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昨日は歌舞伎座昼の部へ行った。行かないつもりだったが、先日夜の部を見に行ったときに渡辺保先生に出会い、いいと言われたので、これは行くしかない。
最初は、平成代名残絵巻(おさまるみよなごりのえまき)。いかにも勘十郎の演出。最後両花道をつかっての引っ込みで、巳之助と児太郎が六法を見せるが、それだけでなんとなく満足してしまう。
次は、座摩社という見たことのない場面が前についた野崎村。渡辺先生も書いているが、又五郎の演技が空回りして、座摩社はあまり面白くない。これがついたがゆえに、全体で2時間。たしかに時蔵のお光はいいし、雀右衛門もかわいい。さらに歌六もいいのだが、最後観客の皆さん、トイレに行きたくて、全体に集中力が低下。早く終わっての声も。ここらあたり、休憩を入れるなど考えるべきことかと。
次は、藤十郎米寿の祝いの寿栄藤末廣(さかえことほぐふじのすえひろ)。なんてことのない舞踊だが、猿之助がきれい。最初誰が出てきたのかと思ってしまった。実は今月は女形の饗宴、玉三郎や七之助などを除くと、女形勢揃いの感がある。そのなかでも、猿之助が存在感を示したような。
最後が、渡辺先生御推奨の「鈴ヶ森」。たしかに、物語として面白くはなっているが、気になったのは菊五郎の身体。とても若々しいとは感じられないところに難しさがあった。
今月は三冊本が出る。すでに『神社から読み解く信仰の日本史』と『親が創価学会』は発売になっているが、第3弾の見本ができた。
第3弾は、マイナビ新書の『教養として学んでおきたい仏教』だ。
「仏教について学ぶ。
それが、この本の目的です。
「宗教、とくに仏教について学んでおく必要があるのではないか」
多くの日本人は、年齢を重ねることで、そのように考えるようになります。
では、仏教についてどのように学んでいけばいいのでしょうか。
この本では、仏教を学びたいと考えている人たちに、宗教学者の島田裕巳先生に、どう学んでいけばいいのかを解説していただきました。
仏教の世界は広大であるため、その全貌を伝えることは難しいのですが。
仏教が宗教の一つとしてどういった特徴を持っているのか、理解しておかなければならないことは何か、そこから解説します。」
これだけ分かりやすい仏教入門の本もないのではないか。著者としてはそう思っている。
昨日は歌舞伎座へ行った。グループ展、ブルーノート、小劇場、歌舞伎と、4日間続けて外出。さすがにちょって疲れる。
最初は、仁左衛門の「実盛物語」。期待はしたが、それほどでもなかった。「実盛物語」は、一時海老蔵がやっていて、それがよかった記憶がある。今では、子煩悩で知られるが、その片鱗が実盛にはあった。その点で、仁左衛門にはそれが乏しい。太郎吉の眞秀は、先月に続いて。お母さんにかなり鍛えられているのだろうか。
次は猿之助の「黒塚」。3回目だと思うが、イメージが少し変わった。それが終わって、廊下に出てみると、渡辺保先生が6月のポスターを見ているのに遭遇。いろいろ「黒塚」についての不満を言われた。劇評に出ることだろう。
最後は「二人夕霧」。前にも見たような気がするが、こんなものだったのだろうか。妙なものという印象を受けた。
渡辺先生の話では、昼の部の「野崎村」と「鈴ヶ森」がいいとのこと。そう言われたら、見に行かざるを得ない。
昨日の午後は、高橋いさを作演出の「母の法廷」を見に行った。もともとは朗読劇として書かれたものを、今回は一般の演劇作品に仕立て直したものらしい。
『劇団ショーマ』時代の作品とはずいぶんと趣が違う。なぜこういう作品を作ることになったのか、作者自身があまり語っていないのでわからないし、女性ばかりが出てくるというのも、高橋作品としてははじめてではなかろうか。
役者は、元宝塚の娘役トップ月影瞳という人の力が目立った。ほかの三人もしっかりしている。トリロジーでも感じたことだが、一人でも力が劣る役者がいると、こういう劇は成り立たない。
三輪暁さんの絵でも、トリロジーでも感じたことだが、この劇でも成熟ということを強く思った。人生百年時代になると、成熟まで時間がかかる。逆に、これまでとは違う形での成熟を、私たちは得ることができるのかもしれない。
今月は3冊新刊が出る予定。その第一弾が、SBビジュアル新書の一冊、『神社から読み解く信仰の日本史』。タイトルだけとるとちょっと固いが、写真やイラストがふんだんに使われているので、読みやすいし、楽しいはず。

いちばんの特徴は、著名な神社の詳しい境内図が立体で表現されているところ。これは、訪れるのに便利。
本文は全部自分で書いているので、私の今の神社についての考え方もわかるはず。ということで、よろしく。
日曜から月曜にかけて、箱根に旅行してきた。月曜の朝、ケーブルカーに乗ったところで、元号が発表されるということで、ネットで生中継を見た。
車中のため、音が出せないので、最初、「れいわ」ではなく、「りょうわ」と読んでしまった。
はじめて、国書から選ばれたということがポイントらしいが、その元は結局中国のものにあるということで、西遊記の孫悟空がお釈迦様の手の中から逃れられないような話になっている。
典拠になった『万葉集』巻五の梅花の歌の序文を見ると、次のようになっている。
「時に、初春の令月、気淑しく風和らぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後のに薫る。」
これは、岩波文庫の読み下しだが、全体を読んでも、まさに漢詩のよう。『万葉集』と言えど、中国の影響は明らかで、国書と言って、日本の独自性を強調するのは難しい。
元号もなかなか勉強になる。
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