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昨日は、「歴史の文体研究会」というところで発表することになり、学習院大学へ行った。日本女子大に勤めていたときには、いつもその横を通っていたわけだが、校内に入ったことがなかった。
何の建物かわからないが、古風な建物もあり興味深かった。研究会の方は、今度出る『反知性主義と新宗教』をもとに発表したが、文学関係の人が多いようで、共有している前提が違い、なんのことかわからないような話が多く出ていた気がする。
終わってから、目白で懇親会となったが、昔来ていたころと町がまったく変わっていた。レストランの「大都会」では、非常勤講師との懇親会などをやっていたが、そこもない。もう20年以上も前の話だから、町が変わるのも当然なのだろう。
修理に出していたオイルレザーの靴ができたというので、リーガル東京まで行ってきた。底がすっかりすり減っていたのを全部変えてもらったのだが、紐も交換してもらったので、すっかり新品のようになった。というか、使い込んでいるので、皮がいい感じになっている。こういうものはネットに出せば売れるとか。ファンがいるらしい。
その近くなので、サウンドクリエイトのレガートへ。店長がスコットランドのリンの工場へ行ってきたばかり。ちょうど、リンジャパンのスタッフもいて、リンのオーディオメーカーとしての特殊性や、スコットランドの国柄について興味深い話を伺う。
その流れで、リン・レコーズから出ている45回転のLPレコードをプレゼントしてもらう。Ingrid Fliter のSchumann Piano Concerto 。45回転は二枚目だが、家に戻って聞いたところ、かなり音が違うという印象を受けた。インターナショナルオーディオショーで、1000万円クラスのスピーカーを聴いた時と似た印象を受けたが、もう少しじっくり聴いてみる必要がありそうだ。
昨日は、歌舞伎座の寿初春大歌舞伎の夜の部へ行ってきた。もう25日で千秋楽の前日。この時期でいいのは、筋書に舞台写真が入っていること。久しぶりにそれを手に入れた。
最初は、幸四郎、玉三郎の「井伊大老」。昼の部の大政奉還150年の「将軍江戸を去る」と対になるような演目だ。幸四郎の井伊大老はまことに立派だが、井伊直弼が14男だったというところにはどうもはまらない。ただこれはいたいしかたないところ。前回は、吉右衛門、芝雀で見たが、そちらの方がお静にも可愛げがあってよかった。
次は、富十郎追善の「越後獅子」と玉三郎の「傾城」。「越後獅子」には、個人的に因縁がある。私が歌舞伎を本格的に見るようになったのは、2000年からのことだが、3月に歌舞伎座の夜の部を見た。「菅原伝授」の後半の通しで、そのあとに、富十郎の「越後獅子」だった。ところが、その「越後獅子」を見ないで、私は帰ってしまった。まだ、歌舞伎というものに慣れていないせいもあるが、「寺子屋」を初めて見て、子供を犠牲にするのかと衝撃を受け、それで踊りならいいやと帰ったのを記憶している。
今から考えると全くもったいない話だが、それが17歳の鷹之資の踊りで満たされたような気がした。「傾城」は、動きが少ない中で見せるのはさすがという気がした。
最後は「松浦の太鼓」。染五郎は初役で、ちょっと笑いが過剰になるところもあるが、これ少し先になると、いいものになっていくような気がした。染五郎は、幸四郎よりも、吉右衛門や仁左衛門の路線なのだろう。驚いたのは、愛之助。存在感が出てきた。これは楽しみである。
今年はじめての書下ろし、『人は死んだらどこにいくのか―世界の宗教の死生観』が青春出版社の青春新書として刊行された。いろいろ新書を出してきたが、青春新書ははじめて。とにかく新書は今や種類が多いので、出していないところもいくつかある。
これまで、こういう企画はいくつも持ち込まれたが、なかなか実現しなかった。どうも気が進まなかったのだが、死生観という角度からそれぞれの宗教を比較したらいいのではと気づき、今回の企画が実現した。
