1月12日(木)朝日カルチャーセンターの講座の広告が朝日新聞に出た
今日の朝日新聞に、朝日カルチャーセンターの広告が載った。
新宿教室のものだが、最近はオンラインでの受講生が多い。教室と同時のオンライン、さらにはオンデマンドと、多様になっている。
他に、この日の午前中には「宗教の地政学」の講座も開いている。
今日の朝日新聞に、朝日カルチャーセンターの広告が載った。
新宿教室のものだが、最近はオンラインでの受講生が多い。教室と同時のオンライン、さらにはオンデマンドと、多様になっている。
他に、この日の午前中には「宗教の地政学」の講座も開いている。
昨日は9月11日。アメリカで、いわゆる「同時多発テロ」が起こってから21年が経った。あの日のことは、いまだに覚えている。
夜のニュースで現場からの中継を見た。そのとき、本当に何を見たのかは、その後さまざまな映像を見てしまったので、混乱しているが、旅客機がビルに突っ込み、そのビルが倒壊したところは、想像を絶するものだった。
私がトランスビューから、『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』を出したのが、その直前の7月30日。はからずも、タイトルにあることが再び現実のものになった。この本はその後、二巻の軽装版になり、今も出ているはず。
その後、アメリカによるアフガニスタン侵攻があり、イラクとの戦争があった。テロも頻発していた。同時多発テロで世界は変わったとも言われたが、その実態はどうなのだろうか。考えなければならない課題だ。
先日アメリカの公共ラジオの取材を受けたが、それがここにアップされている。
講談社の現代ビジネスに、「安倍元首相銃撃犯の怨恨の根、岸信介の統一教会接近とは──祖父の冷戦戦略の副作用に殺されたのか」という記事を書いた。
何かの参考にしていただければありがたい。
昨日の夜は、ひさびさに打ち合わせを兼ねた飲み会。
そんなことが当たり前にできないというのは、たしかに異常だ。
宮内庁の長官が、「陛下は感染拡大につながらないかご心配であると拝察しています」と発言。これは、天皇の了承のもとに発表されたものだろうが、現在の憲法下では禁じられた政治的な権力の行使に結びつきかねない危うい発言になる。
あるいはそこには、有識者会議を設けても、皇位継承についての安定化に踏み込まない政府に対する異議申し立てがあるのではなかろうか。内閣は宮内庁長官の個人的な見解として封じることはできるわけで、その予防線ははられている。
国民は内親王の結婚問題について勝手なことを言っているわけだが、それも背景にはありそうだ。
夕方買い物に出た。コルティの裏に、今日、オオゼキが開店した。ここらあたり、オオゼキはいくつもあるが、新しい店だけに整然としている。多くの客が訪れているが、レジがこの日のために多く用意されているようで、清算は早い。安いものばかり買った。
駅へ出ると、大学生になったばかりの娘が、「れいわ新選組」の幟が立っているのに反応した。高校のとき、事務所が近くにあったらしい。
行ってみると、代表の山本太郎氏が演説をしていた。聴衆もけっこういる。
どうも、この方も、新選組も信用ができないので、興味もないが、これは選挙が近いということなのだろう。今年は、都議選もあれば、衆院選もある。娘もはじめて投票することになるが、いったいどういう選択をするのだろうか。
埼玉県戸田市の市議会議員宣教が1月31日に行われ、スーパークレイジー君なる青年が当選し、その後居住実態をめぐって騒ぎになっている。彼は下から2番目で当選しているのだが、時点に泣いたのは公明党の議員だった。912票対887票で、これが接戦なのか、大差なのかはっきりはしないが、注目されるのは、つねに「完勝」をめざす公明党が議席を失ったということだ。
2017年の市議選では5名が立候補し、全員が当選している。今回はそのうち4人が立候補しており、そちらは全員が当選している。落選したのは、新しく立候補した人物で、その点では、まだ十分に認知されていないということかもしれない。
ただ、公明党の候補者が獲得した票を見てみると、相当に減っていることがわかる。前回は5名で7005票だったのが、今回は同じ人数で5900票にしかならない。16パーセントも減っている。有権者の数が4年の間に増え、逆に投票率が下がっているのだが、投票した人数は今回の方が500名くらい多い。にもかかわらず、公明党は票を相当に減らしたことになる。
今回は、コロナ禍で、創価学会の会員が個別に知り合いを訪問して、投票依頼する活動ができなかったのだろう。それは大きいはずだが、それにしても票の減り具合は相当なものだ。やはり高齢化によって、婦人部の活動が思うようにいかなくなっているのではなかろうか。
となると、ほかの選挙でもこうした結果が出る可能性がある。今年は必ず衆議院選挙があるわけだが、公明党の歴史的大敗は起こりうる事態ではなかろうか。
ここのところ、日本の歴史に関する本を3冊読んだ。
近藤義郎『前方後円墳の時代』岩波文庫、大津透『律令国家と隋唐文明』岩波新書、佐藤進一『日本の中世国家』岩波文庫、だ。
別に意図したわけではないが、並べた順番に歴史が進行していく形になった。
古墳時代には大規模な前方後円墳が各地につくられるが、しだいに大和の大王のものを除いて、規模が縮小されて、葬法も変わっていく。前方後円墳の時代の終わりに、仏教が伝えられ、寺院が死者の供養を担うようになり、またそれが権力の象徴ともなっていく。
仏教徒来の時代は、中国との関係が密接になった時代でもあり、中国の影響で律令制国家が成立する。これで日本の社会は大きく変わる。
ところが、平安時代になると末期に武士が台頭し、武家政権の時代に入る。その政治的な体制がどういうものであったか、鎌倉と京都で同時並行で変革が進んでいった。その過程を三冊の本で学んだ。
なかなかおもしろい読書だった。
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