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まず、幻冬舎新書の一冊として『二十二社』が発売になった。二十二社は中世において、朝廷が定期的に奉幣を奉げた重要な神社群。伊勢神宮をはじめ畿内の主だった神社が入っている。これを書くのに、二十二社全部を回った。本も300ページ近い。
次は、来週の朝日カルチャー新宿教室。「天満宮の秘密」と題して話をする。これも秘密シリーズになっている。
最後は、ラジオ出演。といっても、ミュージックバードなので、契約していないと聴けない。11月30日に放送される寺島靖国さんの番組。サウンドクリエイトの竹田響子さんと。
昨日は、午前中からインターナショナルオーディオショオに出かけた。毎年来ている。
6階は全部見たが、ほかは、4階の一ブースだけ。そこには、話題の超ド級レコードプレーヤー、Air Force ZEROがあり、その視聴ができる。今回のお目当てはこれだろう。なにしろ350キロで、4500万円。これだけでは鳴らないわけで、いろいろ足すと1億円を超えるシステムということになりそうだ。
実際に聴いてみると、たしかにこれまでのプレーヤーとは違うということが分かる。その場にいるように聴こえるというのは、常套句ではあるものの、それは歴然。ただ、レコードのかけ方ということでは、オリジナルや初期版ではなく、再発や最近出しなおしたものなどがかかったので、本領を発揮したとはいえない状況でもあった。真髄はこれだけではわからない気もした。
そこから、サウンドクリエイトへ。小幡さんと視聴。そこにたまたま、黒崎さんが来て、オリジナル談義にもなった。2階は明日オープンするらしい。
ずいぶん前に書いた原稿だが、「忠の神話としての『太平記』」が『アナホリッシュ国文学』に掲載された。
私が『太平記』について書くというのは、はじめてのことだし、滅多にないことだが、きっかけは岩波文庫版の『太平記』の校注をされている兵頭裕己さんに千葉の朝日カルチャーセンターで偶然遭遇したことから。
名前が似ているので、気になっていた方だ。それから縁ができて、この原稿となったが、載るはずの雑誌がなくなったりして、延び延びになっていた。編集顧問は林浩平さん。林さんは、私が1993年から4年にかけてNHKの『ナイトジャーナル』という番組に出ていた時、私が水曜日の担当で、林さんが火曜日の担当だった。そのときには何度かお会いした。
兵頭さんとの縁で、『太平記』を全巻読み切ったし、いろいろと思い出深い原稿となった。
土曜日は、午後さいたま新都心のNHk文化センターで「南都七大寺」の講義をした。今回は、元興寺と大安寺。すっかり衰えてしまった両寺院だけに、何を話したらいいかが難しかった。
終わってから、新宿まで出て、中野富士見町。佼成図書館で開かれた「釈尊伝研究完成報告会」の祝賀会に出席した。この研究会、28年を費やしてきたというが、私は特別縁があるわけではない。ただ、研究会をずっと率いてきた森章司先生とも面識がない。にもかかわらず、森先生から自筆の招待状をいただいたので、うかがった。集まっていたのは、仏教学のお偉い先生ばかり。
祝賀会では、森先生から挨拶をいただき、事情が少し飲み込めた。私の書いた『ブッダは実在しない』のことが先生には気になったらしい。これは、一度じっくりとお話をする必要があるかもしれない。終わってから、たまたまいた知り合いの記者と飲む。
日曜日は歌舞伎座で、昼の部と夜の部を見る。
昼の部は妻と、夜の部は娘とという形になった。昼の部の「研辰の討たれ」は、これまで野田版しか見たことがない。最後、自分で研いだ刀で切られるという話ではなかったかと思ったが、そうなっていなかった。
次は松緑と芝翫の「関三奴」。前に、三人で踊るのを見た。二人で流派が違うのか、動きが異なる。松緑がきっちり踊っているのに、芝翫の方は何かおかしい。最後は菊五郎の「髪結い新三」。お手の物の芝居で、役者も揃っているが、全体に軽快さに欠ける。
