« September 2020 | Main | November 2020 »
担当編集者から送られてきた沖田×華『父よ、あなたは…』(幻冬舎)を読んでみた。
漫画を基本的に読まないので、作者のことは知らなかったが、家人はよく知っていた。
縁が切れていた父親が突然亡くなり、著者は葬式を出し、墓を作り直すことになった。面倒なので相続で、そこにはユニークというか、面倒な親戚がいろいろかかわってきて大変なことになる。しかし、もう関係がないと考えていた父親がいざ亡くなってみると、何か重要なことが失われたようで、著者はそれに苦悩する。その顛末が描かれていくわけだが、現代の漫画というのは昔で言えば「私小説」ということなのだろう。
いろいろとややこしくなる原因の一つは、著者の出身が富山だということ。富山は北陸三県、真宗王国である。そこ独特の葬式にまつわるしきたりが、漫画の中でも描かれていて、その点は勉強になる。
真宗地帯は、日本全体のなかで信仰率が高い地域になるが、葬式にもそれが反映され、墓を作り直すことになるのも、そのせいだろう。
父親は孤独死だし、そこに現代の問題が色濃く反映されている。ちょっと東京などでは起こりえない話で、なぜここまでと思ってしまうが、地域によってはそれだけ葬式というものが重要な意味を持っていることになる。
昨日の夜から、朝日カルチャーセンター新宿教室の「心に寄り添う 夜の般若心経」の講座がはじまった。完全オンライン。
夜ということで、スライドもその雰囲気にしてみた。サグラダ・ファミリアの話からはじめたのは、「ゆっくり」ということを講座の方針として掲げたからで、そこにまた信仰の本質があるように感じられるからだ。これは、3回続き、さらに年明けから3回続く。
フェイスブックで、代々木上原の季織亭のご主人が亡くなられたのを知る。9月23日の投稿で、弁当の販売をしばらく休むと告知されていて、それで心配していたのだが、その日に亡くなったとは知らなかった。
同い年ということもあり、10数年の付き合いになったが、年齢を考えれば、まだまだ活躍できたように思う。以前経堂でばったり会い、そのとき大腸がんになったと言われた時には驚いた。それがいつになるだろうか。
念願の海外進出を果たしたばかりだったので、本人も残念だろうが、人の寿命はどうしようもない。天国でも小麦蕎麦を作り続けてほしいものである。
宝島社から出ている『一生に一度は行きたい日本の神社100選』の8刷が決まった。総計で152,400部。とうとう15万部を超えてしまった。
昨日は、毎日新聞社でポスト・コロナということで、葬儀についてインタビューに応じた。
夜には、新宿のロフトプラスワンで、光の輪の上祐史浩代表とイベント。オウム事件のことを前半で振り返り、後半では宗教が衰退した今日において、どう生きていくのかについて語り合った。
無観客でという話も出たが、観客をしぼって、後は配信。考えてみれば、上祐代表と二人でじっくり話したことがなかった。現在のアレフのことなど、知らないことも結構あった。地下鉄サリン事件からすで25年が経ったわけだが、今の時点でそれを改めて考えておくことにも意義があつのではないだろうか。
昨日午後仕事があって出かけたのだが、日にちが違っていた。どこでどう間違いえたのかわからない。
というわけで、時間ができたので、まずはお茶の水のジャズ東京へ。前に、ミュージックバードでサウンドクリエイトで竹田さんがかけて、それを寺島さんが気に入ったケニー・バロンとデイヴ・ホランドのトリオのLPが出ていたので、それを買う。
そのあと、ジャズ喫茶の「オリンパス」へ。オリンパスがろうろうと鳴ってはいるのだが、音はどうだろうか。
新お茶の水から東銀座へ出て、歌舞伎座。仁左衛門の「石切梶原」を観る。人数を絞っていて寂しいところもあるが、何より仁左衛門がかっこいい。剣を改めるときの仕草など、これが芸というものだろう。歌六も、こうした役が板についてきた。
