最近訃報の記事ばかりが続いているが、ノンフィクション作家の佐々涼子さんが亡くなられた。
実は、今から12年前の2012年10月、彼女と対談をしている。私の『宗教はなぜ必要なのか』が集英社から刊行され、佐々さんの『エンジェルフライト』 が同社の開高健ノンフィクション賞を受賞されたということでそうした場が設けられた。
その際に、遺体の扱い方について国によって違いがあることには、背後に死生観の違いがあるのではと私が指摘したのに、彼女が驚いていたのが印象に残っている。
脳腫瘍で闘病生活を送り、しかも、それが回復不能ということは前からファイスブックなどで知っていたが、今は脳腫瘍から回復する例もあり、回復されることを願っていたが、それはならなかったようだ。ご冥福をお祈り申し上げる。
今日は、國學院大學の院友会館で開かれた「奈良泰秀先生 お別れ会」に参列した。
奈良さんとは、2000年以来のお付き合いだったので、24年になる。4月30日に亡くなられたのだが、その際、85歳と聞いてかなり驚いた。とても、そんな年齢には見えなかったからだ。
挨拶をさせていただいた時にも話したが、私の不遇時代に、セミナーに呼んでいただいたのはずいぶんと励みになった。
しかし、昨日、改めて奈良さんが書いておられたことを読んでみて、お会いしたときに聞いた話をいろいろと思い出した。奈良さんとしては、今の神社本庁のあり方に批判もあったのだろうが、神道の昔の形に強い関心があり、とくに磐座の信仰を尊重するところがあった。そんなことをいろいろと聞いていたことが、私が最近書く、神社や神道についての本に影響を与えているのではないか。そんなことを思った次第だ。
その点では、私が書くものを通してだが、奈良さんはまだまだずっと生き続ける。今はそんな気がしており、決して亡くなったわけではないのではないか。
全体にとても良い会で、こんな会に御本人がいたらと改めて感じた。
今日、青山のブルーノートで一度会いした方のFacebookを見て、ラッセル・マローン氏が亡くなったのを知った。ジャズのギタリストだ。
たしか、ごく最近ブルーノートに出演していたのではと調べてみると、ロン・カーターのゴールデン・ストライカー・トリオの公演が昨日まであった。昨日は、マローン氏が体調を崩し、二人で演奏されたようだが、亡くなったのは昨日で、心臓発作とのこと。心臓が悪かったのだろうか。まだ60歳、とても亡くなるようには思えなかった。今日は、コットンクラブでの演奏が予定されていて、それも二人でやるらしい。
ロン・カーター氏の方は87歳で、誰もがそちらの健康を心配していたところだが、まさかのマロー氏の急死である。
今回の公演には行っていないが、前回、2年前にはブルーノートで演奏を聴いている。とてもよかった。
メインで活躍するというより、メンバーとして、また伴奏者として素晴らしい演奏を聞かせてくれたギタリストで、その繊細な音作りに感動してきたのだが、もうそれが聴けないと思うと悲しい。
ご冥福をお祈り申し上げます。
突然の訃報で驚いた。
松岡正剛さんとは、工作舎の時代、私がそこに勤めていた知人の紹介で『タオ自然学』の翻訳に携わっていた時代に、お付き合いがあった。
この本が出たのは1979年のことで、私はまだ大学院の修士課程に在籍していた。とても思い出の深い翻訳で、工作舎の編集者には訳文のことでずいぶんと鍛えられた。それに、本が売れたことは大きかった。子どもを育てる費用として、かなり助かったのを覚えている。
工作舎では、いろいろな方と出会ったが、杉本博司氏が、最初の劇場シリーズの写真を持ってきて、松岡さんに見せている現場には同席した。
その後、お会いする機会がなかったが、『千夜千冊』では、私が翻訳した『虚無の信仰』を取り上げてくれていて、そこで、私のことにもふれてくれている。そこでの評価は大変にありがたいものだった。
編集工学研究所は、私の家からそれほど遠くないところにあり、散歩のおりなど通りかかったこともあるが、松岡さんと会う機会はめぐってこなかった。吉福さんもとっくに亡くなっているし、松岡さんの80歳での死もとても残念な気がする。
松岡氏のご冥福をお祈り申し上げます。
昨日は大阪へ。
読売テレビの「そこまで言って委員会」が宗教を特集したので、それに呼ばれ、出演した。専門家ということで、小川寛大さんも。
8月18日に放送になる予定だが、東京では見られない。ただ、番組が終わってからweb用の撮影があり、そちらは見られるのではなかろうか。
問題は帰り。南海トラフなんちゃらで、新幹線も速度を落として運転していたので、若干行きもともども遅れたのだが、品川で下りようとしたとき、緊急地震速報が。もう止まるところだったので、そのまま品川駅に到着。駅のアナウンスでは、地震を感知したので、いったん電源を落とすということだったので、もし数分前なら、新幹線の中に閉じ込められたのかもしれない。
山手線は何事もなかった。小田急線に入ると、なかが異様な雰囲気で、その地震で止まっているということ。
