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芸能・アイドル

November 18, 2018

11月18日(日)今月の歌舞伎座は実は勘三郎追善興行なのではなかろうか

歌舞伎座顔見世興行昼の部に行ってきた。一番のお目当ては、右近が栄寿太夫として清元デビューすることか。彼が本名で初舞台を踏んだのは、2000年4月。私が歌舞伎を本格的に見始めた時期で、それを見ている。「松虫」という演目だった。今回は、「十六夜清心」でデビューということになった。


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延寿太夫の隣で清元を歌ったが、かなりの部分、栄寿太夫が担当したので、ワンマンショーのようでもあった。まず、声がいい。語りがうまい。技術的にはまだまだでも、この土台があると清元で大成することは間違いないだろう。役者との二刀流がどうなるのか。興味は尽きない。

今月の歌舞伎座、まったくそうとは言っていないが18世中村勘三郎追悼興行のように見える。「松虫」だって、右近は勘三郎と一緒に出たはずだ。今月は出ている役者が、勘三郎に近いのが多く、最初の「お江戸みやげ」でも、劇中で中村座が立派な劇場として扱われている。その主役が時蔵だ。夜の猿之助の「法界坊」も、平成中村座での最初の演目だけに、どうしても勘三郎のことを思い出す。

私は行かなかったが、平成中村座の公演では、勘三郎自身が舞台に現れたらしい。

November 13, 2018

11月13日(火)歌舞伎座顔見世夜の部を観る

昨日は歌舞伎座夜の部へ行った。顔見世興行だが、今月歌舞伎の公演が5座で行われていることもあり、ちょっと寂しい感じがした。

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それでも、短いながら吉右衛門の「山門」は立派。五右衛門を堪能させてくれた。菊五郎の久吉も、すっとして美しい。次の雀右衛門の「文売り」は22年ぶりの上演だけに見たことがない。珍しい演目だが、日本舞踊ではかかるものらしい。これもなかなかに面白い。雀右衛門が力を上げたことは間違いない。

一つ興味をひかれたのは、「文売り」が『花紅葉士農工商』のなかに含まれるということ。士農工商という制度が江戸時代には実は存在しなかったようで、この踊りも、士農工商それぞれがモチーフになり、「文売り」は商にあたる。差別ではなく区別だったのではないのか。どうもそうらしい。

最後は、猿之助の「法界坊」。「法界坊」は、平成中村座のオープニングを飾った作品で、私のなかでは勘三郎のイメージが強い。最近では吉右衛門でも見た。そうしたもののなかで、猿之助の法界坊はもっとも汚く、エロい。ほかの役者が普通に演じているなかで、まったくの遺物がそこに登場したような感覚だった。これがいいのか悪いのかは分からないが、猿之助独特の世界がそこにあることは間違いない。しかも、きたないにも関わらず、もともと女形なので、最後の「双面」で、おくみに化けると、所作が美しい。猿之助が弁天小僧をやるとどうなるのだろうか、そんなことを思った。

October 13, 2018

10月13日(土)国立劇場で『平家女護島』通しを見る

昨日は午前中に歯医者。右上の親知らずを抜いてもらう。かなり悪くなっていた。というわけで、口の中がその後血の味が残り、あまり気持ちがよくない。

ヒルズへ行き、昼食をとったあと、校正の作業をする。3章分終わった。

次は国立劇場。『平家女護島』の通し。先月の歌舞伎座で、吉右衛門の「俊寛」を見ているので、またかというところもあったが、通しで見たことがないので行ってみた。筋書には、事前に知っていることだが、早野龍五さんのエッセーが載っていた。さっそくそれを読む。

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主演の芝翫が平清盛と俊寛を演じる。最初の場面は、清盛の圧力の前に、俊寛の妻が自害する場面。これははじめてみた。

次が、いわゆる「俊寛」の場面。歌舞伎座に比べると、配役はかなり地味。それでも松江や橋之助はよくやっていた。亀鶴も悪くない。芝翫の俊寛は、最後の場面が迫真の演技。吉右衛門の諦念とは相当に違うが、顔をじっと見ていると、芝翫は俊寛の絶望をよく表現している。

最後は、清盛が俊寛の妻と千鳥の亡霊にさいなまれる場面。こんな展開になるとは知らなかった。福之助が、なかなか立派な立ち回りをしていた。

見ていて、はじめて疑問に思ったのは、僧都である俊寛に妻がいること。これまでは気にならなかったが、実際に妻が出てくると、急に疑問になった。調べてみると、『平家物語』では、女がいたことになっている。平家は読んだが、瞬間に関しては、今回福之助が演じた有王が島に俊寛を尋ねる場面だけ。なるほどそうだったのかとはじめて理解した。


