3月15日(火)災害に宗教的な意味を見出すことは極力戒めるべきだ
原発からの放射線漏れが憂慮されるなか、石原都知事の発言が問題になった。けっきょくは謝罪したようだが、知事に限らず、大規模な災害に遭遇すると、そこに何らかの意味を見出そうとする人たちが出てくる。しかもそれは、信仰をもつ人々に多い。石原知事も、法華系の新宗教である霊友会の信徒だと言われ、実際『法華経を生きる』という本も書いている。
法華経を釈迦の本当の教えが唯一説かれた経典ととらえた日蓮は、法然念仏宗などの邪教が広まるのが放置されている限り、日本は異国から攻められ、国内では政治的な反乱がおこるだろうと予言した。その予言は、蒙古の襲来に寄って的中することにもなるが、そこから日本の法華信仰、日蓮信仰には、災難に意味を求めようとする傾向が強くある。日蓮は、相当に規模の大きかった正嘉の大地震に鎌倉で遭遇しており、その体験から天変地異に邪教が広まっているあかしを求めようとした。その傾向が、現代にまで受け継がれ、おそらくは石原知事にも影響を与えることだろう。
ただしこうした傾向は、日蓮信仰においてだけではなく、終末論的な傾向が強いキリスト教にも見られる。災難が世の終わりの前兆としてとらえられるわけである。
しかし、災難や災害に意味を仏や神なりの警告的なメッセージを見出すことは、災害の被害者には受け入れがたいことだ。また、当然ながら、その根拠はない。災害に意味を見出していくことは、被害者にも罪があるという論法にも発展していきやすい。
その点で、今回の大災害に意味を見出すことを、とくに法華信仰やキリスト教の信仰をもつ人たちは戒めるべきだろう。地震も津波も自然災害であり、宗教的な意味などあるはずはない。
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Comments
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私も日蓮仏法を学んでいますが、少なくとも、日蓮は、宗教的な意味ととられてしまうんでしょうが、人間のエゴに対する事を言いたかったのだと、思います。大災害にあった人の心を、さらにふみにじる、窃盗、そういう人間の汚い命を、改めなさい、そう言われたいのだと思います。災難も、一番、起こってもらっては、困る所に起こる、そう教えてられると思うんですが。ただ、宗教と言う表面的な事を言っているのではなく、もっと人間の深い部分を言いたいと私は、感じましたが。無宗教と言われている方も、悪いことをしたら、悪いことが返ってくる、それ言う、宗教的な事は、当てはまることではないんですか?
Posted by: 田村 | March 21, 2011 08:05 AM
今回の事があって、本当にもう 神も仏もあるもんか!! って思いました。 一体二万人以上の人達が何を悪い事をしたんでしょうか!? まったく許せない!何も悪い事などしてない平凡な暮らしをしていた人びとの命を突然奪うなんて、そんな神や仏がいるとしたら…。 すいませんでした。 m(__)m
Posted by: 三河者 | March 22, 2011 08:41 PM
<地震も津波も自然災害であり、宗教的な意味などあるはずはない>
先生が“問題提起”された自然災害と宗教の関係性について、ずっとずっと考えてきました。私なりの一つの考えがまとまりましたので、コメントさせていただきたいと思います。
私も、地震・津波を「天罰だ」「神の怒りだ」などと解釈するのはどうか、と思います。非科学的だし、天罰を受けるべき人が被害を免れ、心清い人が被害を受ける、といった現実もあり、おかしいと思うからです。
ただ、人間の知恵や想定を上回る災害が及ぶことを考えますと、人智を超えた“何か”(以下、神と呼びます)に思いを致すしかないのではないか、とも思います。
自然は科学的な原理原則に基づいて動いています。神もその原理原則を無視することはできないと思います。だから、ある意味、地震(地球の“新陳代謝”)は起きるべくして起こった(起こっている)とも言えます。
問題は、地震が起きることを予め予測できるであろう神と、それが予測(察知)できない人間がいる(動物は察知できるのに)、ということではないか、と思います。神としては何とかそれを分からせようとする、がしかし、人間はそれを分かろう(悟ろう)としない。ここに悲劇の要因の一つがあるのではないか、と思います。
もちろん、被災地の人に問題があるわけではなく、日本全体、人類全体がそれを悟る(察知する)ことができていない、ということが問題だということです。だから、「天罰」ではないけれど、宗教的な意味は大いにある、と私は考えます。
生意気言って、すみません。
Posted by: その節は | March 24, 2011 08:37 AM