しかたがないので、いったん改札を出て、京王線に行く。京王線は神奈川県内を走っていないので、大丈夫だろうと思ったが、やはりしっかりと動いていた。各停で下高井戸まで。そこから世田谷線で帰った。
良い選択で、それほど時間がかからずに帰宅できた。海老名より先の人たちは大変だったようだ。
昨日は忙しい一日になった。
午前中は、朝日カルチャーセンター新宿教室で「鎌倉仏教と武家政権」の講座。最初ということで、鎌倉の廃寺について紹介し、続いて、鎌倉時代に至る日本仏教の歩みを振り返った。
昼食の後、神楽坂へ。『若者のための死の教科書』グループの長谷川彰宏君の個展を見に行く。最初のときと同じく、会場は√K Contemporary(ルートKコンテンポラリー)で、展示はやはり3階分にわたる。
非常に不思議だったのは、こうした螺旋の絵。動いて見える。同じ螺旋でも動いていないものもあった。どういう仕掛けなのだろうか。
画家本人が不在だったので、次に聞いてみることにしよう。
近くに、孫が4月から通っている中学があるので、そこに寄る。ただ学校の建物を見ただけ。
新宿に戻り、大学院生の研究の相談に乗る。
それが終わってからは、代々木上原へ。
日本女子大の時代の教え子、とはいっても、私の授業をとっていかった学生なのだが、その琴のコンサート。
4人組の螺鈿隊というが、以前にも聴いたことがあった。そのときと比べると、年月が経ったせいか、音に重みが加わっている。4曲やったのだが、それぞれの曲の作曲家が来ていて、話が聞けたのも面白かった。とくに後半の曲は難曲で、技術の高さがうかがえた。
帰りに寄った経堂の魚粋で、お花の師匠さんといけばな談義。というわけで、学術と芸術の一日になった。
昨日はいろいろあった。
昼頃には、川崎市の市政100周年ということで、ブルーインパルスの飛行があった。世田谷区上空にも飛んできたので、それを目撃。
写真も撮れた。
驚いたのは、顕正会の幹部会で、現在の会長が、私の書いた『日本の10大カルト』の内容について言及したこと。
相当に我田引水の感もあるが、私の『捨てられる宗教』の内容にも言及していたので、いろいろと読んでくれているのだろう。ただ、私の名前も書名も、どちらも言及されなかった。
夜は、新宿へ。水曜日に都庁のプロジェクトマッピングを見て、土日はプログラムが異なるというので出かけてみた。こちらはゴジラが都庁を襲撃する。土曜日ということで、人出も多い。2000人くらいいただろうか。
ゴジラの方は、さほどでもなかったが、次の「TOKYO CONCERTO 東京協奏曲」が素晴らしかった。感動的。
金が掛かりすぎているという批判もあるが、見ないと損する気がした。今の技術は恐ろしく進歩している。
昨日は、午前と午後2回、朝日カルチャーセンター新宿教室で講義。午前は、「神社と日本人」の2回目。日本の神について考えてみた。
午後は、御厨貴さんとの「時事イ放談」。御厨さんが昔出演していたテレビの番組「時事放談」にかけてのタイトル。
その「時事放談」の放送現場の話もかなり面白かったが、はからずも戦後の首相の人物評をたどる結果になった。これも面白い。講義は好評だったので、秋には第2弾をやろうという話になった。おそらく、生前退位の問題を中心に天皇のことを扱うのではなかろうか。
終わってから、妻と、ハルクの中二階にある喫茶店で休み、その後、8階のレストラン街へ。どこにしようかと思案して、サンマルクカフェに行ったのだが、なんとジャズ・ナイトということでライブをしていた。
ヴォーカルの北川アキさんを中心としたトリオ。黒石雄平のギターに、阿部樹一のピアノ。いつも一緒にやっているらしく、スターンダードをうまくアレンジしていた。こうしたライブは月に一度あるらしい。他のサンマルクカフェでも同じようだ。
今日は東大の五月祭に行った。そもそも、五月祭に来たことがあっただろうか。ほとんど記憶がない。1回くらい来たような気もするが、はっきりしない。
来たのは、娘の所属する東大ウォーリアーズの試合を見るため。相手は、今年ビッグ8にあがったばかりの成蹊大学。最初、東大は2,3年中心で、続けてタッチダウンを許す。途中から4年生が出ると、逆転し、相手のオフェンスはほとんど進めなくなった。痛む選手も成蹊の側に続出。最終的に東大が勝った。
その後、五月祭を回る。たくさんの人。途中、芝生で休んでいたら、突然学生が集まり、学費値上げ反対のミニ集会になった。
学費値上げということでは、私が大学に入った時のことを思い出す。ちょうど学費値上げでスト中だった。当時は相当に安く1万2千円が3万6千円に上がるという話だった。まだ、政治の季節が続いていたので、学生もかなり抵抗し、ストが解除された後も、代議員大会でもう一度ストを決議した。これは、学生全体には承認されず、ストにはならなかった。代議員大会は、深夜に及ぶもので、私もその場にいた。革マルが最後、スト賛成に回って可決されたように記憶している。
五月祭は大変な人。最後は安田講堂で、オーケストラの演奏を聴いた。
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