時事通信のサイトに記事を寄稿した。
「葬式の簡略化が進む理由◆消えゆく死のドラマ」ということで、これまでとは少し違う角度から葬式のことについて考えてみた。
かつての葬式は重要なイベントで、参列者にとっては、その好奇心を刺激するエンターテイメントでもあった。そうした側面が葬式から失われることで、簡略化は加速されたように思う。
それは、個人の死というものの重要性が失われたことにもつながる。死は重要な出来事であったはずだが、最近ではそうではなくなっている。
世界最高齢の日本人女性が亡くなった。ニュースで伝えられた。
119歳。あと一年寿命が長ければ、120歳に達していた。1月2日の生まれ。前から彼女のことは話題になっていたが、私もなんとか120歳まで生きてほしいと願っていた。
人類のなかで120歳を超えたとされるのは、フランス人の女性ただ一人。
ただ、そちらのケースでは、途中娘と入れ替わった説がありはっきりしない。田中カ子さんの場合には、お子さんもいてはっきりしている。
120歳になれば、「大還暦」。まだ大還暦に達した方はいない。
もちろん、119歳は立派。天寿を全うしたということばさえ適切でない気がする。ご冥福をお祈り申し上げます。
先週の土曜日、17日のことだが、朝起きたら、顔の具合がおかしい。左がひきつったようになり、目がはれぼったく、朝食が食べにくい。娘も顔が変だと言う。どうしたのだろうか。
その日の朝、購入したシグマの新しいカメラfpLが届く。新宿にそれに使うレンズの中古を注文していたので取りに行く。ついでに、銀座まで足を伸ばし、サウンドクリエイトで入荷したばかりのKLIMAX DSMを聴かせてもらう。
従来型と比較したら、音の位置や広がりなどがはっきりと違うのが分かった。カルーセルを導入したのと似ている。ただ、EXAKTのシステムではないので、本領発揮とは言えない気がした。その後、母の見舞い。
顔の方、顔面神経麻痺らしいということで、月曜日に鍼灸院に電話してみたら、病院での治療が全体と言われ、近くの耳鼻科へ。ステロイドを使うことになるが、そうなると血糖値があがる。ということで、そのコントロールの必要があるので関東中央病院に紹介状を書いてもらい、久しぶりに病院に行く。昔40日入院した場所なので、いろいろ慣れている。やはり麻痺ということで、血糖値などのデータを送ってもらえるよう、いつもの用賀あきら内科へ。
火曜日は、若者のための死の教科書編集委員会に、それでも行く。しゃべりにくい。
水曜日は、ふたたび病院へ。そこから治療がはじまった。発症から1週間後に最悪の状態になるということなので、早めにゲラの校正をすませる。金曜日になると、血糖値がかなりあがったので、土曜日にあきら内科へ。臨時にインシュリンを処方してもらう。
ということで、ばたばたした一週間。症状は治療の結果、少しよくなったようだ。
安楽死をめぐる事件が起こった。たとえば、産経新聞はこのように伝えている。
警察は、安楽死ではなく、嘱託殺人ととらえ、それで逮捕に至ったというのだ。
最近出した『安楽な最期の迎え方』でも論じたが、日本で安楽死が認められていないとは言えない。というのも、裁判所は、安楽死の条件を定めているからだ。それも積極的安楽死にあたる。今回は、その条件に合致しないから逮捕したという点を見逃してはならないだろう。条件を満たしていれば、積極的安楽死を行っても、医師が逮捕されないということだ。
もちろん、日本では積極的安楽死を認める法律はない。尊厳死といわれる消極的安楽死でさえ、法制化が試みられてきたものの、実現していない。だが、実際に実行された安楽死をもとに、裁判所が判断を下している。
今回は主治医でないこと、そして、医療費ではない金銭のやり取りが行われたことが、嘱託殺人の要件を満たすとされている。
もしかしたら安楽死を繰り返していたかもしれない医師の姿は、本のなかで取り上げたスイスの医師プライシックの姿と重なる。スイスでは安楽死は合法化されていないが、利己的な目的でない自殺ほう助は認められている。
果たしてこの事件がどうなるのか。注目されるところだ。
最近、こうしたことが話題になっているので、3年前に「President」のオンライン版に書いた文章を転載します。
第1回
それは、安倍晋三首相が就任一年目に靖国神社に参拝した翌年の秋のはじめのことだった。ここで言う就任とは、第二次安倍政権発足のことをさす。
