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December 30, 2011

12月29日(木)「ディーバ」を見て天台宗は地味かどうかを考える

今年も残りわずかになってきた。午前10時の映画祭は、「ディーバ」。ディーバとは歌姫のことだが、まったくこの映画のことは知らなかった。いかにもフランス人が作りそうな、感覚的な映画で、アクションものではあるが、芸術映画でもある。サスペンス的なところの謎解きも適当だが、美しい場面があったりする。猫の名前が「アヤトラ」なのは、ホメイニをさしているのだろう。その当時なら、観客は爆笑しただろうが、今は気づく人もいない。面白いような面白くないような映画だった。

午後はライブラリーで仕事をするが、途中、幻冬舎の編集者が来て、ゲラを渡され、雑談をしていたら、2時間経ってしまった。これは、いつものパターンだが、それでも次の仕事の話も少しした。2月に出る本のタイトルは今のところ、『なぜ浄土真宗が多いのか』で、サブタイトルが「日本仏教宗派の謎」となっている。変更の可能性もあるが、各宗派を網羅的に取り上げている分かりやすい本になっている。編集者が章のタイトルを考えてくれたが、天台宗は「比叡山の地味な開祖・最澄の天台宗」となっていた。たしかに、天台宗は特徴がなく、地味なのだが、いくらなんでもこれではかわいそうだ。

と思っていたら、夜麻布十番のソバ屋で飲んでいたら、隣の席に僧侶とその知り合い夫婦が来て話をしていた。どこの宗派だろうかと思っていたら、回峰行などの話が出たので、天台宗と分かる。なるほど、やはり天台宗は地味なのか、その僧侶を見ながら改めて思った。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

Comments

こんにちは
最澄は、大乗戒壇を設立して比叡山で12年修行する事を決めましたが、この「12年」がどこから来たのか?ご存知ですか?
『聖書』には、「12」は12弟子、12部族などの重要な数字として登場していますが、仏典では12は特に意味ある数字となっていない。
すると中国の天台宗で「12年の修行」というのがあったのかも知れない。そういう経由をご存知でしたら教えてください。

12年篭山は、最澄が比叡山で修業した年月から来ているものでしょう。年回りということでは意味があるでしょうが、たしかに12という数字が仏教で重要性をもっているとは思えません。その程度ではないでしょうか。

なるほど、自分の体験から、生まれたというのは考えられる話です。中国の天台には、「何年修行すべし」というのは無いのですか?

それから今思い出したのですが、日本仏教の父、聖徳太子には、確か12才でのエピソードがありました。もちろん伝承ですが。
日蓮にも、12才でエピソードがあったように思います。(14才でしたっけ?虚空蔵菩薩は)さらにその諸国遍歴は、実質12年だったと思います。
12年に何らかの原型があるのかも知れません。

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