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April 18, 2012

4月17日(火)ユニクロの経営哲学について考えるがその根底にあるものはわかりにくい

「アゴラ」に寄稿した「もう宗教は、これで救われると言って金を集められなくなった」は、かなりの反響があり、アゴラからのリツイートだけで、160件を超えている。今回は、批判的なコメントがなかったのが特徴。多くの人が、宗教教団の集金システムに疑問をもっているということだろう。

今日も家で一日仕事。内容は結社について。だいぶ進んできて、結社がどう役立つかの話。この章を書くと、最後の章に入ることになりそうだ。最後にはやはり、今の社会における結社の意義にふれないといけないだろう。

経営哲学の勉強会のために、『柳井正 わがドラッカー流経営論』を読んでみる。いかにユニクロの柳井氏がドラッカーから影響を受けているかが述べられているが、柳井氏の経営哲学の基盤はやはり父親がやっていた地方の洋品店にある気がする。ユニクロの商品も、いかにも洋品店に売られているもので、日常的、ハレとケで考えれば、ケだ。彼が店長に求めているのも、自前で店をもっている人間の心構えで、そこからサラリーマン精神からの離脱を求めるという話になる。

問題はドラッカーの影響をどのように考えるかだが、柳井氏以前にもドラッカーの影響を受けた日本の経営者はいたし、逆に日本の企業の在り方がドラッカーに影響している面もある。柳井氏はそのいいとこどりをしているということだろうか。ユニクロの経営哲学はわかりやすく、またわかりにくい。

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Comments

僭越ですが、先生の寄稿「もう宗教は、これで救われると言って金を集められなくなった」について、意見を述べさせていただきたいと存じます。

<2008年11月までのおよそ6年間、「浄霊」などの儀式代として総計約530万円を支払った>
530万円。これは高額なのでしょうか?
病院や施設には、これ以上、多くのお金がかかります。
病気治療、リハビリ、投薬、臓器移植などで、1年で数百万円を要することはザラにあります。医者の言うことを信じて、数千万円を掛けて手術したのに、結局、患者は良くならなかった(死んだ)というケースも少なくありません。にもかかわらず、病院はその責任を問われることはなく、医療費だけはキッチリ受け取ります。
他方、浄霊によって完治した(ついでにその他の悩みも解決した)というケースはあるわけです。
西洋医学は良くて、宗教はダメ、というのは、いかがなものでしょうか。

<今回の判決の特徴は、信者に金を出させた個々の行為について、いちいちその違法性を問う必要はなく、全体として「社会的に相当と認められる範囲を逸脱」しているときには、違法と判断してかまわないとしたところにある>

「社会的に相当」、つまり常識の範囲内、ということでしょうか。
それにしても、この“社会的”“常識”というものは、それほど信頼できるものなのでしょうか。
宗教にとっては、社会・常識=俗というのは当たり前な話です。宗教が俗に迎合していたら、もはや宗教ではなくなります。そもそも、「社会的に相当」との判断を無宗教者がやるということ自体、アンフェアではないでしょうか。

名カメラマンの撮った1000枚の写真と、聖人の触った1枚の紙切れ、これを同列に扱っていいのでしょうか。仮に前者が10000円で、後者が1000万円だったとしたら、1000万円は高い、違法だ、となるのでしょうか。
宗教的価値は社会的尺度ではなかなか計れるものではないと思います。

<今回の判決は、救われると断言したり、より多くの献金をするよう誘導していた場合には、宗教法人の側が献金の返金に応じなければならないということを意味する。しかも、慰謝料まで支払わなければならないということは、そうした行為自体が違法と見なされたことになる>

病気を治したい、悩みを解決したいという気持ちで宗教にすがり、思い通りにならなかったから金返せ、という話は都合が良すぎるように思います。なぜなら、その人自身の信仰姿勢の悪さや偏見により、宗教的な恩恵を受けられない、というケースも多々あるからです。宗教をエステサロンや美容整形と同一視してはいけないと思います。

<違法になるのは、いたずらに不安や恐怖を煽り、信者が自由な意志にもとづいて判断できなくなったときだと限定されている>

仮に、ある人が「あなたは穢れている」「このままだと地獄に行く」「浄霊のためにお金を捧げなさい」と言われて多額のお金を捧げたとします。この場合、「穢れている」「地獄に行く」「浄霊で救われる」かどうかは、客観的に、その真偽を確かめることはできません。ひょっとしたら、事実かもしれません。信じにくいからこそ、そこに信仰が求められるのです(ちなみに、私はこのような信仰は持っていません)。
それを信じた→「自由な意志にもとづいて判断していない」というのは決めつけで、信仰に対する偏見が根底にあるように思います。

<いかなる名目であろうと、あるいはそのときは本人が承諾していようと、宗教団体が個人から多額の金を集めること自体が違法とみなされかねなくなってきたのである。
今や、あらゆる部門で「コンプライアンス」が求められる時代である。宗教法人もまた、その例外ではなくなってきているのである>

さらっとまとめておられますが、私にはちょっと違和感があります。
宗教法人をNGOや会社と同じように考えていいのでしょうか。
天皇を一般人と同じように考えていいのでしょうか。

そうでなくても、雑教文化で、聖なるものに対する畏怖の念の乏しいこの国から、これ以上、宗教的雰囲気を取り去って、どれだけのメリットがあるでしょうか。

一部のマスコミ、一部の弁護士によって「宗教=いかがわしいもの」というイメージが広がることを心から懸念いたします。

私自身、ユニクロにはとてもお世話になっていますが、どうやってあれだけの大企業になったのか?とても興味がありました。ドラッカーの本も大好きで読んだことがあるので、わがドラッカー流経営論も、さっそく読んでみたいと思います。

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