私は、ある神道関係のシンポジウムに呼ばれて、パネラーとして出席した。そのとき、同席した別のパネラーから興味深い話を聞くことになったのだ。そこには、昨今、さまざまな形で物議を醸している安部首相の妻、「昭恵夫人」がからんでいた。
安倍首相は、右派的な保守勢力から篤い支持を得ており、就任一年目での靖国神社参拝はそうした人々の要望を満たす意味合いを持っていた。
ところが、中国や韓国からだけではなく、アメリカからもクレームがついた。アメリカ政府は在日米大使館のウェブサイトに「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」との声明を掲載した。その結果と考えていいだろうが、これ以降、安倍首相は靖国神社には参拝していない。例大祭のときに真榊を奉納するだけである。
実は、安倍首相が靖国神社に参拝したとき、境内にある別の神社を訪れていた。それが、「鎮霊社」である。
鎮霊社という名称を聞いても、多くの人はその存在さえ認識していないだろう。そもそも鎮霊社は目立たない場所にある。拝殿の手前にある中門鳥居の前を向かって左側に進み、南門の前で右に曲がると、その奥、本殿と並ぶ位置に鎮霊社はある。
この鎮霊社の創建は戦後の1965年のことで、靖国神社の側の説明では、「戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊するために」建てられたものだとされている。
靖国神社に祀られているのは、軍人や軍属が中心で、沖縄戦や空襲で亡くなった一般の国民は祀られていない。また、明治維新前後に賊軍とされた人間のなかにも、未だ祀られていない者がある。まして、海外の戦争犠牲者ともなれば、まったく祀られていない。鎮霊社は、そうした枠を超え、あらゆる戦争で亡くなった人々の霊を慰めるために建てられたものだというのである。
安倍首相は、靖国神社に参拝した際に談話を発表している。それは、「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました」というもので、鎮霊社に参拝したことにもふれているのだった。
安倍首相は、自分が靖国神社に参拝すれば、必ずや周辺諸国からの反発を受けることになると予想していたはずだ。そのため、参拝は過去の日本の戦闘行為を正当化するものではなく、むしろ世界平和を願ってのものであることを強調するために、鎮霊社へ参拝し、そのことをここで強調しているわけである。
その後、2014年4月に、つまりは靖国神社参拝から4カ月後に、当時のオバマ大統領が来日した折の共同記者会見でも、鎮霊社に参拝したことに言及し、「二度と人々が戦火で苦しむことのない世界をつくっていくとの決意の下に、不戦の誓いをした」ことを強調していた。安部首相は、鎮霊社への参拝をかなり重視していたのである。
私はそのことに興味を持ったが、メディアの方はほとんど関心を示さなかった。安部首相の鎮霊社についての言及が共同記者会見の最後だったこともあり、オバマ大統領も、そのことについては何も述べなかった。
その点では、鎮霊社への参拝をことさら重視した安部首相の行動は、メディアにもアメリカ側にも理解されず、空回りに終わってしまったように思えるが、なぜ急に、首相が鎮霊社参拝を思いついたのか、またそれにかなりのこだわりを見せたのかは謎だった。
その謎が、最初に述べた神道関係のシンポジウムで解けたのだ。
そのパネラーは、自分が昭恵夫人に対して、鎮霊社への参拝をアドバイスし、その結果、首相が参拝することになったと説明したのである。その人物は、昭恵夫人と一緒に写っている写真を見せながら、そのことを説明したように記憶している。
ただ、謎が解けたとは書いたものの、その時点では、私は必ずしもそうだとは考えなかった。私には、それを語った人物が、自分の影響力を誇示するために、話をもっているのではないかと思えたからである。
しかし、今回の騒動が起こってみると、私はその人物に対して大変失礼な誤解をしてしまったように思えてきた。昭恵夫人をめぐってなら、そうしたことは十分にあり得るのだ。
昭恵夫人がいったいどういう人物なのか、分かるようでいて分からないところも少なくないが、彼女としては、総理大臣に返り咲いた夫が、悲願である靖国神社参拝に踏み切れないでいることに忸怩たる思いを抱いていたことだろう。