たしかに、宗教によって、死についてのとらえ方、死んだらどこへ行くのかということは違う。特に仏教とキリスト教は、開祖の死の意味が大きい。逆に、イスラム教などは、ムハンマドが自然死したこともあり、死ということが重要な課題になっていない。そうした比較を行ったうえで、今の日本人は死の問題をどうとらえるべきか、そこまで一応論じたつもりだ。
ようやく、キース・キャレットのいわゆるスダンダーズの「イエスタデイズ」のLPレコードを手に入れた。これが出ているのは知っていたが、店先で見かけることがなかった。
今の音楽環境のなかでは、意外とキースの音楽を聴くということが難しい。問題は、レコードを出しているECMの方針ということになるが、CDはあっても、ハイレゾ音源は限られているし、アナログ・レコードも限られている。アナログのスタンダーズに限ると、「スタンダーズvolume1と2」、「ライブ」、「スティル・ライブ」、「トリビュート」、「チェインジレス」、そして今回購入した「イエスタデイズ」しかない。ほかに、ゲイリーの「テイルズ・オブ・アナザー」があるけれど。
ほかにも、ブルーノートのライブやら、いろいろあるが、そうしたものはCDの音源しかない。演奏はすばらしいが、現在の環境では、どうしても物足らない。果たしてこれがこれからどうなるのか。今に少なくともハイレゾにはなると思うのだが、どうだろうか。
一昨日のこと、オーディオ評論家の和田博巳さんの『ニアフィールドリスニングの快楽』を読み始めた。ステレオサウンドの本は、kindleの読み放題に入っているので、スマホにダウンロードして読み始めたわけだ。すると、ブルーノートにチャールズ・ロイドを聞きに行ったとき、和田さんもやってきた。そうした場所に、和田さんが現れるのは自然でもあるが、ちょっとした偶然を感じた。
すると昨日のこと、帰りがけに電車のなかで、『ニアフィールド』の本を読んでいたのだが、家に戻ったら、今日はどのレコードを聴こうかと考えていた。そこで思いついたのが、先日買って一度しか聴いていないエリック・ドルフィーノ『アウト・トゥー・ランチ』だった。
すると、それを思いついた直後、和田さんは本のなかで、このレコードについてふれていた。何か、頭の中を読まれているような感じで、びっくりした。おなじ「ひろみ」。今、和田さんの霊にとりつかれているのだろうか。
昨日後期の授業が終わった。「宗教史」はテストをやり、演習の方では、丸山眞男の『日本の思想』の最後のところをやった。『日本の思想』は学生には全く歯がたたない。しかし、大人でもこの意味が分かるのか。それは相当難しい気がした。
終わってから青山のブルーノートへチャールズ・ロイドが、ビル・フリーゼルと組んだマーベラスの公演を見に行く。最初は、まだ乗っていなかったが、だんだん乗っていった。もっと‘’I Long To See You”の曲が中心かと思ったがそうでもない。知らない曲が多いが、最後は、様々な曲を盛り込んで延々と続く。結局、アンコールを含め終わったのは10時50分。1時間45分くらいやっていた。最後のスタイル、キース・ジャレットのスタンダーズが乗ったときのスタイルに似ているが、キースはロイドのバンドにいたわけで、ロイドから学んだことかもしれない。マーベラスでやっている「シェナンドー 」の曲は、キースもソロで弾いている。
久しぶりにセカンドセットで聴いたが、時間を気にしないせいか、ファーストセットよりはるかに楽しめる。同じ料金なのがおかしいのかもしれない。
国立劇場50周年ということで、日本橋の三井記念美術館で開かれている「日本の伝統芸能展」に行ってきた。
能楽、文楽、歌舞伎、沖縄の芸能と、国立劇場がカバーしているものが対象で、三井記念美術館所蔵のものや、三越伊勢丹がもっているもの、そして国立劇場が所蔵しているものが展示されている。したがって、統一感はないが、一番人気だったのは歌舞伎の役者へのところ。やはり、団十郎とか、幸四郎、菊五郎といったおなじみの名前が出てくるし、演目も「暫」であったりと、今でもかかるものが中心なので、おのずと関心を呼ぶのだろう。
能楽の面は、三井記念美術館が所蔵しているだけに、入り口のところでは、それに関連した映像も流されていた。全体にお勉強をしたという感じの美術展だった。
