経営哲学史」を出すための勉強会。2回目の今日は松下幸之助をとりあげた。物を造れば売れる時代の経営者という感じがするし、生まれ順的にはいかにも末っ子のキャラクター。とりあえず、現状を正しいと認め、そのうえでどう商売をしていくかという発想は末っ子ならではだろう。もちろん、生まれ順の本にはならないが、末っ子パワーがさく裂しているようにも思える。興味深いのはダイエーとの対決。中内功はちなみに第一子。生産の側と消費の側の主導権争いとして見ると、この対立は時代を象徴している。

夜は、先端研で研究会。スマートグリッドと小沢一郎論。この研究会も、現在の形態では次が最後になる。その最後に話をすることになった。

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新潮社から『知らなかった自分がわかる 「生まれ順」診断BOOK』が刊行になった。生まれ順としては、三冊目。今回は、イラストがふんだんにはいってとても読みやすい。新潮社らしくない本だ。


January 27, 2011

1月26日(水)監修した『お墓なんていらない!?』が届き2月8日に放送される『コレってアリですか』の収録にのぞむ

昨日は、サッカーの日本対韓国を見てしまった。白熱した試合ということもあり、充分に眠れなかった。佐渡の疲れもあり、少し遅めに起きる。仕事は、『本の時間』の連載の原稿、3回目を書く。結婚式の宗教性について書こうとしたら、内容はまるで違うものになってしまった。明日推敲して送ることにする。

午後は床屋へ。途中はほとんど寝ていた。

夜は、日本テレビへ。『コレってアリですか』の収録があった。末っ子についてとりあげる3回目。今回はデート篇だが、出演の末っ子軍団、ますます反抗的になっている。彼らを相手にバトルを展開する。放送は2週間後の2月8日。まだ続きがあるらしい。

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監修した、墓についての本が届く。『お墓なんていらない!?』というもので、普通の墓を求めない人がどうするかについてのガイド。散骨、樹木葬、永代供養墓、本山納骨、手元供養などについて具体的にその方法がとりあげてある。その点では大変便利な本だ。

January 26, 2011

1月23~25日(日~火)佐渡日蓮紀行

23日の日曜日から、25日の火曜日までは佐渡へ出張。日蓮ゆかりの場所をめぐる。日蓮が漂着したとされる場所からはじめて、塚原の三昧堂へ向かった山道、その三昧堂、その後に日蓮が移って「観心本尊抄」を書いた妙宣寺、それに佐渡金山やとき保護センターなどを回る。

宿泊先は、ヤマギシ会時代の知り合い平田夫婦がやっている民宿「桃華園」。実に再会は30数年ぶりかもしれない。すごかったのは雪。地元の婆さんたちは嫁に来て以来だと言っているとのこと。というわけで、あわただしく島内をまわり、日蓮が過ごした冬の寒さを少しだけ実感する。

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January 22, 2011

1月21日(金)しばらく葬式や墓そして死をテーマにした本は書かない方がいいような気がしてきた

朝、冠婚葬祭の原稿を一項目書いてから、ヒルズへむかう。校正の仕事は、家だとなかなか集中できない。その点、ヒルズのライブラリーだと、ほかの人たちは仕事をしているし、遊んでいるわけにもいかない気分になるので、校正をするにはむいている。おわりにを書いてなんとか完成させる。

ほかに、『文藝春秋スペシャル』の付録になったエンディングノートの書籍化のために、原稿を書く。いくつか書かなければならないが、はじめにの部分10枚ができた。葬式や墓、死の問題など、ここのところそれにまつわる本ばかりを書いていて、それが定着した感じでもあるが、今引き受けている分以外、そうしたテーマはしばらく休みたいと思っている。もっと別の領域を広げる必要がありそうだ。

夕方は、サイゾーの取材を受けて、校正した『墓は、造らない』を編集者に渡す。4月2日には朝日カルチャーセンターの新宿教室で、このテーマで講座を開くことになった。ここのところ、カルチャーセンターからの依頼が多い。ほかにも、別のカルチャーセンターから、『人はひとりで死ぬ』をもとに講座をという話もきた。

夜は、高校の同級生が集まって高田馬場で飲み会。久し振りという顔もあった。同期会の名簿から自分が外れて、行方不明になっているのを確認する。引っ越しのしすぎのせいだろう。同級生のなかには、毎年、鬼籍に入る人間が出るようになってきた。最後に、彼らに杯をささげて、お開きとなる。

