2月16日(木)幸福の科学について発言することの難しさないしは「愚痴」
これはちょっと愚痴のようなものだ。
幸福の科学についてだが、私がテレビで発言したことに対して、このような批判が出た。私が注目したのは、最後の文章、「宗教を外見でしか理解できない宗教学者に、「修行」の本質を語ってほしくはないものだ。」という部分である。
実は、1991年に朝まで生テレビで幸福の科学の幹部と同席したおり、同じようなことを言われた。「信仰のないものに宗教は理解できない」といったことだ。さらに、数年前、幸福の科学の機関誌『リバティー』で、やはり幸福の科学の幹部と「ガチンコ対談」をしたことがあるが、そのときも、同じ幹部から同じことを言われた。残念ながら、この対談は、ネットには上がっていないようだ。
その幹部は、幸福の科学に来る前創価学会にいたことがあると聞いたが、どうも、そのもとは、創価学会が折伏に熱心だった時代に会員向けに出していた『折伏教典』という布教マニュアルにあるような気がする。その中に次のような文章がある。
「創価学会のことを正しく知るためには、学会へはいらなければわかるわけがない。ゆえに学会のことをいちばんよく知っている者は学会員である。しかし、学会員であるからといっても、日蓮大聖人の大生命哲学を全部知り尽くすことは容易なことではない。まして外部の者が、いくら有名な学者であろうと、評論家であろうと、創価学会の全体を正しく認識しているわけがないのである」
これは、文体から考えて、2代会長の戸田城聖によるものと考えられるが、幸福の科学の幹部は、この戸田のことばが染みついているのではないだろうか。となると、今回の修行についての文章も、同じ幹部の手になるものかもしれない。
もちろん、間違ったことを言ったら、訂正してもらったかまわないし、実際、幸福の科学の広報からは、もっと丁寧に発言を訂正してほしいというメールも来ている。そういうのはいいが、「宗教を外見でしか理解できない宗教学者に、「修行」の本質を語ってほしくはないものだ。」などと言われてしまうと、正直、村上春樹の主人公ではないが、「やれやれ」と言いたくなる。
はい、たんなる愚痴でした。
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