October 11, 2018

10月11日(木)成田屋以外でははじめての助六

昨日はヒルズで打ち合わせの後、歌舞伎座へ行った。夜の部を見るため。

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今回は、18世中村勘三郎7回忌の追善興行。もう7回忌だ。勘三郎が突発性難聴になったとき、たまたま銀座の4丁目の交差点で、七之助の姿を見かけた。ふと気づいたら隣にいたのだが、そのときの堅い重苦しい雰囲気を覚えている。今回はその七之助が、「助六」では揚巻を初役で演じている。

最初は「宮島のだんまり」だが、いつものようにというか、あまりこの演目の意味が分からない。

それに比較すれば、「吉野山」の勘九郎の忠信は、楷書の踊りで、とくに合戦の場面が見事。玉三郎の方は、最近、何をやろうとしているのか、私にはよく分からないところがある。

「助六」は、成田屋以外で見たのははじめて。団十郎にしても海老蔵にしても、何か重要なときにしかやらないので、その祝祭的な雰囲気が伴うが、今回は、それがなく、その分で物足らなさを感じた。

仁左衛門は、人間としての助六を演じていて、それはそれで立派なものだが、荒事の超人間的な部分では、海老蔵に劣る。七之助は、指導を受けたであろう玉三郎そっくりだが、まだはまっていないのは初役だからだろう。歌六の意休が弱い感じなのが気になった。


October 08, 2018

10月8日(月)赤坂に「金魚鉢のなかの少女」を観に行く

縁あって、地人会新社の「金魚鉢のなかの少女」を観に行く。劇場は、赤坂のレッド・シアター。

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西洋の演劇は、聖書がもとになっており、この作品は、「ゴドーを待ちながら」の影響を受けている。キューバ危機の話が出てくるのは、終末的な状況を設定するためで、だからこそ、突然あらわれた謎の男は、現実離れしたイエス・キリストということになる。この男が魚と密接に関係するのも、魚がキリスト教の象徴だからだ。ここが、日本人の感覚では理解しにくい。やたら、カトリックの話が出てくるし。

夫婦の関係も、最初から最後まで何も変わらないし、変わってほしいという期待だけがあり、なぜ仲が悪いかその原因も明らかになってこない。キリストがあらわれても、今の時代救いなどない。作者はそう言いたいのかもしれない。その点では、まさに不条理劇。決して家族劇ではない。主人公の少女が大人になるのも、現実は変わらないのだということを知ったからだ。

September 25, 2018

9月25日(火)大報恩寺の展覧会に合わせて『仏教がわかる仏像入門』が刊行された

洋泉社から、『仏教がわかる仏像入門』というMOOKが刊行された。

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これには、私による仏像についての解説が載っているが、『仏像の見方が変わる本』を土台にして再編集したもの。念のためだが、私の書いたところはそれと同じ。

ただ、まったく違った本に生まれ変わっていて、東京国立博物館で開かれる「京都 大報恩寺 快慶・貞慶のみほとけ」展に合わせたもので、この展覧会に関係する情報が豊富に盛り込まれている。大法恩寺、開創800年ということで、これを記念して開かれる。事前にこれを見ていけば、展覧会がより楽しめるのではなかろうか。


September 05, 2018

9月5日(水)新しい「俊寛」と新しいだけの「幽玄」で秀山祭は夜の部

昨日は台風のなか歌舞伎座夜の部へ行った。

吉右衛門の俊寛は何度か見ているが、今回は幕切れが違った。たいがい、赦免船にむかって手をふるのだが、それは一切なし。ただ、前方を見つめているだけ。ご本人の話では、極楽へと導く弘誓の船が見えているということだが、これだけを見てもそれはわからない。今回気づいたのは、成経が出だしのところで、熊野権現を勧請して祀っていると言っていたこと。熊野権現は、中世では浄土と考えられ、だからこそ熊野詣が盛んになった。床本では、熊野三所とあった。方向性は定まったが、まだ未完成と言う印象の俊寛だった。

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早野龍五さんの前日のツイートから悪い予感がしていたが、玉三郎の「幽玄」、いろいろと問題で、進めば進むほど、見ないで帰ればよかったと思わせた。鼓童との共演で、それ自体異色だが、彼らの演奏は実は邦楽ではなく、和太鼓による西洋音楽だということが大きなずれのもと。謡曲もグレゴリア聖歌に聴こえる。