January 20, 2011

1月20日(木)『墓は、造らない』の校正をし小幡さんからツィッターの功罪について話を聞く

午前中は家で仕事をする。冠婚葬祭を一項目書いたが、これで「婚」が終わりになった。明日からは、一番数の多い「葬」の章に入る。次は、携帯サイトの生まれ順のコラムを書く。ほかに、『宗教と現代がわかる本2011』に書いた原稿の校正をする。さらに、2月に刊行する『墓は、造らない』の初校ゲラに手を入れるが、家でやっているとしんどくなるので、ヒルズへ行く。それでも、納骨の仕方の東日本と西日本の違いのことも調べなければならず、終わりまではいかなかった。そうしているうちに、新潮新書の宗教の本第2稿の注文が届く。これをプリントアウトするが、もう少し、色気というか、分かりやすくする必要がありそうだ。

久し振りに小幡さんと話をする。政権の話も出たが、最近彼がはじめたツィッターについて聞いてみる。その効用と弊害について教えられる。現代の情報社会の象徴のようなツィッターだが、一度その世界に入り込むと、様相が変わってくるようだ。それをいいと考えるか、それともうっとうしい、問題と考えるかは、その人間がどういう立場にあり、どんな仕事をしているかにも関係しそうだ。

1月19日(水)「午前10時の映画祭」赤のシリーズがすべて終わる

「午前10時の映画祭」も、今回が第一シリーズの最後になる。50本のうち、49本を見た。最後は、「ショウほど素敵な商売はない」。先週に引き続いてマリリン・モンロー出演だが、音楽と踊り主体の当時のハリウッド映画で、「お熱いのがお好き」とはテイストが違う。この時代のアメリカがいかに豊かを改めて知るような気がした。49本見て、これまで見ていなかった映画もかなりあり、勉強になった。やはり映画は面白い。つまらない作品もあったが、選ばれたものだけにいい映画が少なくなかった。リプリントもきれいで、なるほどこういう映画だったのかと再認識したものもあった。問題は2月からはじまる次のシリーズをどうするかだ。

午後は、ヒルズで取材が2件と打ち合わせが1件。今週の分をまとめてこなした感じだ。取材は生まれ順とキリスト教。フジテレビが生まれ順のドラマを放送することがわかった。そこまで浸透してきたということだろう。

取材が終わってから、聖地の本の大神神社の項目、追加のための原稿を書く。これは、途中にさしはさんだのでもう一度整理が必要だろう。

January 19, 2011

1月18日(火)病院でひどく待たされその間にプルーストを読んでしまう

朝は、学校公開ということで小学校へ行く。パブリックシアターから指導者が来ていて、子供たちに演劇の初歩を教えるのを見る。こうした機会は昔はなかった。

それから、家で原稿を書く。冠婚葬祭と新宗教の事典の原稿。関東中央病院で健診があるが、ひどく待たされる。そのあいだに、テレビの台本に目を通し、岩波文庫の新訳で読み始めたプルーストの『失われた時を求めて』、1巻の後半の部分を一気に読みとおしてしまった。検査の数値は悪くない。病院の外に出ると、中庭がライトアップされていた。

『「末っ子男子」のオトし方』の紹介がブログに出ていた。今月には新潮社からも生まれ順の本が出る。その広告が『新潮45』に出ていた。

January 18, 2011

1月17日(月)『人はひとりで死ぬ』についての感想などさまざま

午前中から午後にかけて、家で仕事。冠婚葬祭の一項目を書いた後、新宗教についての事典の項目が残っているので、それについて手をつける。内容は、新宗教をめぐる犯罪について。あと、聖地の本の靖国神社の項目のメモを作り、ドキュメンタリー映画の『靖国』を半分くらい見る。

夕方は新宿へ行き、『アエラ』の取材を受けてから、歯医者に寄る。定期的な健診。

『人はひとりで死ぬ』について、ネット上にはいろいろな感想が出ている。まず、高校の同級生の渡辺氏の感想。それから、どこの形は存じ上げないが「自由の騎士が行く」というブログでのものは、編集者の評価も含め、とても興味深い。もうひとつは感想ではなく、紹介だが、あゆみBOOKSのブログでは新年最初に紹介してくれている。練馬の平和台にもあるこの書店は、小さいのにもかかわらず本の品ぞろえが抜群で、近くにあればいいと思うすぐれた店だ。

January 15, 2011

1月14日(金)マリリン・モンローと日蓮

朝、いつものように冠婚葬祭の項目を一つ書いて、ヒルズへ。「午前10時の映画祭」も、あとは次の週を残すだけになった。今回は、マリリン・モンローの「お熱いのがお好き」。見たかどうか定かではなかったが、見始めると見たような気がしてきた。モンローは、お色気路線まっしぐらだが、ビリー・ワイルダーの作品だけによくできていて、しっかりハッピーエンドになっている。今はこれだけスピード感のある映画は少ない気がする。時間もほぼ2時間でちょうどいい。

