6月23日(木)「フレンチ・コネクション」を見てキャンディーズについての取材からアイドル論の重要性を考える
朝は映画。「フレンチ・コネクション」。これは見たことがない。この映画が封切りされた当時、1970年前後には、アクション映画など見ていなかった。この映画を見ていると、60年代のアメリカがいかに荒廃していたかがわかるような気がした。とにかく町が汚い。そうした社会状況のなかで、かなりきわどいことをしながら汚い犯罪に立ち向かう刑事の姿は共感を呼んだのだろう。
ただ、今からすると、これがアカデミー賞の作品賞をとったというのは信じられない。言われてみれば、ドキュメンタリータッチの映画の撮り方は、斬新なものに映ったのだろう。その感覚が、この作品を土台に同じような手法を使った映画が次々と作られた後の今では、わからなくなっているのかもしれない。古びたというわけではににしても、新しさがわからない。そこも映画史的には興味深いところだ。
午後は、取材が一件。キャンディーズについて。アイドル論だが、いろいろ話していて、アイドルのカリスマ性を強化するものとして、「引退」、「解散」、「卒業」、そして「死」というものがあることに気付いた。引退は山口百恵に代表されるもので、個人でしかできない。逆に解散はグループにしかないことで、解散後はそれぞれのメンバーは引退するかどうかわからない。キャンディーズの場合は、芸能人であり続けた。
一番概念としてあやふやなのが、卒業だろう。卒業するには、所属するグループがそれ以降も存続していかなければならない。辞めさせられるのとも違い、次のステップに進むという意味合いが卒業にはあるが、卒業してではどこへ行くのか、それがおニャン子クラブ以降のアイドルのむずかしさかもしれない。死んでしまえば、当然、神格化される。少なくともアイドルグループの場合には、最終的になくなることが前提になっていて、死に向かって進んでいるところがある。その点が一番重要なのかもしれない。
逆にファンのアイドルへの思いというのは、特別なものがある。アイドルは個々の人間の人生の中核に位置していて、それに代わるものはない。まさに神であり、これこそが信仰だともいえる。いろいろとアイドルについて考えていると、これは本格的に議論する必要があるようにも思えてきた。
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