そんななか、その人物から鎮霊社のことをはじめて聞かされ、それに興味を抱いたのだ。
鎮霊社を創建したのは、A級戦犯の合祀をずっと棚上げにしていた筑波藤麿宮司であった。
筑波宮司は、1963年9月から10月にかけて、「核兵器禁止宗教者平和使節団」の一員として欧米諸国を歴訪し、ローマ教皇、ロシア正教大主教、カンタベリー大主教や国連のウ・タント事務総長などと面会した。この体験から、筑波宮司は、日本の英霊を祀るだけではなく、世界の英霊を祀らなければ、世界平和の実現はならないと考えるようになり、全世界の戦没者を祀ることを計画した。
ただし、靖国神社のなかでは、その計画が神社本来のあり方から逸脱するとして反対が起きた。それでも、筑波宮司の強い意向で鎮霊社が建立された。その意義について、筑波宮司は社報で、「世界の諸国がお互いに理解を深め、本当に平和を望むなら、かつての敵味方が手を取り合って、上として我々を導かれることこそ一番大事だと思います」と述べていた。
昭恵夫人は、おそらくそのことも聞いたのだろう。そして、首相が靖国神社に参拝しても反発を受けない方策として、鎮霊社に参拝したことを強調するのが決定打になると、首相に提案したのだ。
首相は、夫人からの提案をグッド・アイディアだと思ったに違いない。そのときの夫婦の会話はかなり盛り上がったのではないだろうか。
もちろんそれは私の勝手な推測だが、森友学園の問題をながめていると、どうしてもそのように考えてみたくなる。昭恵夫人の首相に対する影響力は、相当に大きなものなのだ。
昭恵夫人が私人なのか、それとも公人なのかは議論の分かれるところだが、それ以上に重要なのは、この影響力である。
靖国神社の問題は、日本の国家が解決していかなければならない重大な事柄だ。そこに、昭恵夫人の考え方が影響を与えている。「昭恵イズム」は、国を動かしているとさえ言えるのである。私たちは、この昭恵イズムの正体を探る必要あるのではないだろうか。
第2回
安倍晋三首相は、憲法改正ということに熱心であり、一般的には右派の政治家とみなされている。
昭恵夫人は、そうした夫の政治姿勢に対して真っ向から批判を展開しているわけではないが、東日本大震災の後に、津波を防ぐための巨大な防潮堤のを建設することに反対したり、有機農法に取り組んだり、原発よりも再生エネルギーへの転換を主張したりと、右派ではなくむしろ左派的な立場をとっているようにも見える。
このように対照的な姿勢を示していることから、この夫婦が仲が悪いとか、仮面夫婦であるといったとらえ方がなされるわけだが、前回述べたように、昭恵夫人が夫が自らの政治姿勢を貫けるよう、「内助の功」を果たそうとしている。
そうなると、昭恵夫人の思想、考え方とは本当は何なのかが問題になってくる。その点について、『朝日新聞』朝刊の4月6日付の記事「リベラル? 国粋的? 安倍昭恵さんの思想とは」では追求しようと試みていた。
その記事の中で、一つ注目されるのが、昭恵夫人が「波動」ということに強い関心を抱いているとされている箇所である。
『文藝春秋』3月号に掲載された「安倍昭恵『家庭内野党』の真実」を書いたノンフィクション作家の石井妙子氏は、昭恵夫人は、「水の波動」理論の提唱者である故江本勝氏に強く共感していると述べている。
実際、昭恵夫人は、江本氏が主宰する「国際波動友の会」の機関誌において、「江本先生のおっしゃる水・意識・波動の話は正しいと直感しています」と述べている。たんに共感しているだけではなく、江本氏とは直接に付き合いがあったようだ。昭恵夫人からは義父にあたる故安倍晋太郎氏が、江本氏から波動を調べてもらい、「転写水」を作ってもらったことにあったという。
転写水と聞いても、多くの人たちはいったい何のことかと思うだろうが、これはオカルトやスピリチュアリズムの世界ではよく見られるもので、人間の発する気をこめた水のことである。その水には、病を治したり、健康を増進したり、さらには幸福をもたらしたりといった効果があるとされるのである。
まったく非科学的なことだが、科学的であることを装った「疑似科学」を信奉する人たちは少なくない。江本氏は、二つの瓶にそれぞれ飯を入れ、片方には「ありがとう」と言い続け、もう片方には「ばかやろう」と言い続けると、後者は腐敗してしまうのに対して、前者からはよい香りが漂うようになるとも主張していた。