昼食をとってから、新宿へ出る。ヒッキー・フリーマンに実はごく一部女性物があるのを教えられ、取り寄せてもらった。トナカイの皮のコート。これがなかなかいい。セール価格なので、これも取り寄せてもらったインポートのズボンとともに購入する。こちらは綿なのにウールよりも暖かい。今年の冬にはうってつけだ。

午後は日蓮遺文の勉強会。主なところは、「立正安国論」の広本と呼ばれているもの。これに対して、文応本は略本といわれることもあるらしいが、小松先生が指摘される通り、それはおかしい。般若心経の場合には、最初に釈迦の説法の話が出てくるものが広本になり、一般的なものが略本だが、「立正安国論」の場合には、あくまで増補改訂版だ。内容について、あまりいじっていないのは、日蓮が身体的に衰えていて、弟子に元の本を写すのを命じたからではないだろうか。真筆かどうか議論があるらしいが、写本の可能性の方が高いように思えてきた。

January 13, 2011

1月13日(木)墓についての本の第1稿ができる

朝から家で仕事をする。いつものように冠婚葬祭を一項目書き、これで30項目になった。それから、墓の本の続きを書く。最後の7章を書き、はじめにを追加する。これで、全体が完成した。主張も明確なので、全体に筋が通っていると思う。編集者の希望する締め切りには少し遅れたので、校正などがタイトなスケジュールになってしまったが、これだと3月には出版されることになるのではないだろうか。

仕事の途中ウェッブを見たら、佐々木俊尚さんが『人はひとりで死ぬ』のことを書いてくれているのを発見した。佐々木さんご本人とは面識がないが、朝日新聞の売れた本のコーナーでは、最近『創価学会』を取り上げてもらったりした。今回も好意的なものでありがたい。共同通信からは月末に書評が配信されるらしいし、これに関連して取材の申し込みも来ている。今、一番問題の事柄について書いたのだから、そうした反応があるのも自然なのかもしれない。

朝日新聞には、山折先生の土葬への回帰を訴えるインタビュー記事が載っていた。墓の本でも、その主張は一部取り上げたが、今回の文脈は少し違っている。はたしてこうしたものにどういった反響があるのだろうか。それも興味深い。

1月12日(水)NHKの経営委員のなかに風評に弱そうな人を見つけもし自分が会長になったらNHK職員の無縁社会化を防ぐ対策を立てるのにと思う

とりあえず、朝から家で仕事をする。冠婚葬祭を一項目書き、3つほど来ていたインタビュー取材、座談会の原稿に手手を入れる。それから、墓の原稿を書く。いよいよ最後の章に入ってきた。

夜は、池袋へ出て、「レシャット」へ。『般若心経』の本でお世話になった編集者と新年会。次の本の企画の話も出るが、具体的にこれだというのは出なかった。

NHKの会長選出のことが社会問題になっている。風評で騒ぎが大きくなったらしいが、経営委員という人たちの顔ぶれを見て、なるほどと思った。そのなかに、風評に弱い方がいたからだ。オウム事件が起こったころ、私はバッシングを受けたが、そのほとんどは風評だった。にもかかわらず、予定していた論集への寄稿を、その風評をもとに封じようとした人がいた。そうした方が、経営委員に含まれているというのはいかがなものか。それにしても、顔ぶれを見ると、この人なら信頼できるという人があまり含まれていないという印象を受ける。

もし私がNHKの会長になったとしたら、NHK社内の「無縁社会化」を防ぐのを、不祥事対策の第一にあげる。NHKでは、職員は全国に飛ばされることが多く、しかも移動の時期が夏休み中だったりする。これでは、とても地域に根ざした生活など送れない。私の知り合いの職員の子供は、それは困るとNHKの会長に直訴したことがあったと聞いた。無縁社会を一番恐れているのは、番組を作った当人たちではないか。それと不祥事は関係しているように思う。会長は、そうした体制にメスを入れるべきではないか。

January 11, 2011

1月11日(火)世の中は完全にお正月モードから抜けようとしている

連休があけて、ようやく世の中は通常モードになったようだ。世田谷区の小学校なども、なんと今日が始業式。ずいぶんと長い冬休みを子供たちは送っている。

朝は、採血検査があるので、朝食をとれず、とりあえず原稿を書く。あまりに寒いので、車で病院まで送り迎えしてもらう。帰ってから朝食をとり、ふたたび仕事。今日は、いつもの冠婚葬祭と、墓の原稿。これはかなりはかどった。5章を終えて、6章の途中まで行き、あとは7章ということになる。それで本文は終わり。はじめにとおわりにを加えると完成になりそうだ。

