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April 17, 2011

4月16・17日(土日)葬式仏教は皮相的なものとしてしか受け入れられてこなかった現実が今回の震災であらわになった気がする

土曜日の午前中は、締め切りに遅れた原稿を書くが、満足できない。編集者にはまだ送らず、再検討する。

午後は、ヒルズで取材を受ける。原発の問題について。だが、けっきょく宗教とのかかわりのような話になった。

日曜日には、気に入らない原稿に手をつけ、結局最初から全部書き直す。なんとかこれで形になった。

被災地に、仏教の僧侶たちが救援活動に行っていることはよく聞いている。けれども、ここ2、3日の新聞を見ていると、救援物資を届けるといったことはともかく、本来の宗教者としての役割を果たそうとすると、厚い壁にぶちあたっているという記事を見かける。火葬場などで読経しても誰からも礼を言われないとか、死を連想させるので坊さんは来るなと言われたとか。死者の供養という、仏教に課せられている役割を果たそうとすると、それが受け入れられない。どうもそういう現実があるようだ。

日本では「葬式仏教」と言われるが、それは極めて表層的なものなのかもしれない。遺族が死者を送るために葬儀社を必要とするのと同じレベルでしか、僧侶が求められていない。被災地では火葬がままならない状況のなか、仕方なく土葬した遺体をすぐに掘り起し、改めて火葬している例もあるらしい。遺体をなんとかしっかりと葬りたいが、僧侶による供養などはとくに要らない。そうした感覚が、被災地のみならず、日本人全体にあるのではないだろうか。

地域にある旦那寺の住職なら必要だが、関係のない僧侶は、新宗教の勧誘と同じレベルで嫌われる。日本人は、文化としての仏教は求めているが、宗教としての仏教はまるで求めていない。そんな構図が今回の出来事を契機にあらわになっている気がする。やはりその意味で、日本人は「無宗教」なのだろう。

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Comments

宗教はなくてもいいの?

<日本人は、文化としての仏教は求めているが、宗教としての仏教はまるで求めていない>

なるほど~。納得です。
本当、そんな気がします。

「文化としての仏教(宗教)」。それだけ、豊かになり、深刻に生老病死について悩まなくなった、ってことでしょうか。

それとも、宗教に対する理解が浅すぎる、ということでしょうか。

この現象は果たして悪いことなのでしょうか。

今後は、宗教儀礼や苦行をほどほどに、神仏への畏怖(恐怖心)もほどほどに、「幸せに生きる」という程度の価値観(文化)を共有する時代になっていくのでしょうか。

津波で流された被災地を哀れみ、そして、それに対して支援をする、ということは、宗教心というより良心から発するもの。しかも、「一つになろう」「助け合おう」というメッセージが共感を呼び、感動をもたらしています。

宗教のストイックさはますます敬遠され、「一つになる」「助け合う」といった“宗教的な文化”が今後、広がっていくのではないか、という気がしています。

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