3月5日(日)一昨日の歌舞伎座夜の部について
昨日、朝日カルチャー横浜教室での「日本神道史」の講義が9回目になったのだが、その冒頭で、一昨日歌舞伎座で見た「引窓」の話をした。この演目、京都の南、八幡の里が舞台になっている。八幡というのは石清水八幡宮のこと。ここでは、「放生会」という行事が今でも伝えられているが、芝居は、その前日から当日にかけてということになっている。放生会は、神道ではなく、殺生を禁じる仏教の行事で、その点では神仏習合の時代の名残になる。そういうことが分かると、なぜ濡髪長五郎が放免されるのかがわかる。歌舞伎座の舞台では、この濡髪を演じた弥十郎丈がよかった。罪を追っているという点で、与兵衛よりも造形が深いので、実際にはこちらが主役と言えるのだろう。幸四郎は若い。右之助は、再挑戦ということで意気込みはわかるが、まだちょっと空回りのところがある。
次は、「けいせい浜真砂」。要は、「山門」の女版。はじめて見た。藤十郎はあまりに貫禄がありすぎて、「将門」の滝夜叉姫のようだ。
最後は、河東節開曲300年記念ということで、海老蔵の「助六」。やはり海老蔵の助六は、花道がいい。それだけでも満足。雀右衛門の揚巻は、まだスケールが小さい。ほかも、世代交代が部分的に進んでいて、まだ小ぶりの印象を受けた。左團次が、意休をやりすぎて、ちょっと飽きている感じもした。巳之助の福山かつぎは、これはなかなか。
終わってから、階段で地下まで降りたが、すれちがったのは、松竹の安孫子社長ではなかっただろうか。社長でも、やはり階段を使う。当たり前のことで、当たり前でないのかもしれない。
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