途中で、キース・ジャレットの5月にあるソロ・コンサートの予約をする。先行予約の開始時間を忘れていて、SS席はすでに売り切れになっていた。このソロ・コンサート、前回の経験からすると、相当緊張感があり、その分、いい演奏が期待できる。観客のほうが緊張しすぎて、キースにもっとリラックスするよう指示されたりもするかもしれない。それは、前の時にあった。

January 10, 2011

1月10日(月)しだいに通常の体制に戻りつつある

新年が明けてから、けっこう寒い日が続いている。週末には、新潮新書として出す宗教についての本の第1稿を直し、第2稿を作る作業を続ける。前半の一神教の部分はかなり直さなければならないところがあったが、アジアの宗教になると、手を入れないでもいいところが多く、なんとか日曜日には終わる。タイトルと小見出しがまだ決まらない感じだ。

日曜日の夜には、新宿に『シュレック・フォーエバー』の吹き替え版3Dを見に行く。これまで、まったく見たことのないシリーズだが、映画自体は結構楽しめた。ただ、美しいものがまるで出てこないという点はどうなのだろう。物足りないというか、制作者の美意識には少し疑問。全体的にテイストにアジア的なものを感じるのは、一般の映画と制作者の層が異なるからだろうか。クレジットを見て行くと、ユダヤ系の人が少ない。アジア系やヒスパニック系の名前が並んでいる。これは、アメリカの映画界で、実写映画とアニメ映画の製作体制が違うということなのだろうか。

月曜日には、休日だが、いつものパターンに戻り、冠婚葬祭を一項目書いて、墓の本の次の章に入る。墓を作らない方法について書いていったが、実は東日本と西日本で、墓をめぐる事情がかなり違うことがわかってきた。これは、東京だけを考えていると分からない。西日本では、近畿圏を中心に早く都市化が進んだせいなのだろう、庶民が墓の問題を解決しやすいような体制ができている。散骨が東日本中心なのも、それが関係しそうだ。

ほかに、例の末っ子番組の打ち合わせが入る。これはどうもシリーズ化していく気配だ。

January 08, 2011

1月7日(金)さっそく池田信夫氏が本の紹介をしてくれた

一日、家で仕事をする。宗教の本の直し、一神教の部分はかなり苦労したが、アジアの宗教に入ると、それほど多くの直しを必要とはしない。これなら、それほど時間はかからないだろう。ただ、いったい宗教とは何なのかについて、本の最後で書く必要があるような気になってきた。これは、まとめるのが難しい。

発売されたばかりだと言うのに、池田信夫氏がそのブログで、『人はひとりで死ぬ』の紹介をしてくれた。ありがたいことだ。

明日は、新聞に広告も載るはずだ。

January 06, 2011

1月6日(木)『人はひとりで死ぬ』が刊行される

新年初めて映画を見る。「アパートの鍵貸します」を見る。昔見たはずだが、何も覚えていない。シャーリー・マクレーンが出ていたのも記憶になし。よくできた映画だと思うが、これが公開された当時、日本人がこの映画をどう見たかを考えるのも面白い。クリネックスティシューの箱、一本ずつ包装されたストロー、インスタントコーヒーなどは昭和30年代の日本社会には入っていなかったのではないだろうか。入っていたとしても相当に高価だったはずだ。それにインスタントコーヒーは、MJBだった。そんなの日本で見たことがない。

昼食は、天気がよさそうなので実に久し振りにヒルズクラブへ行く。予想通り、遠くまでよく見えた。

そのあとは、ライブラリーで仕事。世界の宗教の本と格闘するが、なかなか進まないし、満足できないところが多い。これが終わらないとほかの仕事はできそうにない。


5時に仕事をやめて、新宿へ。伊勢丹で買い物した後、紀伊国屋書店に行く。おそらく今日からだろうと思うが、『人はひとりで死ぬ』が並んでいた。一階にもおかれていたのはよいことだ。