とくに、道成寺の部分になると、鼓童が主役になる分、玉三郎の舞の意味がなくなった。なんだか、1970年代にあったであろう、前衛的な日本舞踊のようになる。玉三郎まで出て華やかになった秀山祭だが、三部制にして、第2部までを秀山祭とした方がよかったのではなかろうか。

September 02, 2018

9月2日(日)秀山祭復活の福助

秀山祭初日である。少し雨模様。昼の部を見た。やはり初日にこれは見なければならないと思った。福助5年ぶりの舞台だからである。

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去年の7月の歌舞伎座も、一種異様な雰囲気に包まれていた。海老蔵が妻を失いつつ、息子と舞台に立ったからである。今回は、性格は違うが、期待と不安に包まれているというところでは明らかに似ていた。観客のお目当てがそこにあるのは間違いなく、場内は満員だった。

初日ということもあり、幕開けから、「成駒屋」の大向うの声が響く。演目は「金閣寺」。雪姫を演じるのは、福助の息子、児太郎である。大膳は、松緑。いつになく声が通る。極悪人にはまだまだ遠いものの、悪としての存在感は十分に示している。児太郎も、精いっぱいの演技でそれに答える。愛くるしく、可憐だ。

後半になると、その児太郎の演技がかわる。まるで福助の魂が乗り移ったように、親なのか子なのかが分からなくなっていく。そして、福助の登場。いったいどのような状態なのか。金閣寺2階に現れると、観客の拍手は鳴りやまない。それが終わってから、おもむろに台詞をしゃべる。台詞はしっかりしているが、右手が不自由なのが分かる。座ったまま、短い間だが、何か神々しい、聖なるものを感じさせた。演技が終わっても、ふたたび鳴りやまない拍手。

終わっても、安堵と不安の入り混じった気持ちが観客を支配する。これからどうなるのか。5年というブランクは長くもあり、短くもある。人が復活するということは、外側から見ていてはわからない部分があまりに大きい。筋書の写真は、かつてのまま。これが現在の写真に変わったとき。本当の復活になるのかもしれない。

August 21, 2018

8月20日(月)納涼歌舞伎第3部「盟三五大切」を観る

昨日は、家で20枚ほど原稿を書いてから、青山へ。NHK文化センターで宗教事件史の講義。また、受講生が一人増えていた。今回は、キリスト教の罪とイスラム教の法について。なかなかうまく説明できたのではなかろうか。

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終わってから歌舞伎座へ。納涼歌舞伎のうち、見ていない第3部「盟三五大切」を見る。これまで、仁左衛門で見ているが、幸四郎ははじめて。

かなり陰惨な話で、例によって富岡八幡宮あたりの深川が出てくるが、面白くなったのは、後半。橋之助の八右衛門が四谷で嘆いたあたりから。橋之助成長している。幸四郎、七之助、中車とくると、第2部の膝栗毛での早変わりを思い出したが、中車の大屋がなかなかのもの。幸四郎も、仁左衛門がやるような悪人をやるといいのだろうか。3部制で、休憩が20分。それがちょっとあわただしかった。

August 17, 2018

8月17日(金)イエス・キリストも出た恒例の納涼歌舞伎第1部と第2部を見る

昨日は、納涼歌舞伎に行った。第1部はひとりで行き、第2部は娘と一緒。

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今年の納涼歌舞伎は「川」がテーマになっていて、それで演目が選ばれているため、あまり上演されないものがかかっている。第1部では、北條秀司の「花魁草」、第2部では「雨乞其角」が久しぶりの上演、どちらも見たことがなかった。

「花魁草」は、男の出世ということで、長谷川伸のようでもあった。話がしっかりできているので、破たんがない。途中、幸四郎のしぐさが気になったが、なんということのないところに風情があり、説明が難しい。「「龍虎」は、幸四郎と染五郎。龍と虎が対峙しているはずだが、踊りぶりからして違いが歴然。その点では、「連獅子」のよう。新作の「心中月夜星野屋」は、実にたわいのない化かしあいで、いかにも落語という作品。中車が歌舞伎ができるようになっているところが、やはり大きい。

第2部は、恒例の「東海道中膝栗毛」。これはいつものようだが、同じ三人が繰り返し違う人物として花道に現れるというのは新趣向だろう。染五郎と團子が、この2年のあいだにずいぶんと成長した。途中の地獄では、若手の踊り比べ。最後、イエス・キリストが登場するが、歌舞伎にイエスが出たのははじめてではなかろうか。右近が8歳だかで大活躍。「雨乞其角」は、踊り手が、地獄の場面とかぶるので、面白みに欠けたような気がした。

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