1月17日(木)体罰問題の根の深さを認識するが新年になってまだ新しい本の原稿を一枚も書いていない
今日は、寝室などのエアコンの工事がある。それもあって、朝からヒルズへ行く。午前中に、「アエラ」の取材。体罰について。これについて質問に答えていくと、いかに問題の根が深いかが分かってくる。体罰という言い方自体が問題で、体罰を受ける側は自分に罪があり、それで罰を受けるのだという感覚がある。しかし、罪があると判断しているのは教師で、しかもそれは十分な吟味なしに行われる。これはめちゃくたな話だが、体罰はそれをする側にもされる側にもかなり許容されている。元巨人軍の桑田氏の体罰否定論も、かなり反論があるようだ。
体罰の向こう側には、運動部というものの体質がある。それによって利益を受けている人間が膨大な数にのぼる
。プロスポーツだと、選手の補強ということができるが、学校部活だとそれができない。そこで、選手を鍛えるしか手がないわけで、そのときに体罰が用いられる。この体罰をなくすには、部活や学校におけるスポーツの在り方そのものを問わないとだめだ。
しかも、日本の文化では、やたら監督を崇める風潮がある。これは、海外ではないことだ。日本では、監督のためにスポーツを選手がしたりする。監督は教祖のように絶対化され、絶大な権限が与えられる。選手が活躍したときも、これはプロでもそうだが、監督が持ち上げられることが多い。これは、日本の文化で、おそらくもっと深いところに根差していることだろう。それに、こうした構造自体を、国民全体が「愛してい」いたりする。そうである以上、体罰だけを取り上げても問題は解決しない。
取材が終わってから、本当なら原稿を書くはずだったが、出張などもあり、その気が起こらなかった。元旦以来、いろいろあって、休みもなければ、原稿を書く余裕もない。17日になって、新しい本のための原稿を一枚も書いていないというのは異常なことだ(?)。仕事をしていないわけではないけれど。
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