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January 05, 2011

1月5日(水)いよいよ仕事始めだが富十郎氏の逝去は悼まれる

歌舞伎の中村富十郎氏が亡くなった。81歳。もう少しは行ける年だと思っていたが、新年の新橋演舞場出演を控えていながら、亡くなってしまった。かなりその舞台は見たが、なんといっても踊りがすばらしかった。せりふ回しには独特のものがあり、それがときに単調さに結び付くようなこともあったが、それも含め、武智歌舞伎の影響ということだろうか。歌舞伎には演出家がいない分、外部の目というものが届きにくい。もちろん、先輩の役者から習うわけだが、そこには忠実に技を伝える意識が強く働き、演技や身体の使い方など、土台となるものに対する目配りは欠けているのかもしれない。惰性に流れやすいとも言える。はたしてこれから、富十郎氏のような、しっかりと体が使える役者が出てくるのか。その点はかなり重要なことだろう。

今日からは本格的な仕事始めになり、新潮新書から出す宗教の本の直しをはじめる。編集者からの注文もあるが、読み直してみると、足りないところも目につく。一日で全体の4分の1ほどしか終わらなかった。これは、案外時間がかかる。

January 04, 2011

1月4日(水)仕事始めに靖国神社へ行く

まだ本格的とは言えないが、徐々に仕事はじめ。昨年から書き継いでいる冠婚葬祭難問集を再開する。とりあえず、一日分のノルマをこなす。あとは、『文藝春秋』に載る池上彰氏による日本の宗教状況についてのインタビューに手を入れる。

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昼からは、聖地巡礼の補足ということで、改めて編集者と靖国神社を訪れる。三が日も終わったので、さほど混雑はしていない。参道には、露店がいろいろと出ているが、みたままつりに比べると数は少ない。ただ、大型の酒を飲ませる店が多いのが目につくが、これは、仕事始めで出社したサラリーマンが集団で初詣に来て、靖国神社で飲むというパターンが定着しているかららしい。神社でこれほどの数のスーツ姿を見たことがなかった。

新装されてから遊就館に来たことがなかったので、入ってみるが、展示は古い建物のなかで、それにガラス張りを足した感じ。靖国神社が製作した映画が上映されていて、それを見る。おそらく7,8年前に作られたものだと思われるが、就職活動をしている青年が彼女の影響で英霊のことを知り、自分の道を見出して、会社に入る代わりに、コーヒーの焙煎の店に入るというストーリー。決してつまらなくはないが、設定がある意味不自然で、何のための映画かが分かりにくい。展示の方は、日本の戦争の歴史を追った形になっていて、昔よりきれいになっているが、その分、英霊を祭るという意識は希薄になっているように思えた。それも、時代のなせるわざだろうが、あるいは靖国神社は企業戦士のための癒しの場になっていくのだろうか。少し未来を見た気がした。

January 03, 2011

1月3日(月)年頭に当たって改めて『葬式は、要らない』を批判する人たちの問題点を考える

昨年は、『葬式は、要らない』のせいで、葬式について発言し考えることが多かったが、この本が出たのがちょうど一年前の1月末のことになる。昨年も亡くなった方は119万人に達し、それだけの数の葬儀が営まれたことになる。依然として葬儀のことはさまざまな問題を含み、議論の対象になっていく気配がする。

ちょうど、『寺門興隆』の新しい号では、作家でもあり臨済宗の僧侶でもある玄侑宗久氏が、私の本を読んで批判を書いている。『日本の論点2011』でも、葬儀をめぐって議論を戦わせる関係になった。また、大阪の秋田光彦氏が出している『サリュ』というミニコミ誌でも、私が応典院まで出向いて話をしたことを含め、葬儀についての議論が特集されている。

私の、いわば「葬式無用論」に対して、玄侑氏に代表されるように「葬式有用論」を説く人も少なくない。よく批判されるのは、葬儀を出す側の視点が欠けているといった言い方をされ、葬儀がもつ「グリーフ・ケア」の役割の重要性が強調されることがあるが、私からすれば、よほどそちらの議論の方が葬儀を出す側の視点が欠けているように思えてならない。金のことを持ち出すのが気に入らないのだろうが、現に今、葬儀や墓に出す金がなくて困っている人たちがいる。そうした生者に、自分の生活を犠牲にしてでも、死者のための供養を行えと言うのだろうか。宗教家が考えなければならないのは、むしろ葬儀を出せなくて困っている人たちをどう救うかではないだろうか。

そうした点を含め、私を批判する人たちは、現在と過去としか見ていないように思える。過去をいかに現在に通用させるか、視点はそこにとどまる。私が必要だと考えるのは、むしろ現在と未来を見ることで、いかに未来を見通した上で葬儀を考えるか。重要なのはその点だと思うのだ。おそらくこの議論は今年も続くことだろう。

January 01, 2011

元旦

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

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正月元旦

島田裕巳

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