小川寛大さんが編集する『宗教問題』の最新号が贈られてきた。特集は儒教。
そういう記事もあるが、果たして儒教が宗教なのかからして問題がある。
それはさておき、このなかに、『消された信仰』の著者、広野真嗣さんの連載がある。「日本のカトリックに未来はあるか」というもので、今回はその第4回「あらわとなった空洞化」というもの。日本におけるカトリックの聖職者の性的暴行の問題などが扱われているが、そのなかで、私の話が出てくる。先日広野さんにお会いしたときのことがもとになっており、近代の日本社会でキリスト教が果たしてきた役割が、組織の弱体化によって失われようとしていることが指摘されている。
特に、日本のカトリックでは、聖職者のなり手が激減している。これは、フランスですでに起こっていることだが、カトリックの危機はかなり深刻な状態にある。
昨日は上野へ行った。
聖徳太子1400年遠忌ということで、「聖徳太子と法隆寺」展。予約制で、東博とは思えないほどすいていてよく見られた。その分、けっこう時間がかかる。最後の3時半から予約したのは暑さを避けるためだが、もう一つ前の回でよかったように思う。最後はあわただしかった。
展示は、東博にある法隆寺献納物と、実際に法隆寺などから来たもの。国宝の聖徳太子像が一番の目玉だが、法隆寺の聖霊院で見た時とはかなり印象が違う。十分な光のもとで見ると、その存在感が薄れる。「法華義疏」なども展示されていた。
上野公園まで来ると、ネットニュースでみたロボットアートをやっていた。
これは、枯山水をもとに、オリンピックの選手の動きを描き出したものということだが抽象的で、その点はよく分からない。パフォーマンスが終わりの方ということなのか、あまり描く作業をしていなかった。
上野駅も改装され、だいぶ趣が違う。
東京国立博物館に行った。聖林寺の十一面観音菩薩像が公開されている。奈良では見たことがある。
改めて見てみると、そのすっくとした立ち姿は限りなく美しい。聖林寺では、なんとなく場違いなところに安置されているという印象だが、今回は、広々とした空間に立っている姿は圧巻だ。もしかして、現存する十一面観音像としては随一のものではなかろうか。そんな気もした。
もとは、大神神社の神宮寺、大御輪寺にあったものだ。併せて祀られている地蔵菩薩も同じ。こちらは、とても古風だ。
観音像の背後には、三ツ鳥居の模型があり、三輪山の写真パネルがある。大神神社は古代の信仰を残していると言われるが、中世には神仏習合が著しく進み、ほかに平等寺という神宮寺もあった。
もっとも、一番見たかったのは、三輪山の磐座から発掘されたもの。酒を造る道具のミニチュアが祭祀に用いられていたことがわかる。
その後、庭園を散策した。
昨日は両国のシアターXに出かけた。前にも行ったことがある劇場の気がするが、何の時か覚えていない。
今回は、「未完の庭」という公演。音と舞と花。音楽と舞踊と華道の組み合わせだ。
出かけたのは、花の部分を担う大久保有加さんからのお誘い。大久保さんとは、沿線が同じなのか、街中で偶然会うことがある。3度くらいあっているのではないだろうか。先日も小田急線のなかで会った。
1時間の公演で、ピアノの演奏があり、舞いがあり、そのなかで花を生ける。
花は、グロリオーサ。その名からして宗教的だ。
その場で生けていくので、どうなるかは本人にも分からないところがあるのかもしれない。だが、花の存在感は圧倒的。もし、この公演で花がなければ、それほど興味深いものにはならなかっただろう。
面白いものを見せた貰った。
昨日はさいたまでカルチャーセンター。薬師寺について講義する。最近は、埼京線で北与野まで行くようになった。ダイヤが改正され快速が止まるようになったせいだ。
終わってから池袋へ。東京芸術劇場で、オーケストラをVRで体験する催し物をしている。それに予約して参加。もっとも他にその回は参加者が一人しかいなかったので、予約は不要なのかもしれない。
オーケストラは、イギリスのフィルハーモニア管弦楽団で、演奏曲目はマーラーの交響曲3番の最後の5分。360度撮影のカメラが指揮者の前に据えられていて、そこに座って演奏を聴き、見る形になる。
指揮者の奮闘ぶりも面白かったが、奏者たちが演奏に入る前緊張しているようすがつぶさに伝わってきた。オーケストラとはそういうものなのだろう。
なかなか興味深いイベントだった。
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