12月12日(火)今問われているのは神社本庁が確立した神宮神道の是非だ
神社本庁は、伊勢神宮を本宗と位置付けている。この本宗ということばは、辞書にも出ていないが、どうやら、中国語から来ているらしい。中国語では、総本家の意味だ。その総本家である伊勢神宮を頂点に、その下に各神社を位置づける。戦前の社格制度が崩れたので、主な神社は別表神社としてその枠組みの中で一定の格を与えられた。それが、国家神道が崩れた後の戦後の神社の体制である。
この写真は、一昨年宇佐神宮を訪れたときのものだが、宇佐神宮と伊勢神宮との関係は実はかなり複雑だ。宇佐神宮の八幡神は『古事記』などに出てこない神で、突然歴史に登場した。もともとは渡来人が祀っていた神で、途中、応神天皇と習合することで第二の皇祖神となった。鎌倉時代などは、この宇佐神宮から八幡神を勧請した石清水八幡宮の方が、朝廷の関心も強かった。日蓮がそのように遺文にも書いている。逆に、伊勢神宮はないがしろにされていたらしい。
その点で、現在の、伊勢神宮を本宗として仰ぐ、仮には私はそれを「神宮神道」と呼んでいるが、その枠組みのなかに、宇佐神宮はうまく位置づけられない。それは、すべての八幡神社がそうだし、稲荷社も、天神もそうなる。どちらも神話には出てこない。
離脱神社の一つ、気多大社だと、大己貴命が祭神だが、これは、よく知られているように出雲の神。神話には出てくるが、大和朝廷によって平定される側。それ以前は、その地域の中心的な神だった。
神社本庁は、戦前の体制をなんとか維持するためにやってきたが、そもそも伊勢神宮を中心とする体制に問題がある。伊勢神宮の遷宮のために全国の神社に金を集めさせたり、神宮大麻を売らせ、その収益の半分を神社本庁のものにするなど、果たしてそれは個々の神社のことを考えてのことだろうか。弱小の神社をどう支えるかに神社本庁が力を尽くしているようにも見えない。
神宮神道の是非、今本当に問われているのはそのことだ。
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