9月23日(月)お彼岸に最澄について書き永代供養という考え方の矛盾について考える
秋分の日。だいぶ涼しくなり、秋らしくなってきた。
休みだとはいえ、締め切りを過ぎた原稿があるので、休んではいられない。『一個人』に今月から連載がはじまる比叡山の高僧、開祖たちの連載。2回目は、最澄について書く。すでに書き出してはいるが、最澄が一体どういうことをめざしていたのかをわかりやすく書いていくのは結構難しい。空海との関係も、俗説とは違うし、徳一との論争となると、今一つわかりにくいところがある。
今回調べていて、一番大胆な試みが大乗戒壇の設置ということ。それまでは、中国式のやり方で戒を授け、それで正式に僧侶を生んできた。ところが、最澄はそれをすべて撤廃し、最終的には本人の心からの懺悔によって得度できるという道を作った。これは、のちの鎌倉新仏教の開祖たちにも通じていく。ただ、それでは僧侶の品質保証がかなわないので、12年籠山のような仕組みを用意した。そうなると、だれもが成仏できるとしながら、修行を必要とするという矛盾に直面することになる。
そんなことを一日考えていたせいか、急に永代供養ということが気になってきた。なぜ永代に供養しなければならないのか。どこで成仏できるのか。永代供養墓に入るということは、永遠に成仏できないということになりかねない。仏も供養の対象にはなるが、仏の側が布施して供養してもらうという形もおかしい。仏教界はこの点をどのように考えているのだろうか。
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