夜は、梅丸の莟玉襲名の「菊畑」。娘は、莟玉がイケメンだと感嘆しきり。次は幸四郎と染五郎の「連獅子」だが、染五郎ずいぶんと大人になっている。こちらでも、娘はイケメンぶりに大注目。染五郎については前からだが。
最後は池波正太郎の「市松小僧の女」。1977年の初演以来というから見たことはない。これは時蔵の強い女性がはまっていて、面白かった。なぜ今回これが取り上げられたのかが、筋書きだけからは分からないが、ちょっとそこが知りたい。
明日11月14日夜には、大嘗祭が営まれる。天皇一代一度の重要な儀礼であり、新しい天皇がその地位を固める、あるいはその自覚を持つ通過儀礼としての意味合いを持っている。長年、通過儀礼に関心を持ってきた私としては、強い関心を持たざるを得ない。
いったい大嘗祭がいかなる意味を持っているのか、そこで本当は何が行われるかは極めて重要な事柄だが、それを体験した天皇自身は語っていない。あるいは、正月の歌会始で、その心境が歌に詠まれることはないとは言えない。大嘗祭を経ていない天皇もいて、そうした天皇は「半帝」とも呼ばれるが、今日現在の天皇は、その観点からすれば半帝で、大嘗祭を経て、本当の天皇になっていくことになる。
大嘗祭の本質については、折口信夫の大胆で、刺激的な「大嘗祭の本義」の論文がある。そこで折口は、天皇が真床御衾にくるまることで、物忌みを行い、そこで天皇霊が付着するとした。天皇の体は器であり、天皇霊を宿して本物の天皇になるという説である。
最近では、先日訪れた國學院大學博物館の展示でも明らかなように、この折口説を否定する見解が出されている。たしかに、物忌みしたということは資料的には裏付けられない。だが、だったらなぜ衾があるのか。その説明も難しい。
今は、興味を持ちつつ見守るしかないが、天皇がどう変わるのか、変わらないのか、焦点はそこにある。
今日は午後國學院大学へ。博物館で大嘗祭の展示がある。それを見るため。
近世、近代の大嘗祭についての展示が中心だが、見たことのない資料や模型もあり、大変参考になった。明日は、朝日カルチャーセンターの立川教室で大嘗祭と天皇霊について講義をするので、ありがたい。
帰りがけの渋谷駅周辺、新しいビルもできているが、地下部分だけではなく、地上部分も次々と変わっていくようだ。あまりにすごすぎて、行くのにも躊躇する。
丁度今日が誕生日なので、スマホの機種変更をする。結局、エクスペリアになった。縦長になったところが、これまでと違う。ついでにiPadも申し込むことになった。安くなるらしい。
いろいろやって、かなり時間がかかった。最近スマホが遅くなってきたので、これでスムーズにいくだろう。

昨年の8月に、銀座のオーディオショップ、サウンドクリエイトで行っている「オーディオ哲学宗教談義」の番外編、「先生たちの夏休み」が行われた。
そのときの記録が、phileWebに掲載された。私は、このころクラッシク音楽に目覚めたので、それまでとは話の展開が変わってきている。オーディオが変わると、あるいは進化すると、聴く音楽が変わる。そんな話になっている。
ここのところ、監修本や著書の刊行が相次いでいる。
自分で執筆したものとして、『神社で拍手を打つな!』が中公新書ラクレとして刊行される。副題には「日本の「しきたり」のウソ・ホント」とある。世の中では、しきたりは昔から続いたものと考えられているが、実はそうでもない。おおくのしきたりは、必ずしも伝統があるわけではなく、けっこう新しいものも少なくない。そうしたことについて、いくつもの事例を挙げて論じたもの。
きっかけは、神社で正式な参拝の仕方とされている二礼二拍手一礼に対する違和感があった。どうもこれは神に礼拝する作法として落ち着かない。そこから、いろいろとしきたりを見直してみた。クリスマスについてなど、これまでずいぶんと誤解されてきたのではないかと思う。
とりあえず見本が届いた。刊行は7日。
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