波動自体は、海や湖の表面に生まれる波のことであり、何ら特別な意味をもたない通常の自然現象である。
ところがこれは、素粒子物理学において、あらゆる物質には、「粒子」としての性格がある一方で、「波動」としての性格があるとされていることがもとになっていると思われるが、オカルトの世界では、物質の本質は実は波動であると考えられるようになった。
粒子としての物質は、それを変容させることはできないが、波動なら何らかのエネルギーを与えることによってその実体を変えることができるのではないかというのが、オカルトやスピリチュアリズムの考え方なのである。
江本氏は、波動を測定し、それを転写することができるという波動測定器を開発し、それを販売していた。これは、現在も彼が立ち上げた会社で販売されている。最高級とされるものになると、半年間の研修料も含まれるものの、その価格は税込みで189万円である。
こうした装置の宣伝では、健康を増進する効果があるとするものもあり、それに対しては、東京都が警告を発したりしている。果たして昭恵夫人がこの波動測定器を購入したかどうかはわからないが、転写水に言及している以上、首相官邸にそんな装置があったとしても不思議ではない。
その点は証明されていないが、昭恵夫人が波動理論の共鳴者であり、その思想を宣伝する役割を担っていることは間違いないであろう。
そこで思い出されるのが、経営コンサルタントとして一時名を馳せた船井幸雄氏のことである。船井氏も、江本氏と同様に2014年に亡くなっている。
船井氏は、京都大学農学部を卒業後、船井総合研究所というコンサルタント会社を立ち上げた。経営コンサルタントとしての船井氏が主張したのが、「地域一番店戦略」というものだった。これは、それぞれの地域において一番規模の大きな店を作り上げることが、認知度を上げることになり、もっとも効果的で効率的な商売が可能になるとするものである。この戦略は、中小企業主に支持され、船井氏の名声を高めることに貢献したが、百貨店のそごうなども、この地域一番点戦略をとり、床面積を広くすることに力を注いだ。
船井氏は、40代になると、波動ということにめざめ、波動についての研究会を組織したり、そうした考え方を記した書物を数多く刊行するようになる。
そうなると、船井氏の周辺には、経営者だけではなく、オカルトやスピリチュアリズムに関心を寄せる人間たちが集まってくるようになる。しかも、船井総研主催で、「船井オープン・ワールド」といった催しを行うようになり、そこには、波動といったことを信じるような人々や団体が出展するようになった。
そして、船井氏は、こうした世界において「お墨付き」を与える権威としてとらえられるようになる。船井氏が推奨したことで、世の中に広まった代表が「EM菌」である。これは「有用微生物群」の略称で、琉球大学の教授が提唱したものであることから、科学的な裏付けがあるものとして受け入れられていったが、一方では、疑似科学なのではないかという批判の声も強い。
昭恵夫人は、船井総研の機関誌に文章を寄稿している。また、「オープンワールド」の後を引き継ぐかたちで続けられている「船井フォーラム」にも参加している、そのことは、彼女自身のFacebookで報告されている。
このように、昭恵夫人と船井氏の距離はかなり近い。二人は、関心を共通にしており、人脈も重なり合っている。
『朝日新聞』3月9日付朝刊には、昭恵夫人が名誉会長や名誉顧問としてかかわっている団体が、森友学園を含め20ほど列挙されている。
そのなかに含まれていないものとして、特定非営利法人「日本ホーリーバジル協会」というものがある。昭恵夫人はその理事の一人になっているが、ホーリーバジルとはインドの宗教において薬効があるとされるもので、協会はその販売を手がけている。
ホーリーバジルは、カミメボウキというシソ科の植物で、タイ料理でも使われるが、インドの伝統医学では神聖な植物であるとされている。
果たして、このホーリーバジルに薬効があるのかどうかは不明だが、放射能によって損傷したDNAを修復する力があるなどと主張する人間もいる。
昭恵夫人は、ホーリーバジルの薬効を信じているからこそ、理事になっているのだろうが、彼女を担ぎ出す側が、それによって自分たちの権威や信頼性を高めようとしちえることは明らかである。