そこから、サウンドクリエイトへ。竹田さんにオリンパスの話をしたら、電源の取り方が間違っているらしい。なるほどと思う。
一緒に赤坂へ。野間さんがアナログ誌の編集長になったお祝いで、寺島さんも一緒。イタリアンの店のシェフが、寺島ファン。サインを求められていたので、表紙にサインしたらと提案。寺島さんは、何かことばを書くことにしているらしい。
というわけで、いろいろあった一日。
昨日の午後は、宗教政治フォーラムというところで講演をする。いろいろな宗教団体の人が参加していた。
奈良泰秀氏とは久しぶりの再会。
サウンドクリエイトで続けてきたオーディオ哲学宗教談義のシーズン3第3回目がアップされた。コロナで、シーズン4が1回目しかできていない。はやく再開されるといいのだが。
土曜日は、午後、NHK文化センターさいたまアリーナ教室で講義。「疫病から見た日本宗教史」の第1回目で、神話の中の疫病、天照大神のことについて語った。
終わってから大宮へ出て、ソニックシティー。海老蔵の「古典への誘い」の公演。
海老蔵を見るのは、1月以来だろうか。
海老蔵のほかは、実質、九團次と廣松。まことに寂しい。それでも、半分しかはいらないものの2400席もある会場がけっこう埋まっている。1000人近いのではなかろうか。
最初は式三番叟。これが素踊り。それも次に口上が控えていたせいかもしれない。三番叟はまあまあ。
ちょっと不思議だと思ったのは、口上で、ほかの役者が述べているとき、海老蔵が頭を下げていなかったこと。何か所在なげに思えた。
休憩が入って、御所五郎蔵だけが出る「曽我綉侠御所染」。舞踊だが、半分は立ち回り。
これで、4時に始まり5時半過ぎには終わっていた。内容がないことが分かっているのか、最後はカーテンコールのサービス。
口上のなかで、團十郎白猿襲名延期には一言も触れなかった。海老蔵の中にいろいろな思いがつまっているようにも見えた。
柄谷行人さんが『捨てられる宗教』の書評を朝日新聞の書いてくれました。

昭和時代に、日本の各宗教団体は信者の数をのばしていたが、平成時代以後、急激にその数が減った。神道系も仏教系も、それ以外の新興宗教も同様である。そのため、葬式をせず墓も作らない人たちが急増している。しかし、これは日本だけの現象ではない。おそらく世界中で、イスラム教をのぞいて、どの宗教も衰微している。イタリアやフランスでも、カトリックの信者が激減した。
従来、このような変化は、農村共同体から資本主義的な都市社会への移行によると見られてきた。しかし、その具体的な調査検証は難しい。まして、海外に関してはわからないし、比較することも難しい。著者はそれを見直す鍵として、死生観の変化に、またその原因として、平均寿命の変化に着目した。
死生観は二つに分けられる。第一に、死生観Aは、平均寿命の短い時代である。その場合、いつまで生きているかわからないから、人は不安であり、同時に、死後への期待ももつ。第二に、死生観Bは、平均寿命が延びた時代、つまり、高齢化社会に固有の見方である。死生観Aが強い社会では、共同体が強く、自分だけのことではなく、他者のことも重要であった。一方、死生観Bの場合、他者に無関心となる。たとえば、現在世界中で流行しているスピリチュアリズムや自己啓発は、宗教に代わるものともいえるが、これらは極めて個人主義的である。
日本の場合、定年制(65歳)が一般化している。しかし、「人生110年」と見ていいような時代には、定年後が長すぎるのだ。それがこれまでの死生観を変えてしまう。その結果、旧来の宗教だけでなく、それまで病気治しをうたっていた新興宗教も衰退した。海外でも、イスラム教圏を例外として、類似した現象が見られる。興味深い統計データの一つは、米国で平均寿命が案外短いことである。米国で新興キリスト教が盛んなのはそのせいか。
Recent Comments