昨日、三軒茶屋まで散歩した。その途中で、松陰神社のところを通りかかる。近くにありながら、これまで一度も行ったことがなかった。たしか、一度やはり通りかかったら、5時を過ぎていて、門が閉まっていた記憶がある。
祭神は吉田松陰で、松陰は長州藩の学者。倒幕論者で、弟子に久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、渡辺蒿蔵、河北義次郎といった幕末維新から明治にかけての重要人物がいる。その点では、歴史的に重要な存在だが、ちょうど森田健司『明治維新という幻想』の本を読んだばかりなので、ちょっと複雑。
明治維新をどう評価するか。手放しで肯定できるものではないし、これは日本の近代史を考えるうえで重要な課題だ。
新橋演舞場の右團次襲名興行に行ってきた。最初驚いたのは、祝い幕が「三田会有志」からのものになっていたこと。筋書を見ると、清家塾長や千住博さんがお祝いのことばを述べている。なるほど、右團次は三田会だったのかと改めて知った。三田会と学会、日本で今一番強い二つの団体に入っているというのは、これは大変なことだ。一度話を聞いてみたい。
演目は、「雙生隅田川」の通し。はじめて見た。「隅田川」がもとになっているわけだが、松若に梅若が登場し、それを右近が演じている。まだ6歳だというが、早変わりがあったり、宙乗りがあったり、なかなかよく頑張っている。おでこの辺りが父親似の気がした。
国立と同じに、見せ所が多いというか、見せ所ばかりの芝居。いろいろと面白いが、歌舞伎を見たという実感は乏しい。右團次は、当然相当に頑張っていて、最後は「鯉つかみ」になる。ただ、もどりとかは、元が善人なので、悪人ぶりが薄い分、鮮やかさに欠ける。やはり、海老蔵や猿之助が出ると芝居らしくなる。
新聞に、総選挙のことが出ていた。結局、選挙が近いのか、遠いのかがよく分からなかったが、今解散するのは相当に難しいのではないか。逆に、難しいからこそ解散ということもありうるが。
何より問題なのは、都議会で、公明党が自民党との連立を解消したこと。これについて、いろいろ調べてみると、公明党を支持する創価学会の側では、事態を歓迎しているらしい。しかも、それで士気が上がっているとのこと。夏には都議選がある。創価学会が都議選に力を入れるのは昔からのことだが、これでいっそう力が入るのではないか。
となると、小池新党が票を集め、一方で、悪役扱いされている自民党が敗れると、自民党は都議会で野党になる。そして、小池新党と公明党、民進党が与党になるはずだ。このことが、今後の国政選挙にも多大な影響を与えることは避けられない。自民党と公明党との長く続いた連立も、あるいは解消するかもしれない。
自民党はそうなると、維新と連立を組むだろうが、維新は大阪を除いて、地盤が強くない。公明党のバックにある創価学会とは大きな違いだ。果たしてそれがどうなるのか。安倍政権もさほど安泰というわけにはいかないだろう。
なお、『SAPIO』の2月号に、「創価学会‘Xデー’の後」という文章を書いた。
初芝居に国立劇場に行ってきた。12時開演だが、10時半から会場で、最初に鏡開きがあり、升酒がふるまわれる。ほかに曲芸が階段のところで演じられた。それが、横のロビーのテレビでやっていたので、そちらで見る。
演目は復活狂言の「しらぬい譚」。これまで見たことはない。長い物語のダイジェストのようなものなので、いいとこどりで盛りだくさんではあるが、その分、全体に散漫でもある。見どころは何なのかというところがはっきりしない。
一番わかりにくいのが、冒頭から出てくる若菜姫。これが、善なのか悪なのかが分かりにくく、その点で筋を追いにくい。乳母の突然の懸想や、宙乗り、あるいは化け猫の登場などあり、最後は華やかに終わったが、ちょっと物足りなかった。
終わってから、タクシーで、山王日枝神社へ行き、初詣。実はここには来たことがなかった。ついでに日比谷高校も初めて見た。
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