今や昭恵夫人は、船井幸雄氏が生きていた時代の役割を果たしつつある。
しかし、疑似科学にお墨付きを与えることは、かなり危険である。いつそれが問題を起こさないとも限らないからである。
これはあくまで素人考えである。
新型肺炎で世界中が騒ぎになっている。「正しく恐れる」というスローガンも、いつの間にか反故になった感がある。
ただ、冷静に考えると、どういうことが起こっているかは見えてくるのではないだろうか。
一つは、どういうところで感染が広がるかである。最初の武漢は、内陸なので寒く、また中国の都市がおしなべてそうであるように、大気汚染がひどい。肺炎がはやる環境になっていたことは確かだろう。
その後、韓国やイタリア、イランで広がりが大きいが、武漢と共通する要素がある。韓国は、日本に比べると寒い。北海道は環境として同じで、はやる素地はあるだろう。
イタリアも、はやっているのは北部のロンバルディア地方で、当然寒い。さらに、中心地のミラノは大気汚染がひどい。それは、イランについても同様に言える。
それから、はやるのはクルーズ船、屋形船、バスなどの密室空間だ。
こうしたことを見ていくと、世界全体に一様に広がることは、今のところ考えられないのではないか。日経新聞のサイトに感染者数と死亡者数のグラフが毎日掲載されていて、それを見ると、中国では鎮静化しているのが見えてくる。もっと日本でも武漢のことを伝えたほうがいいのではなかろうか。もっとも中国が正しい数字を公表しているかは問題だが。
感染を防ぐ策として、手洗いが推奨され、多くの人はマスクで防ごうとしている。NHKの朝の番組で、どうやったら、外から家のなかにウィルスを持ち込まないか、丁寧な洗い方をやっていたが、それを毎日、家族全員が実行するのはとても無理だと感じた。現実的とは思えない。
マスクにしても、手が無意識のうちにもふれるわけで、果たして意味があるのか。かえって感染を広がることにつながるという見解もある。
そもそも、人類が唯一撲滅した感染症は天然痘だけで、ほかには成功していない。新型肺炎のウィルスを撲滅することなど到底不可能だ。
となれば、人類はウィルスと共存していくしかない。となると、ここは難しいところだが、ある程度感染が広がり、社会に免疫を持つ人間を増やすしか、根本の対策はないのではないか。天然痘は実験室には残されているようだが、今それが外に出たら、免疫を持っている人類は皆無なので大変なことになる。
あくまで素人の考え方だが、感染症とどう付き合うかの根本を見定めないと、対策も意味をなさない。
昨日は孫の小学校の運動会を見に行った。午前中は日差しが強く、それで疲れた。午後は、日差しも出ていなくて、快適。
終わってから、近くのファミレスに行って、おやつというか、早飲みというか、早ご飯というかをしたのだが、驚いたのは孫の小学校2年生の成長ぶり。夏休みには我が家に来て二泊していったが、それから1月半。背も大きくなっているが、話し方が変わった。なかなかそれをどう説明したらいいか難しいが、大人びてきている。
それを孫の親、つまりは私の娘と婿さんに話したが、気づいてはいない様子。毎日会っているとそういう感覚を持つことはないのだろう。
これまでも適度に感覚を開けて孫に会っているが、昨日感じたようなことはなかった。ということは、あるときに子どもは急に成長するが、毎日会っている親の方は気づかないということなのだろう。これはなかなか興味深い体験だ。
昨日は、国際展示場、ビッグサイトへ行く。新宿から埼京線、りんかい線。
はじめて、エンディング産業展に来た。展示されているものはさほど多くはなく、セミナーの方が中心らしい。そのセミナーで午後講演をした。
テーマは、「葬式、戒名、墓 どこまで省けるのか」というもの。話をする前に名刺交換をしたが、皆さん遠方から来ている。
講演の内容としては、ここのところ考えている、死生観のAからBへの転換について。エンディングということは、これに深くかかわる。死ぬまで生きる死生観から、スケジュール化された死生観への転換が起こる中、どういった生き方を求めるべきなのか。まだ、転換が起こり始めたところなので、その部分は見えてこない気がする。
どのように私の話が受け取られたのか、興味深いところだ。
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